「重要な土地」を外国資本に買われる怖さ(国際情勢アナリスト・山田敏弘)
日本に10億ドルの武器売却 トランプ米大統領
彼は、彼女は、なぜ、いつの間にか、お風呂に入らなくなったのでしょうか?
自分ひとりだけの意思で、社会の中で日常生活を送るために必要な生活能力の
重要な要素の一つ、「毎日入浴する能力を身につける」カウンセリングの方法
私たちが、独力で毎日、入浴することには、どんな意味があるのでしょうか?そして、お風呂に入らないことには、どんな意味があるのでしょうか?私たちは、入浴することで何を手に入れているのでしょうか?
日本では、65歳以上の高齢男性の単身世帯が増加しており、10~20年後にはさらに増加すると予想されています。これは、妻に先立たれた人だけでなく、生涯未婚の男性が増加しているためです。他に同居人がいない一人暮らしの割合は男性で約35%となっており、今後も未婚率が上昇していくことが予想されます。 このような高齢男性の単身世帯において、一人では入浴できない男性が存在します。しかし、一人では入浴できない男性も、「お風呂は好きで、入浴すれば気持ちがいい」と思っています。
では、なぜ、一人では風呂に入れないのでしょうか?それは、光熱費が払えないという経済的な不安から鬱病に陥っていること、風呂場の床がぬれて滑りやすいので、骨折が原因で寝たきりになる可能性やリスクを連想して鬱病に陥っていること、風呂の湯船の中から立ち上がれなくて溺れるかもしれないと自分が死ぬ予感に怯えて鬱病に陥っていることなど、入浴動作の立つ・座るができないことから、鬱に陥っているのです。ですから、この入浴動作の立つ座るのハードルを取り除いて解決すれば、一人で入浴し、身体を洗い、髪も洗うようになるのです。
このように、「入浴する」という生活能力をめぐって二通りの「高齢者」「一人暮らしの男性」が存在することが分かります。
一つは、つねに独力で入浴する高齢者や男性です。もう一つは「誰かに介助してもらわなければ、おそらく入浴することはない」高齢者や男性です。しかし、身体に麻痺があるとか足腰が弱っていることが、独力では入浴できないことの直接の原因ではないのです。ということは、風呂に一人で入る、風呂に一人では入れない、この違いは、彼が、彼女が何かを考えたことに原因があるということになります。人間が考えることは、自覚的に考えるということと、無意識に考えるということの二つがあります。
普通、誰もが考える「風呂に入ること」の意味は、一日の身体の筋肉の疲労を取って、次の日の活動のための活力を回復させる。体に附着している常在菌を洗い流して、常在菌の身体の内部への侵入感染を防止する。身体の皮膚や血管などの知覚神経や自律神経、性的な神経叢(頸神経叢、腕神経叢、腰神経叢、仙骨神経叢の4つ)の緊張を解消して猛毒ノルアドレナリンを消し、右脳に脳内麻薬ホルモンのドーパミンを分泌させることなどです。
すなわち、普通、誰もが考える「風呂に入ること」の意味は、今日も生きられた。だから、明日も同じように生きていける。ということの実践になるのです。このように見ると、「高齢者」「一人暮らしの男性」が、風呂に入らないということは、身体の足腰の弱まりにぶつかれば、なおさらのこととして、自分の明日・自分の未来というものから孤立している考えが、自覚的に選択された結果の行動と観察されます。風呂に入らないということは、今日という一日が終わっていない、今日という一日を生きていないということを意味しています。自然時間の一日は過ぎても、観念の一日はまだ続いている状態です。次の日も、その次の日も、こだわっている何か、考えることを止められない何か、そこから動けないままに永遠に終わっていない一日が、自然時間の区切りを超えて続いている。他者には見えない理解できない、「観念の時間が存在している」ということです。
それは、災害、病気の治療のように、外部から強制的に強いられて固定化されている「観念の一日の継続」でしょうか。
引きこもりや路上生活者のように、自らが社会生活や、通常の生活を放棄して、孤立の情緒がつくり出している「観念の一日の継続」でしょうか。すると、「高齢者」「一人暮らしの男性」に限らず、誰でも、風呂に入らないということは、社会生活や日寿生活への参加が放棄されていれば、いつでも、どこでも起こりうることです。
では、生活とは何のことでしょうか?それは仕事をしていないとか学校に行っていないということを意味するのではありません。身体の行動が、マナー・礼儀・行儀といった秩序形式を正しく身につけていて、型通りに形通りの言葉や行動をあらわしているのか、いないのか?というところにあるのです。
そして、自分自身が、自立して生きられるために、一番大切な、日常生活への参加方法は、自分の心身の健康のために有益な行動のイメージを右脳に思い浮かべるということです。
- 一日、三回、食事をとりましょう。
- 朝起きる時間と夜寝る時間を決めましょう。
- 排便や排尿は必ずトイレで行いましょう。
- 入浴は、その日の終わりに実行しましょう。
このような生活習慣の積み重ねが、心が生きられるための日常生活への参加方法になります。
いずれも、今日を生きた。だから、明日も未来も生きられるという「鬱病の回復」を目的としています。