1999.11.04
昨日、20周年の結婚記念日を祝って、久しぶりに君と映画を観て、大名のレストランで食事をしたとき、僕が「僕は少しも成長していないね」と言ったたら、「成長していないと言うことが理解できるようになったことが成長した証じゃないかしら」と君に言われたね。そして、人生とは「自分が何者であるか」を時間をかけて理解していく過程なのだというようなことを言っていたね。確かにその通りだ。君はいつもオバチャンそのものだけど、時々、驚くようなことを僕に教えてくれる。
ブーバーという哲学者が言っている。「愛」は単なる感情ではない。感情は自分自身が「所有」し、「自分自身のうちに住まう」ものであるが、「愛」は「生起」し、「自分自身が愛のうちに住まう」のであって、言い換えれば「愛は『私』と『汝』の間において存在する」のであって、「このことを知らないものは、たとえその人間が『体験』し、『享受』し、『表出』する感情を『愛』に数えようとも、『愛』を知ってはいない」ことになる。何故ならば「汝」に対する「愛」は、その根本において、「『汝』に対する『私』の責任」であるからである。「愛」は「汝」に対する「私」の全存在を傾けての応答であり、こうした応答(response)ー責任(responsibility)のないところには、「愛」は存在しないと・・・・・・。
僕はこんな言葉を今でも大事にしている。要するに僕は、今も昔も変わりはなく、進歩もしていない。つまり、二十年前の僕と今の僕と何も変わっていないと言うことに失望もするし、安心したりもする。人間はそんなに簡単に変わることは出来ないんだね。君が二十年前に悟っていた現実を、今でも僕は何とかならないかともがいている。つまり僕は何も変わっちゃいない。成長しちゃいない。
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