もうすぐ昼を迎えようとしていた如何にも古きよき
日本家屋というべき二階建てをしている広い木造の屋敷。
ひとりの年老いてはいるが表情からも凛とした感じが窺えるほど
立ち振る舞いはしっかりしている、かくしゃくとした男が
若いひとりの女性に連れられた一人の男児を見る。
けれど、その男の表情は何故かぜんぜん嬉しくは無さそうである。
嬉しそうなどころか、まるで
"朝っぱらから、この世で絶対に見たくないものを連れて来やがって"と言わんばかりの
不快さに満ちた怒りを漂わせている。これが並みの人なら
いくら鈍感なヤツでも、こういう手の修羅場になりかねない事は
流石に怒りを静めようと、とりあえずは謝罪の言葉とか
宥める姿勢とかに徹しようとかにするだろう。
何故なら、この老人はただの老人では無い。
この人の怒りを買ったら、この街での自分の将来は無い事を
この街の人ならば誰しもが、よく知っているし実際に彼の怒りを買うような事を
やらかして、彼による金と強権的な手段による制裁を受けて破滅したという事例もある。
なのにこの若い女性は、怖気づくどころか平然としている。
これは無知から来る身の程知らずなのか?それとも
高い地位にある男とあろう者が女である自分と、この子に手を上げられる訳が無かろうと
半ば舐めてかかった態度なのだろうか?
「この子は、貴方様の子です。どうか認知のほどを。」
女は言葉を発した。
「ふざけるな!」
男の方は声こそ小さいが唸るように憤怒を込めて反論する。
「何で認めてくれないのですか?」
女は抗弁する。
確かに、この男は丁度四年前ほどにこの女と知り合い抱いた事はある。
けれど、男の方ではキチンと避妊をしていたはずであったし
女の方も避妊薬を服用していたと思っていたのであった。
この男としてはこんな結果を招く根拠などあろうはずは無い。
女の方も引き下がらない。
遺伝子証明書を盾に要求する。
これ以上、この子を認知しなければ恥をかく結果を招くのはお前の方だと迫った。
結局の押し問答の結果、形式上の認知として苗字を名乗るのを認めた。
女の方はそれで喜んだ。だが、次の瞬間それはあまりにも非情だった。
それは、
・苗字を母方から父方の姓にする。但し戸籍上は婚外子。
・生活費・養育費も世間一般家庭と同水準しか与えぬし、その生活ぶりも
世間一般と著しく乖離している場合、依存心を断ち切り自立を促すためにも
生活費・養育費の供与は中止する。
・そのためにも生活費・養育費を何に使ったのか領収書の提供を要求する。
これを拒否すれば支払わない。
というモノである。
普通の者なら、"こんなの納得出来るか"と激怒するだろうが
この女にはそういう事が出来ぬ状況にはない理由がある。
何故ならこの女は、元が暮らしのあまり芳しくない家庭の出身である上に
田舎でも取り分けに位置する所の生まれで彼女のような境遇下の身が
どうしても人並みの暮らしを考えるには
普通の境遇に生まれた者と同じ事をしていたらとても出来ない事である。
ましてやこの女が自分の頭を振り絞って考えた方法というのが
自らの美貌と容姿を上手く使って高収入の男に取り入るというのであった。
その結果、自らの子をこさえてこの老人の前に認知を迫り自分はこの子の母親として
この家の実権を掌握できるかもしれないだろうという考えだった。
ところが世間に言わせれば女子供の考えとは悲しいかな、
有名で優れた政治家や文化人、スポーツ選手、芸能人などと比べ
それほど深くは無く熟した上での判断では無いという。
この女としては自分自身、学生時代じゃマドンナと形容されるほどの美人だったし
頭のレベルも当時の同世代の女子たちは元より、男子も目を見張るほどの優秀だった。
要するに少なくとも自分は、世の中からバカにされる謂れは無いという
自信とその裏付けるだけの実力と結果は学生時代も学校外でも残してある。
それでも彼女にとって自分に必要というのは、やはり資金力と地位である。
