

カナダが今夜から入国禁止になるそうです。
一週間前の中止騒ぎとは
全く違う次元になってしまいました。
瞬く間にヨーロッパ諸国に広がってしまった。
罹患者数もさることながら
亡くなった方の数が、恐ろしい数字に。
日本の罹患者数はあてにならないけど
亡くなられた方の数は、まだ、それほど多くはない。
しかし、一向に収まる気配がないですね。
私は、四大陸に行くと決めた1月末から
手洗い、うがい、体調管理に気を付けてきて
もう、習慣になっちゃいましたが
残り少ないマスクや消毒薬に
焦りを感じています。
ここ数日
抜け殻みたいになって
何かする気力も湧きませんでした。
仕事はなんとかこなしてきましたが・・・
OFFの時間はひたすら寝る~~~
本当は、明日が出発日
人生で一番チャレンジャーな一週間になる予定だった。
この日の為に
夜な夜なグーグルでホテルから会場へ行く道順を覚え
食事はここでしようとか
ここのスーパーでこれ買ってとか
試合のない日はここへ行こう
なんて、妄想していたのに
すべてが泡となって消えてしまった。
これを選手に置き換えたらどうだろう
色々な事を犠牲にして
毎日の苦しい練習を
この日のためにと耐えて
国の代表として選ばれた名誉と誇りに喜びふるえて
待っていた日々
どんなにか、戦いたかっただろう
どんなにか、魅せたかっただろう
喪失感は想像できない。
来年があるなんて簡単に行ってほしくない
いろんな事情で今年しかチャンスがない人が
たくさんたくさんいるから
自然の運命は残酷だ
簡単に私たちから喜びを奪っていく
SNSでは、試合の中止に関して
中止が当然、良かった っていう人が多かったけど
良かった っていう言葉は使ってほしくなかったなぁ
なかなか、立ち直りが遅いです。
昨日は、完全に思考が止まっておりました。
と、言いつつも
仕事は待ってくれない
でも、気が紛れていいのかも
お客様からも、
「中止になっちゃいましたね・・・」って
慰められる始末。
娘や友達も、慰めてくれて
なんか、嬉しくて涙が出てきちゃった。
そして、羽生結弦選手から
現役続行のコメントとクリケットでの発言が!!!
私たち、観客に対しての気遣いもあって
さすが、我らがゆづくん!!
何か、元気が出てきた!!
ゆづくんが一生懸命練習した SEIMEI
どんなにか演技したかっただろう
でも、彼はもうすでに前を向いていた。
いえ、前を向こうと必死に食いしばっていたように映ったけど・・・
私も、明日からは前を向いていこう。と思う
でも、今回はいろいろと頑張った思いが強すぎて抜け殻感が半端ない
いろいろ詰め込んだスーツケースを片付ける気力がない
せめて今日は、気持ちの整理をさせてください。
今年もこの日がやってきた。
私にとっても忘れられないあの日
私は当時、西日本にすんでいたので
揺れは感知していない。
阪神淡路大震災の時は自宅で寝ていて
遠くから地響きのような何とも言えない音が聞こえてきて
それから間もなくして揺れが始まった。
私の住んでいた地域は震度4だったと記憶しているが
とにかく横揺れが長かった。・・・今まで感じたことの無いような長さ
すぐにテレビを付けたが
その時は地震速報くらいで、被害の実態が分からなかった。
それから一時間も経たないうちに
次々と目を覆うような悲惨な状況が映し出されて
被害の大きさを思い知った。
2011年3月10日
なぜか私は阪神淡路大震災が思い出されて
会社の人に
「近頃地震多いですね。なんかこわい」
ともらした。
次の日、会社で普段あまりしゃべらない方が
お昼休みに
「きのう○○さんが、言ってたことが気になって昔のアルバム見てたんだ」
と、一冊のアルバムを見せてくれた。
写真をみると、そこにはがれきの山が・・・
彼は、当時大学生で神戸に住んでいて
お店屋さんの2階に下宿していて
建物は倒壊したけれど、かすり傷程度で済んだそうだ。
1階部分がぺちゃんこになっていて
気が付いたら、1階部分に自分がいたらしい・・・
明け方だったので、下には人がいなくてよかったのだが
同級生や知り合いが亡くなったり、怪我をしたり、
当時、記録として写真をアルバムにまとめたけど
今まで、つらくて見てなかったとの事。
「なぜ、今日持ってきたのか自分でもわからない・・・」と
昼休みは、みんなでその写真を見せてもらいながら
普段から災害に備えないとね と話し合った。
