2021/02/15
10年ぶりの再会が、まさか…このような形になるなんて、思ってもなかった。
12日の朝。即ち、夜勤明けの帰り。
2月は1年に1番の閑散期で、ゆったりとした感覚で出勤していました。
のんびり音楽聴いていると、母からLINEが入りました。
じいちゃん失くなりました。
まだ自宅に帰ってませんけど明後日ぐらいにお通夜かと思いますがまだまだ分かりません。
急いで送ったのかもしれません。
誤字脱字するくらい、取り乱した状態だったと思います。
近くに住む親戚のお爺ちゃんが自宅のトイレの中で倒れ、救急車で運ばれるも、帰らぬ人となりました。
死因は、寒暖差による心臓発作、いわゆるヒートショックでした。
文面見た途端、涙目になりそうでしたが、必死に堪え、小走りになりつつも、自販機の前で静かに呼吸を整え、重い足どりで家路に向かいました。
母の前では、いつも以上に気を遣いました。
家の中は、ずっと重い空気が漂っていました。
お爺ちゃんは、第二次世界大戦の兵士として戦地にいた人でした。
もし、無事に帰っていなかったら、私が生まれていなかったと思います。
母が小さかった頃は、亭主関白の色が濃く、特に怒りで沸点が湧いた時、家族全員でお爺ちゃんを食い止めることに必死だったと聞いています。
私が生まれた頃には、その面影も薄れて、よく遊んでくれました。遊んでくれたよりかは、一緒にテレビを見ていることが多かったかな。
好きな時代劇、相撲、野球を見ては、共に一喜一憂したものです。
お爺ちゃんは大のジャイアンツファンで、義父がタイガースファンである影響で、よく言い合いしていたのを思い出します。
義父が亡くなった時も、真っ先に駆けつけてくれたのが、お爺ちゃんでした。
「あんたら、しっかり(母ちゃんを)支えるんだぞ」
あの時のお爺ちゃんの心強い言葉が、今でも昨日のことのようで……
晩年は、運転免許を返納してから、痴呆傾向が強くなって、元気がなくなったと聞いていましたが、家が近いので、少しでも顔を出しておけばよかったと、深く後悔しています。
コロナ禍とあって、ほぼ家族葬に近い形になりましたが、久々に母ちゃんの兄弟たち、孫たちが駆けつけてくれました。
もはや、同窓会に近いような雰囲気でした。
あれから、2年の月日が経ちました。
途中まで草稿したまま、完成しきれませんでした。
気持ちの整理がつかなかったのかな?
婆ちゃんは昨年、転倒して骨折したり、緊急入院した先でコロナに罹患したり、大変だったけれど、何とか生きとるで。
母ちゃんも、がん闘病続いとるけど、何とか生きとる。
恐らく、先に亡くなったおじさんたちと、好きな日本酒呑んでるかもなぁ。
もう少しだけ、婆ちゃん、母ちゃんを見守ってな。