そう、周囲に自分の悪口を言わせず蔑みの目で見させないだけの力の裏づけだ。
そこで彼女なりに考えたのが、自分より金と地位のある男に取り入るという事だ。
そのためには、あえて子を持つという方法をしたのだ。
「言っておくが皆村加奈子。確かにワシは今は妻には先立たれてはいる。
だからといって貴様ごときに、この尾場勘吉の目の黒い内は
この家を好き放題させられると思うな!」
尾場勘吉と自ら名乗った老人は、皆村加奈子と呼ばれた三十を少し回った若い女性に対し
半ば攻撃的かつ排他的な口調で言った。
言外に「お前のような子供をダシに、この家の財産を好きなようにしようという性悪女の
思い通りにさせてなるものか」という語っているのである。
下心を見抜かれたのか、加奈子は勘吉に対し
下唇を噛み締め歯をむき出しにして上目使いに睨む。
この大人たちのやりとりをこの幼い男児は、まるで生まれながらにして
もう既に精神的に大人としての片鱗を見せ始めているのか
何か同世代の他の者とは何か違う器の片鱗なのか
表情をほとんど動かさず、ただ黙って見守っている。
これが同世代の他の児童なら、勘吉のような強面な老人による
さっきから自分と自分の母親に対する大人気ない恫喝と罵声ぶりに思わず泣き出してしまうだろう。
けれどこの子供は、泣くどころか泰然とした姿勢で二人の様子を見守っている。
おもむろに勘吉はこの子供の方に向き直る。すると殊更、ますます不快な表情が顕著になる。
「まあいい。とりあえず名前だけは考えてやろう。おい、ガキ!?」
「はい。」
勘吉の半ば大人気ない怒号での問いかけに、子供の方も怖気づくことなく
加奈子にいつも言われている言いつけどおりの姿勢と態度で接する。
「お前の名前は何と、言う?」
「ちょっと、この子にそのような大人気ない態度は!?」
加奈子は思わず勘吉を咎めようとする。
「人の金で遊んで暮らそうと企んだ性悪女は、黙ってろッ!!」
勘吉は加奈子に対して甲高い声で怒鳴る。
そして、子供の方に向き直ってぶっきらぼうな口調で名前を問う。
「お前の名前は何だ?」
「みなむら よしとです。」
子供は素直に自分の名前をそう答える。
「皆村良人?」
これを聞いた勘吉は怪訝そうな顔で反応する。
これに加奈子が解説する。
「この子には、世の中のみんなのために役に立つ良い事をする人に
なりなさいという意味を込めて名づけたんです。」
だが勘吉としてはこれが気に入らないのか、少し思案したあと
「ふむ。・・・ならワシが認知してやるに当たって、新しい名前をつけてやろう。」
そう言って、少し笑みを浮かべる。
「新しい名前をですか?今のままでも構わないのでは?」
「いや、この家の苗字を名乗りワシの子である証をくれてやるんだ。
それに見合ったモノをあげないとなぁ?」
「それで何の新しい名前をつけるんですかこの子に?」
「もう決まってる。この子の名前は"寛一"とする。」
「か、かんいち?」
「そうだ。良人じゃ大きくなった際、名前負けした生き方しがちだ。
実際、ワシの知り合いの息子にも善人などと名前をもらったのに、
大学生になったにも拘らず遊び歩いた挙句、別れ話のもつれで付き合った女を
殺して刑務所に収監されおった。じゃから昔からああいう如何にも
和とか正とか義とか善とか良識とか言った正義や平和とか秩序とか道徳とかを題材にした
漢字を名前にすると得てしてそれとは逆に暴力や卑劣や陰険さや強欲や収奪などを
美化する生き方をしがちになり多くの人々を苦しめ社会を乱しまくった挙句、自滅して行くんじゃ。
それならばいっそ、このワシが決め付けた名前の"寛一"として生きた方がこの子の幸せだ。」
勘吉はかなり自分に酔った持論を展開している。
「そんな勝手な!?」
加奈子は思わず非難する。
「嫌なら、お前と交わした条件は無しじゃ。さっさとそのガキ連れて、とっとと帰れ。」
加奈子はもう、半ば泣き顔のようだ。
結局、彼女は断腸の思いで契約を交わす事となった。
この皆村良人という三歳の小児は尾場寛一と名を変える事になった。
