すみません、また遅れてしまいました。
季節柄、お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、助成金書きをしていて、とあるプロジェクト、というのはまだ内緒にしたいのですが、下記、書かないといけない自己PR を載せておきます。
自分の出生や人生、何を演劇でやってきて、今何をやりたいのか、なぜやりたいのか、整理しておりました。
伝統の京都、商売の大阪という対照的な二大都市の中間地枚方で育つ。ベッドタウンゆえに様々な背景の人々が生活する街で、母から聖書教育を受け、周囲が他者に合わせ決定までも委ねる中、「人は各々自分の荷を負う」という個人主義を信念として孤高の小学生時代を歩む。10歳の文化祭で「ヒラメのムニエル」と言うセリフを当該料理を知らないため言えなかった事から、セリフを発話するメカニズムに興味を持つ。13歳の文化祭で長台詞を攻略するために、高畑勲監督『おもひでぽろぽろ』で主人公が身振りに活路を見出したのを模範にして上手くいき、5年連続で文化祭演劇に関わり一年に一回芝居するというペースが確立する。
「ことば」の奥深いところにあるものを見つけ出そうとして、表に現れることと現れないが根底に核としてあるものを交ぜ、俳優の身体を通し顕在化する。想像力・妄想力を働かせて、表面的なものからその内奥に潜む深いドラマを引き出そうと根気強く粘る。それゆえ、1音で意味が変化する日本語にこだわり、音の高低・強弱・大小・長短を作り出すため1分のシーンに2時間かけることもある。
論理性にこだわり、例えば「・・・」のような沈黙にも、何かをやっているから無言になる、と言う風に、具体的な原因があって動きやセリフがあるという信念を持つ。偶然からは何も生まれないと思うので進化論は全く信じておらず、神が創られた人間を素材に、ベラスケスやフェルメールの絵画構成を舞台構築や俳優の身体的造形に組み込むことを目指し手数の多い動作を科す。俳優にとっては外形に引きずられがちになるが、それは俳優自身が気づかずにいる自身の肉体の在り様に目を向けさせる。同時に日常、俳優が行動しているその身振りを使うことで舞台上でのリアルを担保する。イメージ豊かで拡がりを持つ舞台空間を創造するため、これまでアントニオ・ガウディの自然模倣やルネ・マグリットの発想力にインスパイアされてきた。