goo流・キャラネタブログ

ニュースなどを扱います。
あと場合によっては小説というかお話を書く事もあるでしょう。

青春の嵐 第5話「富める者は貧者の嫉妬を買い、貧者は富める者からの不快を買う」

2015年11月14日 14時42分53秒 | 青春の嵐
あれから経って。
尾場勘吉は加奈子・寛一母子を怒鳴りこそはしたものの
生活支援の打ち切り・削除などは特には考えてはいないようだ。
それどころか生活支援のお金を今までよりは増やしてくれたようだ。
それというのもあれから加奈子は勘吉と話し合った所、
寛一が小学校一年の晩秋から小学四年生になるまでの数年間の
学校や地域の他の子供たちとの諍いの原因は、
どうも寛一と争っている彼らの家庭の親の職業が、
公務員や高級ホテルの支配人、日本の精密機器に必要な部分を作っている
東証一部上場企業の経営者、大学病院の教授、請け負う案件が常に五件や十件は
当たり前の凄腕の弁護士。自衛隊の階級が米軍の基準でいえば大佐以上の者、
警察官僚、中堅芸能事務所の経営者など、いずれも皆、これまでの加奈子より
高所得家庭だ。それを鼻にかけているためか、それらの子供たちは
自らの家庭環境を笠に来て高慢になる一方で寛一の家庭の事を生活が苦しい母子家庭と嘲り
寛一の事を将来は年老いた加奈子ともども共倒れか、介護疲れで年老いた加奈子を
殺害、若しくは老衰死したのを機に年金を不正受給しまくった挙句、逮捕され
獄死するだろうと馬鹿にしたのが原因だ。

寛一としては、自分が馬鹿にされるのはいくらでも我慢出来るが
母加奈子の事を貶められたのだけは憤怒を堪えられないという。
更に、言ってしまえば自分らの恵まれた家庭環境と境遇を鼻にかけて寛一の
家庭環境が現在、事実上の母子家庭状況である事を見下すだけでも
寛一にとっては腹立たしいのに、勝手な憶測と想像で
"この母子家庭はあと十年か、遅くとも二十年後には滅びる"などと
こっちの将来を勝手に決め付けられ寛一としては、もはや我慢の限界に達したと言えよう。

この事が対立の起源であり、両者が相容れる余地は何処にも見当たらなかった。
波風が立たなかったのは最初だけで、その後の寛一と彼らとの対立ぶりは
アニメや漫画におけるお互い不仲で対立している二人のキャラに例えられるほどである。

彼らは寛一のことを父方の苗字の尾場をもじって「おバカ」と扱き下ろし
寛一も寛一で彼らの事を「親の七光り」「親に似ずな無能の子」と侮る。
両者の対立は教諭が投げつけた椅子で教育委員会と文科省のお偉いさんが二人
亡くなられた件に至るまでで丁度ピークに達していた。
その後、教諭が逮捕され刑事裁判で実刑は避けられそうにない情勢になると
一案を思いついた校長は彼らと寛一との和解をさせようと図った。
当然、難航はした。彼らは寛一の身の程知らずぶりが許せないと鼻息を荒げ
寛一は寛一で、彼らのこれまでの言動や振る舞いが招いた結果であり
こちらだけが先に謝罪させられ相手が謝罪もしなけれ相手に
何のお咎めも無いのは納得いかないと、顔を歪めて苦々しい表情を露にする。
校長もPTAら面々も、まるで本物の政治の世界、外交の世界というモノを教えられる思いを
禁じえないのである。もしも下手に日本人的な道徳裁き、例えば
『喧嘩両成敗』とか『向こうも悪いが、お前にも原因がある』などといった事をしたり
二人の異性と二股がけしているヤツみたいな処理を試みようものなら
両方を敵に回す事になり、彼らはもう二度と大人たちを信用しなくなり
それが原因で中学に進学して以降は非行に走られるリスクを自ら生み出しかねない。
かといって、このまま手をこまねいてる訳にも行かないのも
この両者の関係が許さない。こうしている間にも、この子らと寛一は
どちらか一方が手を出したのをきっかけに大乱闘になるは必定だ。
結局、警察署長や社会福祉協議会関係者代表も加わった結果、
・尾場寛一は、社会の一員として秩序を重んじ他の社会や地域の皆と協調する。
・学校や地域の方は人間関係のトラブルの原因となる安易な言動や振る舞いを控える。
 特に相手に対する暴言に注意。その事を各家庭の子弟にも徹底させる事。
という事で、寛一もその他も合意に至った。
これで、学校の皆も地域の皆も教諭ひとりの刑事処分と引き換えに
長きに亘る対立は一応の収束を見る事となった。

青春の嵐 第4話「正義とは誰がために」

2015年11月14日 12時41分15秒 | 青春の嵐
教諭が寛一に投げつけたはずの椅子が誤って教育委員会の関係者と文科省の役人の各一人の頭部に命中し
それによってメディアが連日のように騒ぎまくる事態に発展して、学校内の不穏な空気は
一層著しくなった。

無論、その教諭は寛一とともに既に警察署に連行されて行った。
その後、その文科省の役人と教育委員会の人が頭部の負傷が故で亡くなったという
事実が伝わり一層の騒ぎになった。