日本家屋というべき二階建てをしている広い木造の屋敷。
ひとりの年老いてはいるが表情からも凛とした感じが窺えるほど
立ち振る舞いはしっかりしている、かくしゃくとした男が
若いひとりの女性に連れられた一人の男児を見る。
けれど、その男の表情は何故かぜんぜん嬉しくは無さそうである。
嬉しそうなどころか、まるで
"朝っぱらから、この世で絶対に見たくないものを連れて来やがって"と言わんばかりの
不快さに満ちた怒りを漂わせている。これが並みの人なら
いくら鈍感なヤツでも、こういう手の修羅場になりかねない事は
流石に怒りを静めようと、とりあえずは謝罪の言葉とか
宥める姿勢とかに徹しようとかにするだろう。
何故なら、この老人はただの老人では無い。
この人の怒りを買ったら、この街での自分の将来は無い事を
この街の人ならば誰しもが、よく知っているし実際に彼の怒りを買うような事を
やらかして、彼による金と強権的な手段による制裁を受けて破滅したという事例もある。
なのにこの若い女性は、怖気づくどころか平然としている。
これは無知から来る身の程知らずなのか?それとも
高い地位にある男とあろう者が女である自分と、この子に手を上げられる訳が無かろうと
半ば舐めてかかった態度なのだろうか?
「この子は、貴方様の子です。どうか認知のほどを。」
女は言葉を発した。
「ふざけるな!」
男の方は声こそ小さいが唸るように憤怒を込めて反論する。
「何で認めてくれないのですか?」
女は抗弁する。
確かに、この男は丁度四年前ほどにこの女と知り合い抱いた事はある。
けれど、男の方ではキチンと避妊をしていたはずであったし
女の方も避妊薬を服用していたと思っていたのであった。
この男としてはこんな結果を招く根拠などあろうはずは無い。
女の方も引き下がらない。
遺伝子証明書を盾に要求する。
これ以上、この子を認知しなければ恥をかく結果を招くのはお前の方だと迫った。
結局の押し問答の結果、形式上の認知として苗字を名乗るのを認めた。
女の方はそれで喜んだ。だが、次の瞬間それはあまりにも非情だった。
それは、
・苗字を母方から父方の姓にする。但し戸籍上は婚外子。
・生活費・養育費も世間一般家庭と同水準しか与えぬし、その生活ぶりも
世間一般と著しく乖離している場合、依存心を断ち切り自立を促すためにも
生活費・養育費の供与は中止する。
・そのためにも生活費・養育費を何に使ったのか領収書の提供を要求する。
これを拒否すれば支払わない。
というモノである。
普通の者なら、"こんなの納得出来るか"と激怒するだろうが
この女にはそういう事が出来ぬ状況にはない理由がある。
何故ならこの女は、元が暮らしのあまり芳しくない家庭の出身である上に
田舎でも取り分けに位置する所の生まれで彼女のような境遇下の身が
どうしても人並みの暮らしを考えるには
普通の境遇に生まれた者と同じ事をしていたらとても出来ない事である。
ましてやこの女が自分の頭を振り絞って考えた方法というのが
自らの美貌と容姿を上手く使って高収入の男に取り入るというのであった。
その結果、自らの子をこさえてこの老人の前に認知を迫り自分はこの子の母親として
この家の実権を掌握できるかもしれないだろうという考えだった。
ところが世間に言わせれば女子供の考えとは悲しいかな、
有名で優れた政治家や文化人、スポーツ選手、芸能人などと比べ
それほど深くは無く熟した上での判断では無いという。
この女としては自分自身、学生時代じゃマドンナと形容されるほどの美人だったし
頭のレベルも当時の同世代の女子たちは元より、男子も目を見張るほどの優秀だった。
要するに少なくとも自分は、世の中からバカにされる謂れは無いという
自信とその裏付けるだけの実力と結果は学生時代も学校外でも残してある。
それでも彼女にとって自分に必要というのは、やはり資金力と地位である。
そう、周囲に自分の悪口を言わせず蔑みの目で見させないだけの力の裏づけだ。
