至に至る病に冒されたものの、奇跡的に一命を取り留めた男。生きる意味を見出せず全ての生を憎悪し、その悪意に飲み込まれ、ついに親友を殺害してしまう。だが人殺しでありながらもそれを苦悩しない人間の屑として生きることを決意する―。人はなぜ人を殺してはいけないのか。罪を犯した人間に再生は許されるのか。若き芥川賞・大江健三郎賞受賞作家が究極のテーマに向き合った問題作。
人を殺すということの本質と殺した人間がどうなってしまうのかという長い歴史の中で幾度となく考察されてきた究極的テーマに挑んだ著者の意欲作。
虚無が生み出す悪意、そしてそれによって狂う万物の事象は限りなく忠実に再現されているように思う。まるで人を殺したかのような錯覚人間陥る。
なぜ作者は人を殺したことがないにもかかわらずこのような哲学が理解できるのだろうか。
死を意識して、初めて生きている実感が湧く。死は生の反対にあるのではなく、生の隣にあるもの。どちらかが希薄になった時、もう一方も比例して希薄となる。
だからこそ、生を謳歌している我々は、死を同じように意識しなければいけないと思った。そうしなければ、いつ何時主人公のように虚無に包まれてしまうか分からないのだ。
死とは何か。人を殺すということはどういうことか。人を殺した人間に再生は許されるのか。
皆さんもこれを読み、一度究極のテーマと向き合ってほしい。
悪意の手記 (新潮文庫)』の感想
人を殺すということはどういうことか。人を殺した人間はどうなってしまうのか。その本質が余すことなく書かれている。どういう訳か、ここでの事象、つまり人間を殺害した人間の陥る精神状態や症状は、他のあらゆる作品に共通している。
全てがリアルで中村文則作品で一二を争う不朽の名作。
#ブクログ
人を殺すということはどういうことか。人を殺した人間はどうなってしまうのか。その本質が余すことなく書かれている。どういう訳か、ここでの事象、つまり人間を殺害した人間の陥る精神状態や症状は、他のあらゆる作品に共通している。
全てがリアルで中村文則作品で一二を争う不朽の名作。
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