全く先の見えぬ現実が、そびえ立っています。
母の手術は、無事に終わりました。
けれど、がん細胞が、まさかのstage3。
明確には言いませんでしたが、ほぼ進行性に近い癌でした。
一気に細胞を殺す為に、抗ガン剤投与が決まりました。
今日は、抗ガン剤投与の2回目までについて、振り返ります。
正直、私の中では、
抗ガン剤治療をする=余命宣告
というイメージが強かった。
けれど、実際に治療を続けてゆくことで気付いたのだが、それは、昔の癌治療のことであって、今はかなり進歩しているそうだ。
副作用の代表的な例で言えば、激しい嘔吐。
今は、嘔吐を抑える薬が出ており、昔と比較すれば進化はしている。
けれど、脱毛、口内炎、激しい倦怠感、時には、高熱に襲われることも。
母は、逃げなかった。
前向きに、ガンと向き合った。
だが、疑いの当初は、不安を隠しきれず、毎日のように泣いていた。
今なら、最初の絶望感が晴れなければ、滞りなくガン治療を続けられなかっただろう。
晴れたのは、手術前日ギリギリだった。
再び病院に戻る車の中で、短く切った母の髪を見て、
ヤマヒロみたいになるんや~、と、私が口にすると、
そや、ヤマヒロみたいになるんやで~、と、軽快に笑い飛ばす母。
覚悟は出来てるな…と、確信した。
1回目の投与で、70%近くの髪を失った。
白髪は全て抜け切った。
黒く生え変わるんや~と、1年後の自分に期待を馳せる母。
ヤマヒロさんみたいなおぼろ昆布状態のまま、外出時はウイッグ着用をしている。
投与中の食事は、ほぼ肉抜き。
魚や野菜類、特にスイカやゼリー、お粥ものを食べていた。
ご飯などの固形物は、あまり受け付け難い。
青汁も果敢に挑戦した。今や主食にするほど、毎日飲んでいる。
一番悩みだった便通と口内炎問題。
やはり、抗ガン剤の成分を含まれているからか、今まで気にしていなかった皮膚のただれが、一気に進行した。
(投与中、食べられなかった理由の一つが、口内炎でもある)
そこで、便通を打破すべき、液体を錠剤へ変えてもらったり、赤ちゃん用のお尻拭きを用意したり、より水分補給をマメにしたり。
肌の強かった母の、一つの盲点でもあった。
まだまだ伝えきれないくらい、とにかく、色んなことがあった。
ガンの闘いは、母だけではない。
家族皆の闘いだった。
仕事を蹴ってまで、母の代わりに、家のことを率先してきた。
不器用な弟も、力を貸してくれた。
そんな中で、
母のガンをきっかけに、今の自分の生き方に疑問を抱くようになった。
希望も、未来さえもない現場で、いつまでも全力を注ぎ続けている自分が馬鹿らしくなった。
悩みは続いた。
眠れない時もあった。
そして、自分なりに結論を出した。
この現場を辞めよう。と…。
派遣からバイトとして移籍出来た恩のきっかけになった部長殿は、もういない。
ならば、いる意味なんてない。
私がいない間、自分のフロアは、無茶苦茶になった。
何もかも、全て。
パートから社員になった先輩が、あんなに傲慢になっていくなんて。
露骨に現れてきた、本当の暗の部分………それを知ったとき、とても悲しかった。
吹っ切れたのは、7月に入ってからだった。
後輩・Aのシカトな態度を知ってから。
所詮、ガキはガキだった。
これ以上、ワヤな奴らと張り合うつもりもない。
自分から身を引く決意を出した。
けれど、次の進路が決まっていない。
どう見つけるべきか??
未だ、見つかっていない。
つづく(かもしれない?!)
母の手術は、無事に終わりました。
けれど、がん細胞が、まさかのstage3。
明確には言いませんでしたが、ほぼ進行性に近い癌でした。
一気に細胞を殺す為に、抗ガン剤投与が決まりました。
今日は、抗ガン剤投与の2回目までについて、振り返ります。
正直、私の中では、
抗ガン剤治療をする=余命宣告
というイメージが強かった。
けれど、実際に治療を続けてゆくことで気付いたのだが、それは、昔の癌治療のことであって、今はかなり進歩しているそうだ。
副作用の代表的な例で言えば、激しい嘔吐。
今は、嘔吐を抑える薬が出ており、昔と比較すれば進化はしている。
けれど、脱毛、口内炎、激しい倦怠感、時には、高熱に襲われることも。
母は、逃げなかった。
前向きに、ガンと向き合った。
だが、疑いの当初は、不安を隠しきれず、毎日のように泣いていた。
今なら、最初の絶望感が晴れなければ、滞りなくガン治療を続けられなかっただろう。
晴れたのは、手術前日ギリギリだった。
再び病院に戻る車の中で、短く切った母の髪を見て、
ヤマヒロみたいになるんや~、と、私が口にすると、
そや、ヤマヒロみたいになるんやで~、と、軽快に笑い飛ばす母。
覚悟は出来てるな…と、確信した。
1回目の投与で、70%近くの髪を失った。
白髪は全て抜け切った。
黒く生え変わるんや~と、1年後の自分に期待を馳せる母。
ヤマヒロさんみたいなおぼろ昆布状態のまま、外出時はウイッグ着用をしている。
投与中の食事は、ほぼ肉抜き。
魚や野菜類、特にスイカやゼリー、お粥ものを食べていた。
ご飯などの固形物は、あまり受け付け難い。
青汁も果敢に挑戦した。今や主食にするほど、毎日飲んでいる。
一番悩みだった便通と口内炎問題。
やはり、抗ガン剤の成分を含まれているからか、今まで気にしていなかった皮膚のただれが、一気に進行した。
(投与中、食べられなかった理由の一つが、口内炎でもある)
そこで、便通を打破すべき、液体を錠剤へ変えてもらったり、赤ちゃん用のお尻拭きを用意したり、より水分補給をマメにしたり。
肌の強かった母の、一つの盲点でもあった。
まだまだ伝えきれないくらい、とにかく、色んなことがあった。
ガンの闘いは、母だけではない。
家族皆の闘いだった。
仕事を蹴ってまで、母の代わりに、家のことを率先してきた。
不器用な弟も、力を貸してくれた。
そんな中で、
母のガンをきっかけに、今の自分の生き方に疑問を抱くようになった。
希望も、未来さえもない現場で、いつまでも全力を注ぎ続けている自分が馬鹿らしくなった。
悩みは続いた。
眠れない時もあった。
そして、自分なりに結論を出した。
この現場を辞めよう。と…。
派遣からバイトとして移籍出来た恩のきっかけになった部長殿は、もういない。
ならば、いる意味なんてない。
私がいない間、自分のフロアは、無茶苦茶になった。
何もかも、全て。
パートから社員になった先輩が、あんなに傲慢になっていくなんて。
露骨に現れてきた、本当の暗の部分………それを知ったとき、とても悲しかった。
吹っ切れたのは、7月に入ってからだった。
後輩・Aのシカトな態度を知ってから。
所詮、ガキはガキだった。
これ以上、ワヤな奴らと張り合うつもりもない。
自分から身を引く決意を出した。
けれど、次の進路が決まっていない。
どう見つけるべきか??
未だ、見つかっていない。
つづく(かもしれない?!)