あおぞらのもと、原っぱをゆこう。2

そらうたうたい 石綿 芳美 のブログ

うたは祈り。

2011-06-29 15:46:16 | 音楽
わたしは、本を読むのはたいてい、パッと開いたページから読むのです。
(だからストーリーのない本が好ましいですw)


パッと開いて、自分の感性と寄り添えば、引き込まれるし、多分、自分に必要なことがどこかに書いてあるのだろうと思います。

最近は、もう一度自分の好きな思想ルーツに戻ってみようと思ってネイティブアメリカン関係の本を読んでみたりしてました。

その中でこんなくだりとことばとに出会いました。

………

オホホホ へへへ ヘイヤ ヘイヤ

オホホホ へへへ ヘイヤ ヘイヤ

エオ ラド エオ ラド エオ ラド ナセ

ホワニ ホウ オウオウ オーエ

エオ ラド エオ ラド エオ ラド ナセ

ホワニ ホウ オウオウ オーエ

ホワニ ホワニ ホウ ヘイエイエイエ イエイエヤーヒ

…(後略)…

これは「夜の歌」と題される、ナバホ族の儀式歌の一部である。だがごらんのように、音声だけで、コトバがない。詩人のジェローム・ローゼンバーグはこれに注釈して、たぶん途中に、たとえば「雨が降ってきて、トウモロコシが芽を吹く」という意味の「コトバ」が(おそらくリフレーンとして)、挿入されるはずだといっている。そうすると、これは一種の雨乞いの歌になる。

ローゼンバーグはまた、こんなエピソードも書いている。あるとき、「なぜ意味のない音だけの歌を歌うのか」と一人の白人神父が「音だけの歌」についてナバホの男に訊ねた。するとその男、答えて言ったそうである。「むしろコトバには意味がない。けれどこの歌にはちゃんと意味がある。それは『さあ、もって行きな。欲しけりゃきみにあげるよ』と言ってるんだよ」と。

……「魔法としての言葉 アメリカ・インディアンの口承詩」 金関寿夫より



「音だけの歌」は神さまたち(スピリット、精霊たち)に通ずるのでしょう。

江本勝さんの「水は答えを知っている」によれば、音の波動の、同じ周波数は引き合います。
さらには周波数が倍になるオクターブ上も共鳴し引き合います。
それは無限に倍にしていっても共鳴するのです。
つまり簡単にいえば、どこまでいってもドのオクターブはド、何オクターブ上でも、人の耳には聞こえなくなっても。。

グレートスピリット、偉大なる精霊の存在、それは人の耳にはキャッチできない高い波動の音など、人の五感には捉えることができない世界がある、という事実から、否定はできないでしょう。
たとえば現にコウモリにわかる周波数の範囲は人よりもっとありますね。

感知できないだけで、実は在る…それがネイティブアメリカンいうところのスピリット、精霊たち、日本では八百万の神さまへの意識に通じる…

精霊たち、神さまたちが、共鳴する波動のうた声(音)をキャッチして、祈りが届く、ということはあるとおもうのです。


共鳴する音…歌は、実は、祈りとなっているのでしょう。。
それはたぶん、人間にとっても「いいなぁ」とうっとりする、こころおだやかになる音(声)なのでしょう。



同じくこの本の中の「魔法のことば」というエスキモーの詩にあるように

ずっと、ずっと大昔人と動物がともにこの世に住んでいたとき
……

…みんながおなじことばをしゃべっていた。
その時ことばは、みな魔法のことばで、……
ぐうぜん口をついて出たことばが
不思議な結果をおこすことがあった。
ことばは急に生命をもちだし
人が望んだことがほんとにおこったー

……



ことばは言霊でもあるわけだけれど、
魔法をもってることばは、人間だけに通じる類なことばじゃないのですね。


地球上(宇宙も)のみんなが共有できる愛の波動をもったことばが、グレートスピリットに届く魔法の力をもつのですね。

鳥がさえずれば、届くのでしょう。動物たちはすでに超能力の使い手でしょう。


「音だけの歌」に意味がある。というのは、音が祈りであり魔法であるからということでしょう。