街道をゆく。
県内の旧北国街道を踏破するのだ。

さて、まずは味方の本を見ま~す


青印がスタート地点。

さて前回の続きで、火除け地からはじめます。



おや、なんか古そうな町の医院が出てきたぞ。

え!・・・

これって最近少し話題になった
やばいヤツじゃなかったっけ・・・
行こ行こ

左手方向から大きな屋根が目に入ったので寄ってみる。

大きな屋根の本誓寺です。

次は、

本陣跡が出てきました。

加賀藩や大聖寺藩が主に利用したとあります。
では味方の本にも、

北陸街道は松任に着く。古くは松任城があり、江戸時代当社には加賀藩の御旅屋(おたや)があり、のち加賀藩本陣が置かれるようになった。
と書いてあります。
もう少し行くと通称千代尼通りに出ます。

この通りが面白くて、
街灯に通りのお店店主の似顔絵が吊ってあったりします。

左手奥にモダンな建物。

これはいいね。

明治洋風館とあり中に入れます。

明治時代の産婦人科の建物。

当時の医療用具が陳列されてます。

さらに進みます。

この建物前には、

こんな石標があり

松任御傅馬所之跡とあります。
なんだそれ?馬でも繋いでいた場所かな?
この辺りは宿場町松任の中心部だったようです。
この交差点で、街道から外れて右折してみます。

正面に見えてきたのが、

願念寺です。

さらに進むと松任城跡公園に着くのですが、

風と緑の楽都音楽祭のイベント会場の一つになっていました。
おぉ~やってる、やってる。

いい音色と爽やかな風、しばし立ち止って聴き入ちゃいんました。




街道に戻って進むと、

御旅屋跡

江戸時代の加賀藩で藩主の鷹狩、民情視察の際に宿泊や休憩のために使用された施設のこと。参勤交代の際にも宿泊施設として使用されていた。
高札場跡

藩主が決めた法度や掟書などを木の板札に書き、人目のひくように高く掲げておく場所。
そして松任といえば加賀千代女です。
そのゆかりのあるお寺がここになります。
聖興寺ですね。

この寺には千代尼塚があります。

※加賀千代女(かがのちよじょ、1703年(元禄16年)-1775年10月2日(安永4年9月8日))は、江戸時代で最も有名な女性俳人。千代、千代尼などとも呼ばれる。
朝顔を多く歌っていることから、出身地の旧松任市では市のシンボル、合併後の現・白山市では市の花に選ばれた。白山市中町の聖興寺に、遺品などを納めた遺芳館がある。
「朝顔やつるべ取られてもらひ水」が有名な句。
いい寺だなぁ。

今日は天気もいいので、緑が映えます。

ここか、

千代尼堂もあります。
千代尼塚です。

進みます。


中町交差点も通過します。

ふふ。



家と家の間を用水が走ります。

出ました。

これまでも何度か出てきた木戸跡です。
こんな感じだったのかな。

そして、
お菓子のあんころで有名な圓八(えんぱち)さんの手前に左折して入って行きます。



出城八幡神社

変わった名前の神社ですね。



通りを突き抜け

右手の用水路に並行して歩きます。

ふむふむ



ふむふむ



ふむふむ



北国街道の案内板がありました

こちらは北陸街道で案内してますね。
ふむふむ

これですか。

ここには、松任総合グランドがあって少年サッカーの試合をやってました。

・・・・・・息子もやっていたからね、ありからもう7年経ちます。
田んぼにも水が張られてすっかり田植えモードですね。


そして国道8号線にぶつかりました。

今日はここまで。
結構歩いたな
今回はこれだけ進みました。

次回は松任荒屋柏野編ですね。
【ヒゲ親父】
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
県内の旧北国街道を踏破するのだ。

さて、まずは味方の本を見ま~す



青印がスタート地点。

さて前回の続きで、火除け地からはじめます。




おや、なんか古そうな町の医院が出てきたぞ。

え!・・・


これって最近少し話題になった
やばいヤツじゃなかったっけ・・・

行こ行こ


左手方向から大きな屋根が目に入ったので寄ってみる。

大きな屋根の本誓寺です。

次は、

本陣跡が出てきました。

加賀藩や大聖寺藩が主に利用したとあります。
では味方の本にも、

北陸街道は松任に着く。古くは松任城があり、江戸時代当社には加賀藩の御旅屋(おたや)があり、のち加賀藩本陣が置かれるようになった。
と書いてあります。
もう少し行くと通称千代尼通りに出ます。

この通りが面白くて、
街灯に通りのお店店主の似顔絵が吊ってあったりします。

左手奥にモダンな建物。

これはいいね。

明治洋風館とあり中に入れます。

明治時代の産婦人科の建物。

当時の医療用具が陳列されてます。

さらに進みます。

この建物前には、

こんな石標があり

松任御傅馬所之跡とあります。
なんだそれ?馬でも繋いでいた場所かな?
この辺りは宿場町松任の中心部だったようです。
この交差点で、街道から外れて右折してみます。

正面に見えてきたのが、

願念寺です。

さらに進むと松任城跡公園に着くのですが、

風と緑の楽都音楽祭のイベント会場の一つになっていました。
おぉ~やってる、やってる。

いい音色と爽やかな風、しばし立ち止って聴き入ちゃいんました。




街道に戻って進むと、

御旅屋跡

江戸時代の加賀藩で藩主の鷹狩、民情視察の際に宿泊や休憩のために使用された施設のこと。参勤交代の際にも宿泊施設として使用されていた。
高札場跡

藩主が決めた法度や掟書などを木の板札に書き、人目のひくように高く掲げておく場所。
そして松任といえば加賀千代女です。
そのゆかりのあるお寺がここになります。
聖興寺ですね。

この寺には千代尼塚があります。

※加賀千代女(かがのちよじょ、1703年(元禄16年)-1775年10月2日(安永4年9月8日))は、江戸時代で最も有名な女性俳人。千代、千代尼などとも呼ばれる。
朝顔を多く歌っていることから、出身地の旧松任市では市のシンボル、合併後の現・白山市では市の花に選ばれた。白山市中町の聖興寺に、遺品などを納めた遺芳館がある。
「朝顔やつるべ取られてもらひ水」が有名な句。
いい寺だなぁ。

今日は天気もいいので、緑が映えます。

ここか、

千代尼堂もあります。
千代尼塚です。

進みます。


中町交差点も通過します。

ふふ。



家と家の間を用水が走ります。

出ました。

これまでも何度か出てきた木戸跡です。
こんな感じだったのかな。

そして、
お菓子のあんころで有名な圓八(えんぱち)さんの手前に左折して入って行きます。



出城八幡神社

変わった名前の神社ですね。



通りを突き抜け

右手の用水路に並行して歩きます。

ふむふむ




ふむふむ




ふむふむ




北国街道の案内板がありました


こちらは北陸街道で案内してますね。
ふむふむ


これですか。

ここには、松任総合グランドがあって少年サッカーの試合をやってました。

・・・・・・息子もやっていたからね、ありからもう7年経ちます。
田んぼにも水が張られてすっかり田植えモードですね。


そして国道8号線にぶつかりました。

今日はここまで。
結構歩いたな

今回はこれだけ進みました。

次回は松任荒屋柏野編ですね。
【ヒゲ親父】



※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます