「この世の果て」
数え切れないカバーが世界中でリリースされていますけど、
または「この世の果てまで」
酷いのになると「この世の果てまでも」と、誤訳過ぎる邦題が付けられている名曲「The end of the world」
「世界の終わり」って言うのが相応しいのかもしれませんが、「この世の果てまで」って響きが好きです。
数え切れないカバーが世界中でリリースされていますけど、
私はやっぱりスキーター・デイヴィスが好きです。
歌詞は失恋の内容ですが、作詞者は自身の肉親が亡くなったことへの思いを書いたと聞きました。
「大切な存在」との別れの歌。
声を張り上げるでもなく、歌の技巧を披露するでもなく、淡々とストレートに歌うデイヴィスの歌唱は、逆に想いが切々と伝わってきます。
だって、振られた時に
「なんでなのよぉーーーー!!」
「アタシが振られたのに、なんで鳥が囀ってるのよーー!!」
「なんで太陽は輝き続けるのーーーーー!!」
って歌われたら引きますもん。
悲しさ、或いは悔しさの入り混じった感情は、先ずは受け入れられずに戸惑うと思います。
なんの飾り気もない剥き出しの歌唱。素晴らしいです。
イサドラ・ダンカンを、ダンサーの業という視点から演じた北島マヤの演技が、暑苦しい円城寺まどかよりも心を打つのと同じことです←また例えがガラスの仮面
自分にとっては至上の恋だったとしても、はたから見ればよくある失恋。
悲しいことや辛いことがあって、胸をえぐる絶望感を味わっているこの瞬間、
広い世界の何処かでは変わらぬ日常を送る誰かがいて、自然は生態系を全うするだけ。
いつかは経験しなければならない別離。
諸行無常の響きあり。
歳を重ねると、解釈も変わっていく曲ですね。
今日はなんだかおセンチ。
サンキューテルヨ!
サンキューパセリ!