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戦争を考える・・・『ある「BC級戦犯」の手記』読後感

しばらく前・・・ロシアがウクライナに戦争を仕掛ける前・・・ですが、冬至堅太郎氏の『ある「BC級戦犯」の手記』を図書館から借りて読みました。この本についてはこれまでも書評などで取り上げられております。私は読み終えた後、戦争について考えたことを書いてみます。

冬至氏が「戦争犯罪人」とされたのは米軍機の搭乗員であった捕虜を殺害した、という事に因るものですが、彼がその行為に至ったのは、『民間人に対する無差別爆撃という戦争犯罪を犯した米兵の行為が、軍事法廷で戦犯行為として死刑の判決を得たものである。という前提で母親を殺害された恨みを晴らす気持ちの下に死刑執行人として名乗りを上げたもの。』であったと記されています。

私がここで考えたことは、「戦争犯罪」とは何だろうか、ということです。そもそも戦争という行為自体が戦争ではない状況の下では許されない行為が許されてしまうような『犯罪行為』であり、法律や人権などに基づいた「全て正当な行為である戦争」など、根本的な矛盾をはらんだ「たわごと」でしかありません。若い頃レマルクの『西部戦線異状なし』を読みましたが、忘れられない一節があります。・・・主人公が塹壕の中でフランス兵を殺害しますが、フランス兵が家族のある印刷業者であることが分かり、フランスの印刷屋を殺すつもりはなかった、戦争が終わったら印刷屋になろうと考える・・・

冬至さんが「処刑」した爆撃機B29の搭乗員はどんな若者だったのでしょうか?戦争がなければ見も知らぬアメリカの若者を「殺す」ことはなかったでしょう。また、戦争でなければ、B29の搭乗員であった若者達は、平気で日本の「民間人」を爆弾や焼夷弾によって焼き殺せたでしょうか?

私には全てこれらも「戦争犯罪」・・・犯罪行為である戦争によって犯すことになった行為・・・だと思います。

しかし、本当に断罪すべき戦争犯罪とは、『戦争を行うことを決めた人々の行為、あるいは戦争を行うと決断したこと』であり戦争犯罪人とは『その様な行為に関わった人』であると思います。更に言えば「戦争すべきだと考えたり、戦争すべきとの意見を言ったり、戦争をすべきでないと言う人々を非難したり」した人もまた「犯罪に荷担した」責任を負わねばならないと思います。

戦争に勝った者達は、自分の犯罪行為は記録せずになかったこととして負けた者を断罪します。戦争に負けた者は、勝った者も断罪されるべきだとの内心の思いから自分の行為を真剣に反省しようとはしません。(反省すると、自虐史観だと追求する人もいます。)

かくして、この世界から戦争はなくならないのでしょう。


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