そこで彼女なりに考えたのが、自分より金と地位のある男に取り入るという事だ。
そのためには、あえて子を持つという方法をしたのだ。
「言っておくが皆村加奈子。確かにワシは今は妻には先立たれてはいる。
だからといって貴様ごときに、この尾場勘吉の目の黒い内は
この家を好き放題させられると思うな!」
尾場勘吉と自ら名乗った老人は、皆村加奈子と呼ばれた三十を少し回った若い女性に対し
半ば攻撃的かつ排他的な口調で言った。
言外に「お前のような子供をダシに、この家の財産を好きなようにしようという性悪女の
思い通りにさせてなるものか」という語っているのである。
下心を見抜かれたのか、加奈子は勘吉に対し
下唇を噛み締め歯をむき出しにして上目使いに睨む。
この大人たちのやりとりをこの幼い男児は、まるで生まれながらにして
もう既に精神的に大人としての片鱗を見せ始めているのか
何か同世代の他の者とは何か違う器の片鱗なのか
表情をほとんど動かさず、ただ黙って見守っている。
これが同世代の他の児童なら、勘吉のような強面な老人による
さっきから自分と自分の母親に対する大人気ない恫喝と罵声ぶりに思わず泣き出してしまうだろう。
けれどこの子供は、泣くどころか泰然とした姿勢で二人の様子を見守っている。
おもむろに勘吉はこの子供の方に向き直る。すると殊更、ますます不快な表情が顕著になる。
「まあいい。とりあえず名前だけは考えてやろう。おい、ガキ!?」
「はい。」
勘吉の半ば大人気ない怒号での問いかけに、子供の方も怖気づくことなく
加奈子にいつも言われている言いつけどおりの姿勢と態度で接する。
「お前の名前は何と、言う?」
「ちょっと、この子にそのような大人気ない態度は!?」
加奈子は思わず勘吉を咎めようとする。
「人の金で遊んで暮らそうと企んだ性悪女は、黙ってろッ!!」
勘吉は加奈子に対して甲高い声で怒鳴る。
そして、子供の方に向き直ってぶっきらぼうな口調で名前を問う。
「お前の名前は何だ?」
「みなむら よしとです。」
子供は素直に自分の名前をそう答える。
「皆村良人?」
これを聞いた勘吉は怪訝そうな顔で反応する。
これに加奈子が解説する。
「この子には、世の中のみんなのために役に立つ良い事をする人に
なりなさいという意味を込めて名づけたんです。」
だが勘吉としてはこれが気に入らないのか、少し思案したあと
「ふむ。・・・ならワシが認知してやるに当たって、新しい名前をつけてやろう。」
そう言って、少し笑みを浮かべる。
「新しい名前をですか?今のままでも構わないのでは?」
「いや、この家の苗字を名乗りワシの子である証をくれてやるんだ。
それに見合ったモノをあげないとなぁ?」
「それで何の新しい名前をつけるんですかこの子に?」
「もう決まってる。この子の名前は"寛一"とする。」
「か、かんいち?」
「そうだ。良人じゃ大きくなった際、名前負けした生き方しがちだ。
実際、ワシの知り合いの息子にも善人などと名前をもらったのに、
大学生になったにも拘らず遊び歩いた挙句、別れ話のもつれで付き合った女を
殺して刑務所に収監されおった。じゃから昔からああいう如何にも
和とか正とか義とか善とか良識とか言った正義や平和とか秩序とか道徳とかを題材にした
漢字を名前にすると得てしてそれとは逆に暴力や卑劣や陰険さや強欲や収奪などを
美化する生き方をしがちになり多くの人々を苦しめ社会を乱しまくった挙句、自滅して行くんじゃ。
それならばいっそ、このワシが決め付けた名前の"寛一"として生きた方がこの子の幸せだ。」
勘吉はかなり自分に酔った持論を展開している。
「そんな勝手な!?」
加奈子は思わず非難する。
「嫌なら、お前と交わした条件は無しじゃ。さっさとそのガキ連れて、とっとと帰れ。」
加奈子はもう、半ば泣き顔のようだ。
結局、彼女は断腸の思いで契約を交わす事となった。
この皆村良人という三歳の小児は尾場寛一と名を変える事になった。