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Y:youth part6後編

Y:youth part6後編

さて、やっと出演舞台の話になります。

D地区というのが私たちの地区でそこの高校はそれぞれ演劇部が盛んでした。
吉田先生という大変熱心な先生がいて、そこで感化?された複数の先生方が演劇の面白さに目覚め、各高校に散らばっていって、それぞれの演劇部を盛り上げたようです。

僕のいた牧野高校は吉田先生がいた当時とても強くなり、その後枚方高校に先生が移られてまたそこの高校が強くなり、と言うような状況でした。

僕の記憶が正しければ、三校合同でやった公演でした。
劇団名は「決戦日和(けっせんびより)」旗揚げ下げ公演として、牧野にある普通の会館、阪会館に、照明機材や発電機、イントレなどを持ち込んでやりました。

今考えるとすごいですね。
そのときの主力は枚方高校演劇部の方たちで、今も活動を続けているみたいです。

照明さん http://www.lt-lepus.jp/
演  出 http://flor.ifdef.jp/

さて、肝心の9番目の舞台、演目は「明日は天気になる」(作:松田正隆)です。

松田正隆さんは、今一番有名なのは「美しい夏キリシマ」「紙谷悦子の青春」(黒木和雄監督作品)の脚本かな、と思います。
プロフィールはこちら。http://www.marebito.org/company.html#matsuda

松田さんの作品は、高三の文化祭の時に演劇部の「海と日傘」(http://www.amazon.co.jp/%E6%B5%B7%E3%81%A8%E6%97%A5%E5%82%98-%E6%9D%BE%E7%94%B0-%E6%AD%A3%E9%9A%86/dp/4560033838")を見てもの凄くファンになっていました。
高校生が演じたのに、です。

いや、もちろんこのときの演劇部もとっても頑張っていましたし、だからこそ実際感動したのですが、
これは小津監督作品のような味わいで、普通に考えて高校生の人生経験だけでやれるようなものではない。
(そう考えると主演の2年二人はよう頑張ったな。)
それでもなお、何か心に響くものがあったのです。ヒロインの愛情に惚れました。こんな風に愛されたいな、と。

もっと驚くことに、後に僕はこの「海と日傘」を当の松田さん企画で劇場の担当としてプロデュースに関わるのです。
チラシがこちら(http://kogag.air-nifty.com/greenroom/2004/08/20033.html)
もうだいぶ前になるのでHPでは残っていません。

さて、この「明日は天気になる」は「海と日傘」のように日常が淡々と描かれます。でもとてもユーモラスで楽しい作品でした。

めぞん一刻のようなアパートにヒロインがやってきて住人たちがなんやかやと騒動する感じの話でした。
メインは男三人組で、この人たちを軸に芝居が進み、住人たちがいろいろと描かれる。

僕がやった役は木下役です。郵便局員だったかな。
ヒロインに最初は好かれ、結局最後は振られている、という、またまた優男でした。
中身が薄いのを見抜かれて振られるのだろうか。実人生も似ているような・・・。

ヒロインを演出もやっていたT森さんがやるのですが、いろいろと説教されたことを思い出します。
もっと真剣にやれと。

あのころはまた、やりたいことは何でもやる症状が出ていて、草サッカーチームの練習でてんやわんやでした。

端役だし文化祭のようにやればいい、と考えていた僕は、クラス劇で感じていたのとは逆のカルチャーショックを受けます。
みんな当然ですがものすごく一生懸命。

ジブリの「耳をすませば」に出てきそうな図書館:御殿山美術センターで遅くまで稽古していたことを思い出します。

ロビーの地べたで、T森さんと二人、みっちりやらされました。
(稽古時間が相対的に少なかったので、僕が居る時は優先的にやってもらったのです。)

この作品では、いろいろと初めてのことが多かったです。
まず、はじめて二回上演をしました。
そんなにだいじょうぶだろう、と高をくくっていましたが、案の定、二回目は集中力が少し欠けました。

また、消え物(基本飲食物)もはじめて使いました。カステラをヒロインが分けてくれるのですが、明らかに僕のだけ大きい、というシーンです。

演出に稽古をつけてもらいました。それまではクラス劇なので、演出がいても当然そんなに指示は出されず、勝手に我流でやっていました。
そんなに演出自体は覚えていないんですが、彼女とよく話をしたのは覚えています。
牧野高校で稽古したりしていたので、駅まで何回か送ったからかな。

その9番目の舞台から、一つの芝居が解散する時に別れの挨拶で、「また別の舞台で」と言い始めたのですが、
まさかほんとにこんなに芝居を続けるとは思っても見ませんでした。

そうそう。気づいたこと、ではないですが、関西弁のアクセントがセリフに混じる、ということを、演劇部の後輩(正確には俺は入部していないので彼女は後輩ではない)に指摘されました。

そのときはうるさいな、と思いましたがこれ、気になる人は多いみたいです。
最新公演(といっても2006年)のポストトークでも聞かれました。
このときは枚方というベッドタウン特有のモザイクのような言語環境からわざと混ざった感じの言葉にしました。

あと、寄り道ついでにホリーズカフェでいきなり隣の人に「変な標準語を使わないでくれ」というような指摘を受けたことがありました。
当初、僕は興奮してくると声が大きくなるので(2006年4月の「ジュリエット」の衣装の打ち合わせだったと思います)、それで反感を買ったのかと思っていましたが、どうやら違うようでした。

たぶん仕事のときは標準語らしきものを使うのだと思います。もっというと、人の喋りや読んでいるものの喋りがうつるのです。
中三のとき、しぶ君という友達が関西弁真っ只中の環境で、かたくなに標準語を喋り続けていた時、
逆に僕の方に彼の標準語がうつってきて、変な喋りになってました。「~なんだよ」とか。

こうして(かなり寄り道したが)9番目の公演により、言葉というものに大変興味を持ち今もそれは続いています。
そして何よりも、演劇を真剣にやること、そして真剣に作る人たちと作業する楽しみを発見したのでした。
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