私の購読紙のひとつである『朝日新聞』社会面の左下に〈青鉛筆〉という欄がある。そこに今日、「川上犬」のことが載っていた。
《以下引用》
「長野県天然記念物の「川上犬」の子犬3匹が15日から1月9日まで、来年の干支(えと)にちなんで東京・上野の上野動物園で公開される。公開されるのは生後3ヶ月の3姉妹。象などが命令で殺された悲劇のあった上野動物園が村に打診した」(12月13日『朝日新聞』)《引用ここまで》
当時は川上村と同じ南佐久郡だった村に生まれた私は、子供のころに川上犬の話を聞いたことがあった。決していい話ではなく、何でも戦時中には食糧難から殺されてしまった、ということだった。もうすっかり忘れていたが、この記事を読んで、かすかに記憶が蘇った。
〈青鉛筆〉によると、川上犬はやはり食糧難から軍の命令で処分された。戦後になって村の保存会が繁殖に奔走した結果、いまでは全国で約300匹が飼育されている、という。
上野動物園からの打診に対して、川上村の藤原忠彦村長は「川上犬は戦争と動物の関わりを伝える生きた文化財です」とコメントしている。
なぜ、この記事に興味を持ったのか、といえば、2~3日前に韓国の友人と長話をした際に、その友人がこんな話を知ってますか、といって話してくれたのが、やはり犬の話題だった。
韓国には、国を代表する犬として「珍島犬」がいる。全羅道の珍島という島が原産地で、日本の秋田犬や柴犬に似た精悍な表情をした犬だ。天然記念物に指定されている犬でもある。
ところが友人がいうには、韓国を代表する犬は珍島犬だけではない、もう一種類ある、というのだ。そしていま韓国では、もう一種類の犬の話題で賑わっていて、例えば国会では、その犬の保護・育成のための法案が提出されたり、また来年行われる野党の党首選挙に、現職候補が珍島犬をマスコットにしたかと思えば、対する相手候補はもう一種類の犬をマスコットにするといった案配なのだ、という。
いったいその犬はどんな種類なの、と聞くと、「サプサル犬」といって、わかりやすくいえばむく犬だ、という。毛が長々、ふさふさの犬なの、と問えばそうだ、という。そしてこの犬、実は日本とも深いつながりを持っていた、と韓国の友人はいうのだ。
例えば日本各地の神社入り口に座るこま犬、これはもともとこのサプサル犬がモデルになったもので、それほどに当時の韓国(正確には李朝時代もしくは大韓帝国時代)には、たくさんのサプサル犬がいたということの証明なんだ、と強調する。
だが残念なことに、日本が韓国を植民地統治していたあの時代、朝鮮総督府はこのサプサル犬の提出を命じ、皮は防寒具に、肉は食用にしてしまった。日本の犬といえば、戦前に天然記念物に指定された6犬種、秋田犬、柴犬、甲斐犬、紀州犬、四国犬、北海道犬がいる。そういった日本犬に比べれば、サプサル犬は姿や形が大いに違う。だからそういう朝鮮的なものを嫌ったんじゃないんですか、とあっけらかんとした声で友人は解説した。
こうしてサプサル犬は、日本の植民地時代の受難や、その後に起きた朝鮮戦争によって絶滅の危機種とされてきた。
しかし1960年代中盤、韓国・慶北大学の遺伝子工学の教授たちが、このサプサル犬を今一度固有種として蘇らそうと、大学の先輩・後輩の獣医たちを総動員して韓国中から情報を収集した結果、30匹のサプサル犬の生存が確認できた、という。
このサプサル犬だが、新羅の時代から〈僻邪進慶〉ともてはやされ、祭りのときには邪の気運を退け、慶事を迎える動物の象徴とされてきた。その容貌は、といえば、長い毛に覆われ、その間から目を覗かせる滑稽な表情は、韓国人の情緒をそのまま表している、という。また嗅覚、聴覚、視覚、触覚といった基本感覚や、命令語に対する言語知覚能力はシェパード並みで、セラピー犬としても有能なのだ、という。1992年には天然記念物に指定され、れっきとした国を代表する犬としての地位を回復した。
最初30匹だったサプサル犬も、いまでは全国で2500匹に増えた。その陰には絶滅の危機種から蘇らせようと、育種に励んだ人たちがいた。慶北大学遺伝子工学科の河智鴻(ハ・ジホン)教授を中心としたグループで、人工授精などの方法をまじえながらこの20年の間に、8匹のサプサル犬を500匹まで増やした実績を持つ。農場ではその500匹のサプサル犬が元気に飛び回っている、という。
上野動物園と象もそうだったし、川上村の川上犬もそう、韓国のサプサル犬もまた同じ歴史を背負った。人間のさまざまな「欲」が動物を死に追いやり、絶滅の危機種に追いやってきたのだ。だが、ようやくというべきか、人間もそのような「愚かさ」から立ち直り始めてもいる。
この15日から上野動物園で公開されるという川上犬だが、川上犬が背負った歴史もまた同時に公開して欲しいものだ、と思う。川上犬のさらなる繁殖のためにも、である。
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