ひとりはカメラマンの福井光男さん。彼は私がTBSの報道番組『報道特集』に関わっていた10年間の間に、何度となく一緒に仕事をした。一番最初の仕事は、南太平洋の島「ツバル」に、ずさんなODA発注工事の現場を見たときに一緒だった。小柄だが、タフなカメラワークにとても感心した。たとえ私のインタビューが長引いても、本当にじっくりと構えながら撮影に集中していた。ニュースばかりやってきたカメラマンは、どこか集中力が短い。長々とインタビューするのには耐えられない、という人が多い。福井さんは決してニュースのカメラマンではなかったが、日常的にはTBSニュースをになっていた。そのときのディレクターは気の短い男で、長々とした私のインタビューが終わって、さぁ、帰ろうという段になった途端、怒り始めたものだ。
それから10年が経ち、私の最後の番組となったキューバにある米海軍基地グアンタナモ収容所取材の時も、福井さんがカメラマンだった。もうその頃になると、気心も知れ、よく呑みに赤坂の街を歩いたものだが、グアンタナモ取材は緊張した。アブグレイブ刑務所での虐待事件と、それを記録したおぞましい写真が世界中に出回っていたころで、基地側は「グアンタナモにはそんな虐待は一切ない」ということを言いたくて、われわれへの取材許可を出していた。何もないというのは本当だろうか?そこが取材の焦点でもあった。7日間という基地内での滞在だったが、事前の準備もあり、グアンタナモでの虐待の事実をつかんだ。
番組を辞めたあとも、回数は減ったとはいえ、福井さんとは相変わらず飲み仲間だった。あるとき、夜中の電話だったが私の携帯電話が鳴った。酔っぱらった福井さんが「とうとうオレもガンになってしまったよ」と叫んだ。驚いたが、それは事実だった。それから2年ぐらいかなぁ。最近はどうしているかなぁ、と福井さんをよく知っている他のカメラマンと一緒に仕事をしたときなど聞いたものだが、元気にしているようですよ、などというので、ついついかまけていたときの訃報だった。
訃報は同行していたカメラマンから島で聞いた。どうしようもなかった。
訃報のもうひとりは、旧ソ連崩壊直前まで副大統領をしていたゲンナジー・ヤナーエフだった。1991年8月の3日天下と言われたクーデター首謀者のひとりだったが、2年半あまりだったか、刑務所暮らしから生還した時に長時間インタビューをした。ゴルバチョフとの権力闘争をしてきた割には憎めない人格で、気が合った。近々このブログで、インタビューの全貌を載せてみたいと思う。
3人目の訃報は、北朝鮮亡命者のファン・ジャンヨプだった。主体思想哲学を生んだ人物で、金日成に仕えていたが、彼の死後を継いだ金正日に愛想を尽かし韓国の亡命したものの、金大中、盧武鉉という2代続いた「太陽政策」の下では自由な発言も出来ず呻吟した。その彼との単独インタビューが実現し、亡命のいきさつだけではなく、金正日による「赤化統一」のシナリオなども聞いた。分析は鋭く、1時間しか許されないインタビューだったが、終わったときには緊張が解けて、何を聞いたのか忘れてしまった、という体験もした。このインタビューの全貌も近々このブログでお伝えしたいと思う。
そんなわけで、この1ヶ月間で3人の方々が亡くなった。心から冥福を祈りたいと思う。合掌。
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