【羽生結弦 メダリスト会見(1)】苦悩の末に「自分のためにも競技を続けていいのかな」

フィギュアスケート全日本選手権の男子で5年ぶり5度目の優勝を果たした羽生結弦(ANA)は26日のフリー後、メダリスト会見に臨んだ。

――今までと異なる全日本を終えてメダリストとなった今の気持ちは
「率直にまずは、今回1人、コーチ不在ということで長い間、練習してきて。
もちろん練習の間に足痛くなったりとか、精神的に悩んで苦しい日々だったりとか、そういったものはもちろん、ありました。

ただ、うん、コーチ不在とはいえ、たくさんの方に支えられて、そして、練習の時からいろんな方に支えていただきました。もちろん、実際には練習のメニューとか、まあ、プログラムの構成もそうですけど、1人で考えて、1人でやってっていうことがものすごく多くて、大変だったことは大変だったと思います。

ただ、それがあってこその今だと思っているので、もちろん、今の結果は素直にうれしいですけれども、なにより、こうやって自分のことを信じてくれたコーチたち、そして遠くからでも支えてくれていたいろんな方々に、感謝を申し上げたいです。本当にありがとうございました」

――20年はどんな年だったか
「大変でした。でも、僕が大変だって思う気持ちは医療従事者、そして、関係者の方々、または、職を失ったり、そもそもお金が入らなかったり、生活自体が苦しくなっている方々に比べてみたら、本当にちっぽけなことで。

言ってみれば、僕はスケートってことをやれている自体、うん、ほんとに恵まれているんだなって思うんです。

だから、僕自身は苦しかったかもしれないけれども、少しでも、自分の演技がなんか、明日まで持たなくていいんで、もう、その時だけでもいいですし、そっから僕の演技が終わってから1秒だけでもいいんで、少しでも生きる活力になったらいいなっていう風に思う1年間でした」

――苦しい時期、前を向いた瞬間は
「まあ、どん底まで落ちきって、ほんとに、あの、そうですね、まあひと言で表したいんですけど、説明が難しくて、うまく言えないかもしれないんですけど。

う~ん、なんか自分がやっていることがすごく無駄に思える時期がすごくあって。
まあ、いろんなトレーニングとか、または練習の方法とか。もちろん、自分自身で振り付けを考えなきゃいけないというプレッシャーだったりとか。自分自身で自分プロデュースしなくてはいけないプレッシャーとか。それがみなさんの期待に応えられるのか。そもそも4回転アクセルって跳べるのか、とか。でも、入ってくる、僕の中に入ってくる情報は、やっぱみんなすごい上手で、みんなうまくなってて、なんか1人だけ取り残されているっていうか。

なんか1人だけ、ただただ、なんか暗闇の底に落ちていくような感覚があった時期があって。でも、なんかもう1人でやだって思ったんですよ。1人でやるの、もうやだって思って。疲れたなって思って。

もうやめようって思ったんですけど。やっぱ、“春よ来い”と“ロシアより愛を込めて”っていうプログラムと両方やった時に、なんか、やっぱスケート好きだなって思ったんですよね。スケートじゃないと、自分は感情を出せないなって。全ての感情を出し切ることができないなって。

だったらもうちょっと、自分のためにわがままになって、みなさんのためだけじゃなくて、自分のためにも競技を続けてもいいのかなって気持ちになった時が、ちょっと前に踏み出せた時ですかね。ちょうど良くどん底に落ちきって、ほんとにアクセルすら、トリプルアクセルすら跳べなくなった時期があったので。まあ、そっから比べたら、今はだいぶ成長できたのかなとかって思ったりはしています」

=(2)に続く=
【羽生結弦 メダリスト会見(2)】「自分が出場したことで、何かの活力になれば」

フィギュアスケート全日本選手権の男子で5年ぶり5度目の優勝を果たした羽生結弦(ANA)は26日のフリー後、メダリスト会見に臨んだ。
――どん底の時期はいつ頃
「いや、結構、長くてその期間は。ほんと10月、11月くらいまで、10月終わりくらいまでありました。ただ、そこから少しずつコーチたちにメールして、ビデオ送って、こんな風になっているんだけど、どう思いますか?とかいろいろアドバイスをもらったりとか、頼ることができはじめて。で、その上で、もちろん、ライブでそんな会話とかできるわけじゃないですし、自分の感覚と自分の今までの経験で練習を構築していくしかないんですけど。
「いや、結構、長くてその期間は。ほんと10月、11月くらいまで、10月終わりくらいまでありました。ただ、そこから少しずつコーチたちにメールして、ビデオ送って、こんな風になっているんだけど、どう思いますか?とかいろいろアドバイスをもらったりとか、頼ることができはじめて。で、その上で、もちろん、ライブでそんな会話とかできるわけじゃないですし、自分の感覚と自分の今までの経験で練習を構築していくしかないんですけど。