午後3時前、その一報は届いた。
東京出張の課長からの電話だった。
「いま、羽田で凄い地震があって、電車やバス、
すべての交通機関がストップしているので動けない
お客様に連絡してほしい」との事
私たちは大急ぎで会議室のテレビを付けると
テレビは緊急地震速報と津波警報を出していた。
福島にお子さんがいる同僚は、
テレビを見た瞬間
「今から迎えに行く」と、すぐ帰った。
信じられない勢いで、家にある食べ物と飲み物、
毛布や布団、ガスコンロやホッカイロをワゴンに詰めて
ご主人と福島に向かったそうだ。
のちに彼女はこの初動が、その後の明暗を分けたと
私に語ってくれた。
彼女夫婦は、福島原発で道路が閉鎖される前に
子供を連れて現地を脱出した。被ばくを免れたのだ。
道なき道を、真っ暗な中、ただひたすら子供を助けるために走ったそうだ。
課長からの電話はその後無かった。
というか、全くつながらなかったのだ。
勿論、お客様にも繋がらなかった。
課長は羽田空港で一泊したそうだ。
毛布とパンを配ってもらったと、後で聞いた。
その頃、私は個人的なことで人生に悩んでいた。
もう、死んでしまいたいくらい苦しい思いをしていた。
しかし、生々しい津波の映像・・・火災・・・
サイレンの音と、人々の叫び声
そして、原発の画像と
刻々と危険度を増す、放射能漏れの報道が
あまりにも現実味がなくて
でも、それは紛れもなく今起こっている事。
沢山の命が亡くなった。みんな誰かの大切な人たち・・・
生きなきゃってその時思った。
2年後に仕事で被災地を巡った。
がれきは処理され、ただただ何もない、広い平野
でも、よく見ると、玄関のタイルがあったり、土台の束があったり
そこに家が建っていた証拠が残っていた。
気仙沼では海からすごく離れた場所に大きな船が打ち上げられていた。
女川では、コンクリートの大きな建物が横倒しになっていた。
自然の力は強大だ。人類は抗えないのだろうか・・
避難所を慰問すると、皆さんが温かく迎えてくれて
来てくれるだけでありがたい。
私たちを忘れないでいてくれるだけで嬉しいと言ってくれた。
皆さんどれほど苦労してきただろう、身内や知り合いを無くした方も少なくなかった。
いま、コロナウィルスが街中に広がり
まさに、パンダミック
マスクを転売して儲けたり
トイレットペーパーを取り合いして喧嘩したり
咳やくしゃみをする人を罵倒する
あの、震災の時に
あたたかい支援を差し伸べた同じ国民の皆さんが・・・
やはり3月は鬼門なんだろうかと
落ち込むことしきりだけど
幸か不幸か仕事が忙しくって
色々考える暇がない。
もう、運を天に任せて
入国拒否または試合の中止がなければ行こうと決めた。
なるようにしかならない。
幸い私の仕事は
沢山の人に会う事もないし
マイカー移動だし
極力人に接することを避けて
手洗消毒、うがいにマスク フル装備
あとは、空港と機内でうつされないように
最新の注意をはらおう。
誰に非難されても私の人生だし
最大限の努力を払ってそれでだめなら仕方ばない
今回がだめでも次があるって、人は言うけれど
人生は限られている。
ましてや私は還暦おばさん
次があるなんて悠長なことは言っていられない。
私の時間はもう残り少ないし
お金だって無限にあるわけじゃない
いつ何時、親の介護が必要になるのかもわからない。
自分勝手でわがままだけど
わかってるけど
勿論、覚悟をもって
今回は自分からあきらめたくない・・・・
とうとう恐れていたことがやってきてしまいました。
カナダも日本人に対して入国後制限発令しました。
新型コロナウイルス、カナダでも日本人への入国後の制限が発令。
トロント・オンタリオ州を含む9つの州。
なお3/16から開催される羽生結弦選手などが出場予定の
フィギュアスケート世界選手権が行われるモントリオールの
ケベック州もリストに含まれている。
入国拒否も時間の問題だと思います。
しかし、この期に及んでも
きっと、世界選手権は実施される・・・・
当事者でない方は
この時期に海外なんて不謹慎
って言われるでしょう。
これが、リスクの高い地域だったら
すっぱり諦められるのでしょうが
日本より安全な場所
どうしても見たかった大会
一所懸命仕事してためて工面したお金で行く旅行
そして、現段階では
行けない訳ではない
もう、蛇の生殺し状態です。
悩むこと自体非国民でしょうか?