ひきこもりの日常

現在、きまぐれ不定期です。

『本田静六 自伝 体験八十五年』 (実業之日本社)

2006-06-28 22:43:37 | Weblog
この本の本田博士の体験が良かったのはもちろんの事、最後に書かれている神田昌典(どこかで見たなあと思うと、総合医療の大塚晃志郎のリンクにあるブログでした。 敬称略)の解説も、私が書くのもなんですが、見事だと思います。

本田氏というと、努力の結果林学者としても、後藤新平や渋沢栄一との交流も著名ですが、今はむしろ収入の四分の一貯蓄法で巨万の富を築いたので脚光を浴びていると思います。私も現金なものでこの蓄財法で関心を持ちました。

神田氏の解説で今まで気づかなかった、単純なことに、目から鱗のような感がしたのですが、でも私に想像力が足りなかったのだと思います。本田博士が収入の4分の1を株や山林に投資して、儲けたお金をまた貯金、その繰り返しだと思いますが、本田氏が生きた時代は日清戦争、第一次世界大戦とバブルの時なんですね。だから利益が出し易かったのでしょうけれど、NY発の世界恐慌でも没落しなかったのは、また地味な4分の1貯蓄法だったようです。

想像力を働かせれば、恐らく今でいう株や証拠金取引をデイトレ、全力買いをすれば大儲けしていた人も見ていたと思いますが、本田氏はそれをしなかった。地道な方法(ドイツ留学中に畑違いの経済学博士を得たので、そこからヒントを得た4分の1貯蓄法のようですが)で誘惑に惑わされる事無く、しかも儲けた巨万の富を寄付した。
引き際も鮮やか。

この本の題名の体験八十五年というのは、博士の生前中につけたものか、それとも今の平成につけたものかは分かりませんが、博士も書いていらっしゃいますが、体験を通すことによって、大きくは間違うことはないということのようですね。

私自身の今の心境では、インターネットで確かに便利になったのですが、あまりにもブログやグーグル上位に入るなど情報が膨大になって、却って実際に役立てようとする選択が難しくなったように思います。膨大な情報はインターネットが始まる以前からもあったと思いますが、メディアリテラシーというのも体験が大いに軸足になっているように思います。

あまり纏まっていない読後感だと思いますが、こう思いました。

大竹文雄 著 経済学的思考のセンス (中公新書)

2006-06-28 22:00:28 | Weblog
以前大竹氏の日経新聞の記事で、ど素人がケチをつけてしまったのです。(こちら
この方の本はホットなようですし、気になっていました。図書館で借りましたが、2~3ヶ月ほどまちました。

表題に『お金がない人を助けるには』とありこれは再分配の見方、身近なところから経済を考える(たとえばイイ男は結婚しているか?、大学教授を働かせるには? など)視点を与えてくれています。

経済の基本的な考え方の需給曲線はたしか中学の終わり頃に習ったと思いますが、それからいかにやる気を出すか?(著書ではインセンティブという表現が使われていました)、いかに現状に置かれている人たちの環境がやる気を出すものか?もしくはそうではないか?

以前身近な問題にも学者が、噛み砕いて書いて欲しい、というようなことを書きましたが(こちら)、大竹氏自身すでに書かれていると思います。随分と前に軽率なことを書いたと思います。失礼します。

しばらくネットから、遠ざかっています。

2006-06-20 20:49:05 | Weblog
10日ぶりほどのネットです。いきなりですが今は家を離れて、近畿のはずれで生活しています。

毎日部屋にずっといる生活は、実はここでもなのですが、ネットからしばらく離れるのは最初の数日は気になっていましたが、今は少し心地が良いとも感じます。ネットに接続したからといって別にどうすることもなくただ見る習慣になっているHPをダウンロードするだけなのですが、情報に対して中毒ぎみになっていたようにも思えます。

近畿のはずれにいるのは、大きくは家(とその地域)の環境に耐えられなくなってしまったからですが、ひきこもりと職に関連した活動でご縁があったからです。職に関しては今年中にはきちんと収入を得るのは置いといて、ゆるりと心身ともに落ち着いてから活動するつもりです。

近畿のはずれといっても、ど田舎というわけではなく、単に大都市近郊からははずれているというだけで、関西以外の文化との境目でもあり、家の大阪近郊の方が高齢化が進んでいるくらいです。家の地域は昼間はここ数年に定年退職した老人人口が急激に増えているようですから。

住処を変えてみたとはいえ、私がマイナス思考のためか、日本の空気がかつてに比べ殺伐としているせいか、なんかシンドサは相変わらず感じます。たとえば、道を歩いているとすると、目があったとすると、人は手を上げて合図をします。ここ数年前くらいまでこんなボディランゲージは確か流行っていなかったと思うのですが、私はこれが好きではないので殆どしませんが、私がしないと人は咳払いや鼻すすり、はたまたいい大人がこれ見よがしに唾を吐いたり、明らかに嫌悪感を示すようですね。

まあ昔から道端にごみを捨てたり、公共空間を汚すことには、シンガポールみたいにガムを捨てたら罰金とかのようなルールはないし(最近は千代田区のタバコ禁止条例があるようですが)、言葉以外の言語化できにくいところで人が傷つき会っているような空気があるのでは、と私は思っているんですね。マスコミでは世知辛い世の中などと住みにくさを今の時代の代名詞のようにいっていますが、住みにくいのは若年層の雇用や年金や単に経済問題だけではなく、日々の生活で鏡にしたいような、関西弁でいえば『ええかんじ』の人が減ってきているような気もします。


漫画喫茶から書き込みました。ちょっとフリーメールを見て、お気に入りブログをほんの少し見ると、すぐに1時間がすぎてしまいました。一応ネット喫茶に来る前にやることはノートにメモしてきたのですが。これからセキュリティーのため、履歴とCookieの削除をして、帰ろうと思います。相変わらず私的な、チラシの裏落書き的なブログを読んでくださった方は、ありがとうございます。
次の書き込みはまた不定期です。

ブログ滞り気味ですが

2006-06-07 14:46:07 | Weblog
今は何か書こうと思う心境に、ならないんです。

私だけ宿替えをと予定しているものの、なかなか進まずですが、また書いていこうと思います。外出用にノートパソコンの購入を考えていますが、優柔不断で迷います。

今週も琵琶湖畔の町に行く予定ですが、JRの電車に乗ると昔は同年代の学生がうるさいなと思っていたのですが、高校生は確かに集まれば男女共うるさいのですが、悪意はあまり感じない。

大学生くらいから団塊の世代までとは留まらず、かなり年配まで性質の悪さは感じます。いつも感じているように必要のない咳払いや絶妙な距離での鼻すすりばかりする層に思います。優れた理性の持ち主と思っても、そういう人間が回りにいるせいでしょうか?

キレる若者というアドバルーンが定着しつつもあるようですが、凶悪犯罪が一番多かったのは団塊の世代くらいですね。統計もあるし。私はもう常識ですが、そんな前提はまず一般にはないようですから。

まあもちろん人によるのですが、その落差が激しいです。
まあ文句ばかり言ってても仕方がありませんが、せめて自分が嫌だと思う人間は無意識にマネしないように気をつけたいです。

数日ぶりのネット

2006-06-02 23:44:15 | Weblog
『ひきこもり』と『職』の関連で、琵琶湖畔の町へしばらく行って、帰ってきました。数日振りのネットです。
斉藤コーヒー店で当たったコロンビア(こちら)を持っていきました。

また、書こうと思います。