川崎宿京口を超えて進みます。やがて、芭蕉句碑が現れます。松尾芭蕉は、当時から有名人だからなのでしょうか。全国、至る所で見かける事ができ、それぞれに由来やエピソードがあったりします。では、句碑を見てみます。
草書体ですか?よくわかりませんが、側に解説があります。
麦の穂を たよりにつかむ 別れかな
弟子たちとの別れを詠んだ句です。
元禄七年(1694年)5月11日、芭蕉は、江戸深川の芭蕉庵をあとに、故郷である伊賀上野に向かいました。芭蕉を見送りに来た弟子たちは、名残を惜しんで、六郷川を渡って川崎宿に入り、この辺りで弟子たちと句を詠み合いました。
その先、京浜急行の踏切を超え、JR南武線の高架をくぐりますと八丁畷駅前です。この辺りの街道は、川崎の京口から西へ八丁(約870メートル)にわたり、畷といって田畑の中を真っ直ぐに伸びて市場村まで続いており、この辺りを八丁畷と呼んだという事です。
この辺りは、江戸時代と思われる多くの人骨が発見されるそうです。当時の様々な自然災害や飢饉、疫病などで命を落とした、身元不明の亡骸を川崎宿の外れのこの地にまとめて埋葬したようです。これらの供養碑が建っています。
おしまい😀