フロムYtoT 二人に残された日々

私と妻と家族の現在と過去を綴り、私の趣味にまつわる話を書き連ねたいと思っています。

映画 「哀愁」

2024-01-25 01:01:20 | 映画

『映画 哀愁』との出会い

  

 出典wiki

 私と映画との出会いは高校に入学してからのことです。洋楽との出会いは中学生の頃題名は忘れましたが、テレビで放映されていたモンキーズが主演のドタバタコメディで流れるDaydream Believerなどの曲や、「シャボン玉ホリデイ」で流れる外国の曲を聴いて、はまってしまいました。その後、「ラヴ・ミー・ドゥ」などの曲でビートルズに出会い、サイモン&ガーファンクル、クイーン、ピンクフロイドなどを聞くようになりました。

  私の家は貧しかったのですが、高校生になったときに、母は、おこずかいを2,500円に上げてくれました。私は地元の三角公園の近くにある、洋画映画館の500円の学生会員に入会して、それから休みの日は月に2~3度、朝から晩まで、映画館で映画を見ていました。料金は学生会員料金で250円だったと思います。    

 その当時の映画館は一回入ったら出るまで同じ料金で、基本的に2作から3作の上映していました。たぶん高校時代の3年間で毎年 70作程度の映画を見ました。

 その後大学に進み、社会人になって、回数は減りましたが,良いと思う映画があれば時には妻と一緒に、時には一人で観にいっています。

 たぶん高校時代に観た映画で私が忘れられない映画の一つがこの映画です。

 この映画の主題歌は「蛍の光」で、私たちが幼いころ別れの詩として記憶しているものです。実はこの曲は「オールド・ラング・サイン」とうスコットランド民謡なんですね。

 日本の「蛍の光」の歌詞はスコットランド民謡の歌詞とは違いますが、私たちの年代の日本人には心に響く歌詞ですね。

この映画は1940の作品ですから、私が生まれる13年前の作品です。

 私がこの映画を見たのは、たぶん高校生の頃です。私は、まだ子供で、家族以外の人間を愛することも、家族以外の人間から愛されることも知らない年齢でしたが、何故かこの映画を見て涙腺が爆発しました。

 それから50年余りの間に何度かこの映画を見ましたが、この作品はいつも私の涙腺を刺激してくれます。

『哀愁』ストーリー

 第二次世界大戦が勃発し、イギリスが参戦した1940年燈火等制下のロンドン。ロイ・クローニン大佐(俳優ロバート・テイラー)はフランスへ赴任するためウォータルー駅へと車を向かわせている。

 物語の主軸は第一次世界大戦での物語であるが、時を経て、第二次世界大戦が勃発した後のウォータールー橋に佇むロイ・クローニン大佐の場面から始まる。駅に近くのウォータールー橋にさしかかると大佐は車を止めるよう指示し、車を降りる。霧に霞む欄干に佇み、出会いから20年以上がたち、初老の紳士となったロイが、ポケットから小さなお守りを取り出し、それを見つめながら過去へと思いを馳せる。

 1917年、彼は当時25歳の陸軍大尉であった。スコットランドの名家クローニン家に生まれ、軍人として第一次世界大戦勃発のためフランスへの出征の途上であった。

空襲のサイレンが鳴り人々はウォータルー駅の避難所へ駆け出す。途中、近くにいた女性が何か落とし、ロイはそれを拾って彼女を追いかけ、共に避難する。

 そこでお守りの持ち主であるマイラ(俳優ビビアン・リー)はロイの幸運を願ってお守りをロイに託す。まだ女学生のような彼女はマイラと名乗った。オルガ・キローワ・バレー団のダンサーなのだ。ロイは彼女の舞台を見物すると、夜食に誘ったのであるが、厳格なキローワ女史はマイラに外出することを禁じた。 

 しかし彼女は親友のキティの助けでぬけ出してロイと会った。翌日、ロイはマイラを訪ねて結婚を申込み、その次の日、式を挙げる約束が出来た。ところがその晩,彼女は速達便を受取った。出発命令が下ったから直ぐ立つ、会いたい、というのである。マイラは飛出して駅へかけつけたが走り行く車上に立つロイの姿を見ただけであった。劇場に急いでもどると、舞台に穴をあけたというのでキローワ女史はクビを申し渡し、マイラの弁護をしたキティも諸共クビになった。

 貯蓄の全部をはたいて結婚衣装を買ったマイラは、ロイからの手紙で、ロイの母に会いに行った。その約束のカフェでロイの殉死の報を新聞で見て卒倒した。それから2ヵ月間マイラは病床にふした。

 マイラは、キティが二人の生活費を稼ぐため、夜の女(娼婦)となっていることを、全快して初めて知って、その友情に泣かされた。そして今やロイ亡きあと何の生がいもなくなったマイラは、自らもキティと同じ道に身を落とした。それから1年、ウォータルー駅でマイラは凱旋して帰ったロイと偶然会った。彼女が待っていてくれたと思って喜んだ彼は、彼女の身の上の変化に気がつかず、彼女をスコットランドの家へ伴った。

 マイラはロイへの愛がすべてである。その他のあらゆる事は関係ないと、自分自身に言い聞かせたが、もしも彼女の1年間の行状が知れれば、ロイの破滅となるに違いないと思い直して、ロンドンへひとり帰ってしまった。ロイはマイラのあとを追ったがマイラは身を隠した。マイラは思い出のウォータルー橋の上に、いつか来てしまっていた。何度考えても彼女は愛するロイに幸福を与えることは出来ないとしか思えない。思いつめたマイラは突進して来る軍用トラックの前に身を投げた。

<映画com引用>

 ビビアン・リーは「風と共に去りぬ」「欲望という名の電車」でアカデミー賞を受賞するなど、数多くの映画や舞台で活躍した女優ですが、やっぱり、この映画が一番心に刺さります。そして大好きな女優の一人として、心に刻みました。

 この映画はアマゾンプライム等で観ることもできますし、ネットでDVDを見つけることもできます。興味がある方は観てください、もちろん白黒映画です。

『ビビアン・リー略歴』

『風と共に去りぬ』(1939)より

本名       Vivian Mary Hartley

生年月日              1913年11月5日

没年月日              1967年7月8日(53歳没)

出生地   イギリス領インド帝国 イギリス領インド帝国・西ベンガル州ダージリン

死没地   イングランドの旗 イングランド・ロンドン・ベルグレイヴィア

国籍       イギリス

身長       161 cm[1]

職業       女優

ジャンル              舞台、映画

活動期間              1933年 - 1967年

配偶者   ハーバート・リー・ホルマン(1932年 - 1940年)

ローレンス・オリヴィエ (1940年 - 1960年)

著名な家族          スーザン・ファーリントン(娘)

出典Wikipedia


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