毎週日曜NHK大河ドラマ「どうする家康」は、オイラもカミさんも真剣視聴しているところです。
なんせカミさんは松本潤さんの大ファンですからねぇ・・・、
ただ、これまで大河ドラマを見続けてきたオイラからすると、「どうする家康」に最初の頃は違和感を感じてました。
「これはNHK大河ドラマじゃない、民放のトレンディドラマやんけ」と、
しかし最近順応してきたのか見るほどに面白くなってきたのです。
そんな夫婦で楽しみにしている「どうする家康」
今回は、これまでの舞台である三河、遠江、駿河の旧三か国へ、家康ゆかりの地へ二泊三日のブラオイラしてきました。
まだ暗いうちに出発します。

福井県の鯖江市を通過する頃に陽が上がります。左手に見えるシンボル的なメガネ看板。

鯖江はメガネの町、静岡のデパートの中でまさかの鯖江のメガネ店を見ることになります。
問題は天気、賤ケ岳SAでは雨でした。

ところが岡崎市内に入ると晴れてきました。

最初の目的地、八柱神社です。

今回の旅行では、これらの大河ドラマ関連ポスターをよく見ましたね。

ここには家康の正室、瀬名(築山殿)の首塚があるのです。

昨晩の「どうする家康」悲しく泣ける回でしたよね。
この説明板にも築山殿事件は「あまりにもむごく悲しい出来事」と書かれています。

「安らかに眠ってください」と手を合わせます。
続いて向かったのは、大樹寺。

ここは徳川家の菩提所になります。

大河ドラマが始まる前の特別番組で松本潤さんも訪れたとかで、当然今回の日程にカミさん推しで組み込まれるわけです。

こちらが目的、

家康以前の先祖八代の方が眠っているわけです。

お参りします。

お寺にも参拝して、御朱印をゲッツ!



岡崎をあとに、東へ向かいます。


新城市に入り設楽原歴史資料館に到着。

施設内を軽く見学して、

行きたかった現地へ向かいました。


設楽原の戦いの地。
戦場の真ん中を流れる小さい川の連吾川、きれいな水でした。

川を挟んで右手が武田軍、左手が織田徳川連合軍が配置されました。
あれが有名な織田・徳川連合軍の馬防柵です。

長篠・設楽原の戦い:織田・徳川連合軍
武田の戦いは、
長篠城の攻防戦にはじまり、鳶ヶ巣山奇襲、設楽原決戦という流れ。
長篠攻城戦では鳥居強右衛門(とりいすねえもん)の悲劇エピソードもあるわけです。
両側が山に挟まれた思ったより広くない戦場で、どこか福井の一乗谷に地形が似ています。
ここで織田軍三千丁の鉄砲が武田の騎馬隊を撃破したのです。







ここをあとに長篠の方へ、

まず鳥居強右衛門が磔された場所へ、

とにかくこの画がインパクトがありまして・・・、

ドラマでも描かれましたが鳥居強右衛門の物語、
強右衛門は、長篠城は武田勝頼の大軍に囲まれ籠城することになったが、徳川家康のもとに援軍を要請する使者を送ることを提案し、自ら武田軍の包囲網を突破して家康のもとに赴くことになった。強右衛門は長篠城を脱出することに成功し、岡崎城の家康に長篠城の窮状を訴え、それを聞いた家康は信長ともども出陣する決意を固めた。強右衛門は、その返事をすぐ城中の兵たちに伝えたいと長篠城に戻ろうとしたが、包囲の目をかいくぐって潜入することはむずかしく結局武田軍に捕らえられた。このとき武田方では捕らえた鳥居強右衛門を城近くに連行し、「援軍はこない。降参した方がよい」といえば命を助けるという約束で強右衛門にその口上をいわせようとしたが、強右衛門は「援軍がすぐ到着する」と叫んだ。そのため強右衛門は磔にかけられ殺されたが、結果的にはこの行為が長篠城籠城を継続させ、それが長篠設楽ケ原の織田・徳川連合軍大勝の大きな要因となったのである。
途中に鳥居強右衛門の墓もありました。

お参りします。

近くの橋の上、

豊川と宇連川が合流するこの対岸の崖上に長篠城はありました。

対岸よりぐるっと周って、長篠城跡に来ました。

この城は今川方、武田方、徳川方といろいろ変遷があったんですね。

保存館の中の資料は、やはり鳥居強右衛門関連が中心です。

出た
インパクト!