古きよき
日本家屋というべき造りを成した二階建ての広い木造の屋敷において
この件を事実を聞き知った一人の老人は、如何にも忌々しいと言わんばかりの
不快な表情で顔を歪めている。その理由も判り切ってる。
尾場勘吉にとって皆村加奈子のような子供をダシに金の無心をする悪女だけでも
腹立たしいのに、あろう事か目上の言う事を碌に聞かず常に反発しまくり
あまつさえ自分の気に入らない相手に対して日米開戦直前時の米国政権のような
謀略・策略を用いて相手を挑発し自分のやった蛮行の美化・正当化を企ててるという
悪行、乱行は元より最近では常識ある者にとって到底理解出来ない愚行・奇行ぶりも
堂に入っているらしい。

ある日、勘吉は寛一が警察署から戻ってきたというのを知ると
すぐ翌日、加奈子とともに呼び出した。
そしてそこで寛一を詰った。
「寛一ッ!お前の数々の悪事はこのワシは聞いておるぞッ!?
何で悪さばかりするッ!何で相手の立場になってやる事が出来んのだッ!!?」
これに対して寛一は子供とはとても思えないような冷静かつ毅然とした姿勢で
臆することなく反論する。
「それは、あの人たちが自分に甘く他人に厳しい性格で、
オレやオヤジやオフクロのような性格とは水と油であるために
こうなるべくしてこうなったのであります!」
要するに、こうなったのも相手側のその性格が招いたのであって
こっちには何の非など無く向こうの思い通りにさせられる謂れは無いと言う事である。
これには加奈子も驚いた。
「正論を唱えるオレをどうしても罰するというのなら、この世の法律とは
一体誰のためにあるのでしょうか?」
それに対して勘吉は益々、耳まで真っ赤になって興奮状態になり
寛一に向かって、ありったけの罵声を浴びせ当たるを幸いに鉄拳と蹴りを見舞った。
これに驚いた、家政婦をはじめ多くの使用人が止めに入ると
寛一に唾を吐きかけ思いっ切り罵りまくる。
加奈子はもうこれ以上対話出来る状況には無いと判ると寛一を連れて退出する。

青春の嵐 第3話「露呈した決定的」

2015年11月14日 08時03分16秒 | 青春の嵐
それからというもの。
寛一と周囲と何かにつけて対立を重ねていた。
同世代からは"クソ生意気な野郎"だと詰られるのに対し、寛一も同世代に対して
"潰しの利かない能無しが何を偉そうに"とか"どうせ他人の足を引っ張るしか能が無い暗愚な、
てめえらの生涯年収なんざオヤジやオフクロの世代の七割にも及ばねえよ"と狭量ぶりを軽蔑する。
大人たちの多くからは"いちいち言う事が癪に障る生意気で可愛げの無いガキだ"と罵られるのに対し
寛一の方も"てめえらこそ見た目が年取っただけで中身はガキじゃねえか"と大人たちの
傲慢で粗野で無知無学で人として中身の伴ってない尊敬できない部分を嘲る。
そうして両者とのしこりが出来てから月日が経った
間もなく小学四年生迎えたとある日のことである。

今日も今日とて、寛一はクラスの女子と帰り際の教室の掃除の手順の事で言い合いになり
その結果、その女子が泣き出した件で教諭と激しく口論となった。
それで感情的になった教諭が、寛一の頬を叩いたのである。
これが並みの子供なら、そこで大泣きし始め出す所のはずである。
ところが寛一とて並みの子供では無い。
泣くどころか逆に教諭に対する怨嗟と軽蔑を倍加させて、教諭をこう詰った。
「口で負けたら、とうとう暴力に訴えるんですか?
それで教師とはボク笑っちゃいます!」
これに対して教諭は、もうほとんど乱心気味だ。
傍目から見て、もうすぐ五十にもなろうかといういい年した大の大人が
子供相手に半ば大人気ないことをしまくりだ。
丁度折りしも、その日は教育委員会に連れられた文科省の役人が学校を視察し
帰り際に職員室に挨拶に来て挨拶しようとしたときと重なっていた。
その際に、この教諭は何とも間が悪い事に
その役人に寛一に対して小学校教師にあるまじき罵声・暴言を浴びせた上に、
頬を叩いた一部始終を見られてしまったのだ。
それだけでも拙いのに、自分の立場や周囲の事などもはや一切お構いなしな上に
年端も行かない子供に生意気な口を聞かれ、目上に対する舐めた態度への激怒も手伝って
もはや感情は抑えられなかった。寛一に向けて教諭は椅子を力任せに投げつけたが
寛一はそれを軽く回避する。するとその投げつけられた椅子は寛一の真後ろに居た
文科省の役人とそれを連れていた教育委員会の人らに飛んで行く。
慌てて彼らは文科省の役人を守ろうとした。だが遅かった。
飛んで来た椅子は背もたれを支える金属製の骨の部分が
文科省の役人を守ろうとした紺色のスーツの初老の男性の右側頭部に当り、
そこで少し捻って椅子の金属製の足の部分が役人の頭部に命中した。
それによって二人とも頭から多くの血を流して倒れた。

これによって、その日の学校は救急車とパトカーと
各種メディアが集まるという、ある意味お祭り騒ぎとなってしまった。

そしてその日のテレビは地域版は元より全国版のニュースも
これを題材にしてしまったという。

翌日以降のワイドショー番組もニュース番組もつけたしのようにこの件を
まるで興味本位のように連日、取り扱ったようである。