でも、そういう意味ではやっと、ほんとにやっと、自分がここまでスケートをやってきて、やっぱ鍵山選手も、宇野選手も、やっぱどんどんどんどん技術的にうまくなっていってて、なんていうんですかね、なんか年寄りみたいな感覚が、自分の中であって、固定概念みたいなのがあって。どんどん技術的に落ちるんだろうな、みたいな。

アクセル練習すれば、4回転アクセル練習すれば、どんどん他のジャンプも崩れていくし、ダメになっていくし、足も痛くなるし。そういったなんか悪いスパイラルに入っている中で、やっと自分が長年経験してきたこと、ケガしたこととか、平昌のこととか、あとは自分がうまくできた時のこととか、そういったものを消化して、ベテランらしく、うん、ちょっとはいい演技が、いい練習ができるようになったんじゃないかなという風に思っています」
――メダリストの宇野選手、鍵山選手について
「まず、宇野選手はほんと、なんていうんですかね、両方ともそうなんですけど、なんか、すごい憧れてくださって、ほんとにありがとうございますっていう気持ちがすごくあって。
「まず、宇野選手はほんと、なんていうんですかね、両方ともそうなんですけど、なんか、すごい憧れてくださって、ほんとにありがとうございますっていう気持ちがすごくあって。

ちっちゃい頃から、昌磨に関しては一緒に試合に出て、思い返せば、ノービスの頃もあって。なんていうんですかね、あんなちっちゃかった頃が懐かしいなって思ったりとか。そもそも、この子の持っている表現の仕方とか、所作のきれいさとか、そういったものはほんとに努力して、ほんとに心からつらくなる時期もあったと思うし、彼自身が持っているつらさみたいなものも、もちろんあると思うんですけど、それを押し殺してまで、ここまでやってこられたっていうのはものすごく尊敬してるし、僕自身が。なにより心の強いファイターだなって思っています。

で、鍵山選手に関しては、やっぱあんだけ、勢いを生かして、何事にもステップもそうですし、スピンもそうだし、ジャンプもあれだけ勢いを使ってジャンプを跳べるのはホントにすごいことだし、やっぱあれだけの衝撃をずーっと体で耐え続けているわけでもあって、その中でちゃんとケガせずに自分をコントロールできているっていうのは、若いながらも、やっぱり自分自身も勉強させてもらっているし、尊敬している点です」
――コロナ禍での価値観の変化は
「僕はちょっと震災と絡んでしまうかもしれないんですけど、またあらためて、スケートできることが当たり前じゃないってことを痛感しました。あの、先程言ったこととちょっとかぶってしまうかもしれないんですが、やはり、僕らよりも絶対苦しんでいる方はいらっしゃいますし。うん、最期に会えない方々だっていらっしゃいますし、そういう方々だったり、いまほんとに先が見えない労働を強いられて、ほんとに目の前が真っ暗になるような方々もいらっしゃると思います。
――コロナ禍での価値観の変化は
「僕はちょっと震災と絡んでしまうかもしれないんですけど、またあらためて、スケートできることが当たり前じゃないってことを痛感しました。あの、先程言ったこととちょっとかぶってしまうかもしれないんですが、やはり、僕らよりも絶対苦しんでいる方はいらっしゃいますし。うん、最期に会えない方々だっていらっしゃいますし、そういう方々だったり、いまほんとに先が見えない労働を強いられて、ほんとに目の前が真っ暗になるような方々もいらっしゃると思います。

そういう方々にとっては、僕が僕らがこうやってスケートをしているのは、ある意味、その人たちからしたら、これも仕事って言われるのかもしれないですけど。僕にとっては、震災を経験した僕にとっては、やっぱりスケートは自分が好きなことにしかなってないので。やっぱそれをさせてもらって、こうやって競技の場として設けてもらって、まあ、それを最後まで闘い抜かせていただいて、まあ申し訳ないっていうか、罪悪感もちょっと、ちょっとあるといえばあるんですけど。ただ、自分が出場したことで、先程言ったようにちょっとでも何かの活力になれば、なんかの気持ちの変わるきっかけになればという風に思いました、はい」

=終わり=
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2020/12/27/kiji/20201227s00079000278000c.html
読んでいただいてありがとうございました。
*画像は感謝してお借りしました。