今日からまた『黄長はかく語りき』を続ける。単独インタビューに向けた動きがようやく動き出した。
□初めての接触
韓国に滞在中、「脱北者同志会」から連絡を受けた。黄長氏が会う、というのだ。指定された場所はソウル市内江南区に建つオフィスビルの8階の一室だった。時間は午前8時。
会う、というのはインタビューが可能ということなのか判断しかねた。国家情報院から警察に警護主体が移行されたからといって自由に接触できるようになった、ということでもないらしい。相変わらず黄長氏の前後左右には私服が取り囲み、状態だけを見れば以前よりも厳しくなった、というのがもっぱらだった。
だとすれば、カメラなどを持ち込むことは不可能に近い。警備陣に対する事前の了解などしかるべき段取りを踏むならともかく、会う、という意味は単に表敬訪問の意味合いが強かった。しかし私は満足した。まずなんといっても会うことからしか物事は進まないことを身をもって知っていたからだ。
ビルの玄関を入るとロビーが広がっていた。各階に構える会社や事務所に向かうサラリーマンがエレベーターに走る。どこでも見慣れた出勤風景だが、時折異質な雰囲気が漂うことがある。それは黄長氏が姿を現すときだ。
そのときになると黒っぽい背広を着込み、耳からはイヤホーンのコードを覗かせた屈強な男たちがエレベーター周辺にやってくる。しばらくすると別の3、4人に囲まれた小柄な人物がエレベーターに乗る。この朝は黒のロングコートに中折帽子という装いだったが、彼こそ黄長氏その人だった。
上昇を始めたエレベーターは8階で停まる。中国語講座などと案内板にはあるが実際はある私立大学が借りている事務所。黄長氏はそこで名誉顧問という立場を得て特別に一部屋を使用している。
事務所に入っても屈強な男たちの視線が交差する。私たちがいるせいだ。身元確認のための名刺を差し出し、鞄の中がチェックされ、体の上を金属探知器が上下する。私の鞄からデジタルカメラが取り出され、上着のポケットの小型録音機も机の上に並ぶ。AV機器の一切が持ち込み禁止なのだ。いかに黄長氏が重要な(危険な?)人物なのかが即座に伝わってくる。
部屋に案内された。正面に座った黄長氏は胸の内ポケットから補聴器を取り出すと、おもむろに耳に差し込んだ。私はすでに送ってある手紙に書いた中身を繰り返し伝え、協力を求めた。黄長氏は私が聞きたいとして列挙した質問の内容を小さな黒表紙のノートに書き留めながら、ときおり「その質問は止めておきましょう」「それはまだ時期尚早ですからいいたくないです」と断った。
こうして文字通り膝を詰めた話し合いの結果、黄長氏単独インタビューの骨格が固まったのだった。だが、話はそこまで。約束された日まで時間はまだあった。(以下第7回に続く)
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