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ものを失っている…東大教授が授業中に・・・

2024-11-09 18:27:24 | 生活の知恵袋

MSN記事より抜粋コピー

「最近、字を書いていない人」は大事なものを失っている…東大教授が授業中に

愕然とした"東大生の返答"

スマホやパソコンが普及する一方、手で字を書く機会が減っている。東京大学大学院総合文化研究科の酒井邦嘉教授は「手書きのノートは、書くときにも読み返すときにも、いや応なく脳をたくさん働かせることになるが、キーボードなどの道具や電子機器は、脳が働く余地を奪ってしまう恐れがある」という――。

※本稿は、酒井邦嘉『デジタル脳クライシス――AI 時代をどう生きるか』(朝日新聞出版)の一部を再編集したものです。

研究結果は「ペンはキーボードより強し」

「メモを取る」は高度なマルチタスク

「メモを取る」という行為は何げない簡単なことのように見えて、実は高度なマルチタスクであることを忘れてはなりません。マルチタスクとは複数の作業を同時に行うことです。ビデオを視聴しながらノートを取ることは手書きもタイピングも同じですが、メモを取るときには全体の流れの中で何が肝心の要点なのかを思考する過程が同時に加わります。それがとても大切なマルチタスクなのです。

書きながら考えられない学生に愕然とした

大学で物理学の授業を担当していて、私がたくさんの数式を板書していたときのことです。今書いた内容について質問したら、「書いているときには考えられなかったので、分かりません」と返答した学生がいました。「書きながら考える」ことが当たり前だと思っていた私は愕然としてしまいました。

そのすぐ後に、学生が「書きながら考えられない」原因を突き止められたのですが、実は小学校の教育が関係していました。そのことは本書の第7章で改めて取り上げます。

習慣というのはなかなか変えられないものです。何も考えずに「とりあえず板書を書き写しておく」とか「とりあえずキーボードで丸ごと記録しておく」といった習慣では、思考の過程を先送りしているだけです。講義中に、あるいは取材中にメモを取らない限り、その場で生じた貴重な体験は記録できずに記憶から薄れていってしまいます。

楽器の弾き方や、運動のフォームを上達させることを考えてみると、適切なトレーニングによって自分の癖をまず直す必要があります。人がもともと持っている動作を矯正することには限度があるものの、必要最小限の筋肉を使う動作こそが最も理にかなった方法であることが分かります。

キーボードを使って手書きのようにノートを取ることを訓練するくらいなら、最初から手書きでノートを取るほうがはるかに合理的で自然でしょう。

会議でただの「記録係」になっていないか

手書きでノートを取るときには、単にキーワードを書き取るだけでなく、重要なところを丸で囲んだり下線を引いたりしてすぐに強調できますし、矢印を使って因果関係や流れを表すことも簡単です。そして、すでに書いたところに戻っていつでも書き足すことができます。

そうした自由自在な作業はキーボードだけではできません。ワープロソフトの機能や電子ペンを使えば可能ですが、複雑な設定に注意を向けると、大事な部分を聞き落としたりしてしまうかもしれません。

以上に述べてきたことを総合的に考えると、ノートやメモを取りながら内容を整理して咀嚼し、さらに的確に要約する必要があるときには、手書きのほうがキーボードよりも優れていると言えます。会議の場で忙しく機械的にキーボードを打っているだけでは、議論に積極的に参加したり、新たなアイディアを出したりするうえで不利になるばかりです。

脳をたくさん働かせるから記憶が定着する

手書きのノートを取るときに、「ここが大事」というポイントを選んで残し、それほどではない情報は捨てるという作業をしています。脳内でそうした取捨選択が行われているときにこそ、リアルタイムで思考が進行していくのです。手書きによるそうした過程が記憶の定着を促すと言えるでしょう。

 

読み返すときも、手書きノートは結果として書かれた情報が少ない分、想像力を働かせる必要が出てきます。それが記憶の取り出しを活発化させ、記憶の定着に寄与することになります。

つまり手書きのノートは、書くときにも読み返すときにも、いや応なく脳をたくさん働かせる方法だと言えます。

電子機器は脳が働く余地を奪っている

対照的にキーボードによるノートは、手作業がやたらに忙しい一方で脳をあまり働かせない方法です。理解や記憶の定着に対して脳を働かせることが、特に学習では重要なのですから。

このようにキーボードなどの道具や電子機器は、利便性を追求する一方で、脳が働く余地を奪ってしまう恐れがあるわけです。パソコンを使えばたしかにスピーディにタイプでき、間違えたときに直すのも楽。プリントすれば読みやすい文字で印字されます。

講義によっては、レポートを書くのにワープロの使用を義務づけることもあるでしょう。それは評価する教員側が読みやすいからそうするのであって、手書きのほうが学生側の教育効果が高いということを見落としてしまっています。

思考する時間が失われていることにも気づかない

今や電子ファイルをメールに添付してグループ送信できる時代です。そうやって思考する時間が失われていくのに、「失われた」ということ自体を意識することすら難しくなってしまいました。

道具に頼るあまり、人間の根幹である理解や記憶を犠牲にするとしたら、本末転倒ではないでしょうか。「デジタル機器とうまくつきあっていく」と言えるほど、これはなま易しい問題ではないと私は思うのです。


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