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鉄道、登山、動物、植物、グルメ、歴史、名所、読書といった内容で、焦点の定まらない内容となってしまうかも😅

品川問答河岸跡、利田神社、鯨塚

2022-09-01 21:37:00 | 東海道

ここから品川に入ります😀

右手に御殿山をみながら、八ツ山橋を経て京浜急行の踏切を超えて東海道を進みます。




八ツ山橋からの眺め。山手線、京浜東北線、東海道線が並びます😲

そして、京浜急行踏切へ。


やがて右側に問答河岸跡の碑です。


問答河岸は、かつて北品川の海岸にあった波止場の名前。三代将軍徳川家光が東海寺に訪れた際、沢庵和尚がこの辺りまで出迎えて禅問答をしたという話が『徳川実記』に記載されています。
家光の「海近くして東()海寺とはこれ如何に」という問いに、沢庵和尚は「大軍を率いても将(小)軍と言うが如し」と答えたと伝わります。
現在の問答河岸の碑は地元有志によって建てられたもので、実際の問答河岸はもう少し南に下ったあたりといわれています。


そこから海の方へ進むと、利田神社があります。境内には鯨塚も。

創建

1626

主祭神

市杵島姫命





利田神社は、江戸前期に沢庵和尚が弁財天(洲崎弁天)を祀ったことが始まりと伝わっています。もともとは旧目黒川の河口の海に突き出た砂洲に祀られていた弁天社で、江戸名所図会や歌川広重の浮世絵にも描かれています。明治に変わり利田神社となり、現在の祭神は市杵島姫命。利田の名は、当時この辺りの開発に尽力した利田利兵衛の姓から取ったものです。

境内にある鯨塚は、江戸を驚かせた三大動物の一つ「寛政の鯨」の骨を埋めた上に建てられた供養碑です。寛政10年(179851日、品川沖で体長九間一尺(約16.5メートル)、高さ六尺八寸(約2メートル)の鯨が現れ、品川の漁師たちが捕獲しました。この大鯨は江戸中の評判となり、11代将軍徳川家斉が浜御殿(現在の浜離宮恩賜庭園)で上覧されたほどの大騒ぎとなりました。


品川日の出の浮世絵😚



おしまい🙂