初日の三河(岡崎・長篠設楽原)はここで終わりだったのですが、
最終日に新東名高速道路で帰路途中に寄ったパーキングエリア、

なんと、ここも戦場域で、

すぐ横の高台は、

織田信長本陣がありました。

信長の目線で戦場の方面を見ましたよ。

初日に戻って・・・、
この城跡はすぐ横に電車が走っています。

三河編はここで終わり(お参りが多かったね)、このあとは遠江の浜松へ向かいます。
・・・つづく
なんせカミさんは松本潤さんの大ファンですからねぇ・・・、

ただ、これまで大河ドラマを見続けてきたオイラからすると、「どうする家康」に最初の頃は違和感を感じてました。

「これはNHK大河ドラマじゃない、民放のトレンディドラマやんけ」と、

しかし最近順応してきたのか見るほどに面白くなってきたのです。

そんな夫婦で楽しみにしている「どうする家康」
今回は、これまでの舞台である三河、遠江、駿河の旧三か国へ、家康ゆかりの地へ二泊三日のブラオイラしてきました。
まだ暗いうちに出発します。

福井県の鯖江市を通過する頃に陽が上がります。左手に見えるシンボル的なメガネ看板。

鯖江はメガネの町、静岡のデパートの中でまさかの鯖江のメガネ店を見ることになります。
問題は天気、賤ケ岳SAでは雨でした。


ところが岡崎市内に入ると晴れてきました。


最初の目的地、八柱神社です。

今回の旅行では、これらの大河ドラマ関連ポスターをよく見ましたね。

ここには家康の正室、瀬名(築山殿)の首塚があるのです。

昨晩の「どうする家康」悲しく泣ける回でしたよね。

この説明板にも築山殿事件は「あまりにもむごく悲しい出来事」と書かれています。

「安らかに眠ってください」と手を合わせます。
続いて向かったのは、大樹寺。

ここは徳川家の菩提所になります。

大河ドラマが始まる前の特別番組で松本潤さんも訪れたとかで、当然今回の日程にカミさん推しで組み込まれるわけです。


こちらが目的、

家康以前の先祖八代の方が眠っているわけです。

お参りします。

お寺にも参拝して、御朱印をゲッツ!




岡崎をあとに、東へ向かいます。


新城市に入り設楽原歴史資料館に到着。

施設内を軽く見学して、


行きたかった現地へ向かいました。



設楽原の戦いの地。
戦場の真ん中を流れる小さい川の連吾川、きれいな水でした。

川を挟んで右手が武田軍、左手が織田徳川連合軍が配置されました。
あれが有名な織田・徳川連合軍の馬防柵です。

長篠・設楽原の戦い:織田・徳川連合軍

長篠城の攻防戦にはじまり、鳶ヶ巣山奇襲、設楽原決戦という流れ。
長篠攻城戦では鳥居強右衛門(とりいすねえもん)の悲劇エピソードもあるわけです。
両側が山に挟まれた思ったより広くない戦場で、どこか福井の一乗谷に地形が似ています。
ここで織田軍三千丁の鉄砲が武田の騎馬隊を撃破したのです。








ここをあとに長篠の方へ、

まず鳥居強右衛門が磔された場所へ、

とにかくこの画がインパクトがありまして・・・、

ドラマでも描かれましたが鳥居強右衛門の物語、
強右衛門は、長篠城は武田勝頼の大軍に囲まれ籠城することになったが、徳川家康のもとに援軍を要請する使者を送ることを提案し、自ら武田軍の包囲網を突破して家康のもとに赴くことになった。強右衛門は長篠城を脱出することに成功し、岡崎城の家康に長篠城の窮状を訴え、それを聞いた家康は信長ともども出陣する決意を固めた。強右衛門は、その返事をすぐ城中の兵たちに伝えたいと長篠城に戻ろうとしたが、包囲の目をかいくぐって潜入することはむずかしく結局武田軍に捕らえられた。このとき武田方では捕らえた鳥居強右衛門を城近くに連行し、「援軍はこない。降参した方がよい」といえば命を助けるという約束で強右衛門にその口上をいわせようとしたが、強右衛門は「援軍がすぐ到着する」と叫んだ。そのため強右衛門は磔にかけられ殺されたが、結果的にはこの行為が長篠城籠城を継続させ、それが長篠設楽ケ原の織田・徳川連合軍大勝の大きな要因となったのである。
途中に鳥居強右衛門の墓もありました。

お参りします。

近くの橋の上、

豊川と宇連川が合流するこの対岸の崖上に長篠城はありました。

対岸よりぐるっと周って、長篠城跡に来ました。

この城は今川方、武田方、徳川方といろいろ変遷があったんですね。

保存館の中の資料は、やはり鳥居強右衛門関連が中心です。

出た


初日の三河(岡崎・長篠設楽原)はここで終わりだったのですが、
最終日に新東名高速道路で帰路途中に寄ったパーキングエリア、

なんと、ここも戦場域で、

すぐ横の高台は、

織田信長本陣がありました。

信長の目線で戦場の方面を見ましたよ。

初日に戻って・・・、
この城跡はすぐ横に電車が走っています。

三河編はここで終わり(お参りが多かったね)、このあとは遠江の浜松へ向かいます。
・・・つづく

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