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最近、更新疎らになりますが、宜しくお願いします。

それぞれの旅路

2021-03-28 | 日々是日記
仙田和吉さんが、MBSを退社されるというニュースを耳にして、ふと思い出したことがあった。

私がセンちゃんの名前を知ったのは、ラジオ番組表という雑誌から。
「変わった苗字やなぁ~」
と、強いインパクトを残したものの、
当時はLF(ニッポン放送)やラジオたんぱ(現・NIKKEI)に目を光らせていた。
けれど、センちゃんの名前だけは、心の中の記憶に残っていた。

残って、残って、気が付いたら、2001年の春を迎えていた。

社会人二年目になり、慣れない仕事に苦労して、生きることに疲れていた。
休みの日、家でネットサーフィンをしていると、
MBSのアナウンス室のホームページを閲覧していると、
見覚えのある名前が載っていた。
センちゃんが三月にMBSに移籍されていたのだ。
驚きを隠せなかった。
変わった苗字という強いインパクトだけ残っていた人が、
まさか地元のアナウンサーとして存在するなんて、
全く考えもしていなかった。

ところが、仕事に煮詰まり、生きることに疲れた自分は、
地元から離れたい気持ちが強くなって、
五年ほど大阪を離れてしまった。

今思えば、若気の至りだったのかもしれない。
父の余命宣告の知らせを聞いた頃、
自分は既に身体も心もボロボロの状態だった。

三か月ほど、テレビを見ず、ラジオを聞かない日々が続いた。
とにかく、再び地元で仕事をする為の時間が必要だった。
うつの闇から抜け出すことで精一杯だった気がする。

帰阪して二年目の初夏。
愛用していたMDウォークマンが使えなくなって、
この頃から聴覚過敏の兆候が出て、
常に耳栓がないと、精神的に落ち着けずにいた。
そこで再び、ポケットラジオを聴く習慣が始まった。
※何故か、朝の通勤時間だけは聴いていました…※

自然と、プロ野球中継を聴いて、タイガースの勝敗に一喜一憂していた。
そこで、初めてセンちゃんの野球実況を聴くことになる。
流暢。心地よいリズミカルさ。前向きに、時には熱く鼓舞したり、
時には、予測しながら実況したり、
随所に取材の小ネタを挿んだり、
いつしか、自分はセンちゃんの実況の虜になっていた。

帰阪後、どれだけセンちゃんの実況に励まされ、支えられていたのだろうか。
感謝しきれないくらい、沢山の思い出があった。

一番、印象に残っているのは、
2011年の高松宮記念の実況だ。
東日本大震災直後の復興競馬でもあり、
このレースの直前にお父様が亡くなったり、
場所は阪神競馬場とは言えど、
センちゃんにとっては、特別な思いがあったのかもしれない。
今でも忘れない、魂の叫びを。


そんなセンちゃんが、突然、MBSを辞めるという知らせを知った瞬間、
自分はこれから何の為に生きていけばいいのか?
頭の中が真っ白になってしまった。
正直、訳が分からなかった。

一年前、
世界中がコロナ渦に振り回される中、
MBSのスポーツアナの後釜が育たないことに危惧したことを
Twitterで呟いたことがあった。

『センちゃんが現役を辞めたら、(MBSのアナを)追うのは止める』

…まさか、この呟きが、現実になってしまうとは。

自責の念に駆られてしまった。
自分の勝手な言動で、センちゃんの実況アナとしての生命を絶ってしまったのではないか!?

暫く立ち直れなかった。

複雑な思いを抱えたまま、センちゃんの最後の実況の日の朝を迎えようとしている。


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