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「金は天下の回りもの。なんとかならあな」 江戸時代の日本人は幸せだった。 人類史上もっともユートピアに近かった江戸日本

2016年08月11日 16時58分32秒 | 社会問題


「金は天下の回りもの。なんとかならあな」今、こう言える国民がいるのか?私が子供の頃には、こう口癖の大人が結構いた様に記憶します。高度成長期で仕事には困らず、働けば何とかなる時代でしたから、国民の幸福度は高かった様に思います。

「宵越しの金はもたないのが江戸っ子」と言いますが、貯蓄する必要が無い時代だったと云う事が、分かります。何かを購入する為に、貯蓄すると云う概念自体が江戸時代には無かったようです。衣食住さえあれば幸せを感じられる時代が、江戸時代。

>江戸時代は循環型社会であって、太陽エネルギーが産んだ植物を衣食住に使い、4つのR、消費削減(リデュース)、再使用(リユース)、資源再利用(リサイクル)、修理(リペア)により、何も増えないし何も減らない社会ができていました。

理想的な循環型社会。何も増やさず、何も減らさずと云う概念が素晴らしいです。こう云う概念ならば「カネ」に踊らされる事なく、何が大事なのかを本能で理解して生活が送れます。

資本主義社会は物欲をくすぐり、大量消費が当たり前の、「使い捨て」型社会なので、大量消費と共に、心もいつの間にか捨て去られてしまう、「カネ」が全ての、ど~んよりとした暗い社会です。これでは幸せを感じる事は無く、幸福度は限りなく「ゼロ」です。

何時も「カネ」の心配が付き纏い、心休まる時間は中々見つけられませんね。


江戸時代の日本人は幸せだったCommentsAdd Starmade-in-nippon

江戸時代

人類史上もっともユートピアに近かった江戸日本。

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 物質的に豊かな現代からみると江戸時代というのは武士だけいい暮らしをして庶民は貧乏で不幸だったように思っている人が多いことでしょう。長屋の生活なんて6畳とちょっとした土間があって家具なんて箪笥(たんす)が一つあるくらい。水道がないから、井戸から汲んできた水をかめにいれてためます。ガスも電気もなく照明は行灯(あんどん)のなかで油を燃やします。トイレは共同。プライバシーなどありません。ところが幕末期に日本にきた外国人は日本人は幸せそうだ、と言っています。

 英国エルギン卿使節団のシェラード・オズボーン 安政5年(1858年)来日

「この町(長崎)でもっとも印象的なのは(そしてそれはわれわれの全員による日本での一般的観察であった)男も女も子供も、みんな幸せで満足そうに見えるということだった」

 同使節団、ローレンス・オリファント

「個人が共同体のために犠牲になる日本で、各人がまったく幸福で満足しているように見えることは、驚くべき事実である」

 西洋の近代文明から見れば日本人の生活はみずぼらしく見えたはずですが、日本人は幸福そうに見えたと言っています。個人主義の西洋人から見れば公に尽くす行為など「犠牲」になっているという価値観であり不幸なことですが、日本人は幸せそうだと言っています。

 ロシア艦隊に勤務していた英国人 ヘンリー・ティリー 安政6年(1859年)来日 函館にて

「健康と満足は男女と子供の顔に書いてある」

 イギリスの公使、オールコック 安政6年(1859年)来日

「日本人は、いろいろな欠点をもっているとはいえ、幸福で気さくな、不満のない国民であるように思われる」

 質素な生活をしていてもお金に余裕があったから、幸せだったのでしょうか。野菜行商で生計をたてている長屋の"とっつあん"の例をとります。"とっつあん"は妻と子供二人を養っています。朝野菜を仕入れて、日没まで売り歩きます。

 野菜の仕入れ 600~  700文( 約9,000円~15,000円)

 売上   1,200~1,300文(約18,000円~20,000円)

 粗利600文(約9,000円)というところです。"とっつあん"は帰宅すると日割りの店賃と翌日の仕入れを除いてコメ代200文(約3,000円)を妻にわたし、みそと醤油代50文を追加でわたします。子供のお菓子代に12文を渡すと、残りは100文~200文というところ。2,3千円ですから、一杯やってしまえばおしまい。宵越しの金はもたないのが江戸っ子といいますが、その日暮らしというわけです。

 明日一家がどうなるかわからないのに、これでどうして幸せなのでしょうか。

「金は天下の回りもの。なんとかならあな」

 江戸時代は循環型社会であって、太陽エネルギーが産んだ植物を衣食住に使い、4つのR、消費削減(リデュース)、再使用(リユース)、資源再利用(リサイクル)、修理(リペア)により、何も増えないし何も減らない社会ができていました。物もお金も単位共同体という狭い範囲内で循環しますので、不安無く皆暮らしていたということでしょう。なにか物を大量に消費して不足する、無くなるということがないし、商人も株仲間で相互監視して買い占めたり、価格操作する悪さはできない。農村では自給自足、相互扶助です。自然の循環と一体になって生きるから人口も爆発的に増えません。飽和絶滅の危機を本能が感じることがないわけです。もしかしたら、江戸時代の日本は究極の幸福社会であり、人類史上でもっともユートピアに近かった社会なのかもしれません。

 イギリス公使のオールコック卿は日本があたかも楽園のように宣伝されていることを苦々しく思っており、「長いあいだ流布されてきたユートピア的な日本観は、日本をよく知るにつれて破壊される」という信念をもっていましたが、著書「大君の都」で次のように書いています。

「この火山の多い国土からエデンの園を作りだし、他の世界との交わりをいっさい断ち切ったまま、独力の国内産業によって3千万と推定される住民が着々と物質的繁栄を増進させてきている」

卿は「エデンの園」とうっかり書いてしまいました。

 弁護士の南出喜久治氏は自立再生社会の実現を唱えており、その社会の単位社会を「まほらまと」と呼んでいます。「まほら」は秀でた場所(土地)、つまり理想郷であり、「まと」は循環無端の「円(まどか)」であり、「玉(たま)」であって、それが「的(まと)」であると述べています。

 単位共同社会(まほらまと)の中で生活必需品をまかない、医療、教育、労働の機会があり、完全自給を達したらそれを極小化します。無減小への方向で内需拡大していき、最終的には大家族単位の自給自足の自立再生が実現できれば治安秩序においても諸問題はほとんど解決するといいます。世界主義や経済圏拡大主義(EUや道州制)といった拡散指向は飽和絶滅に向かう以外なく、「まほらまと」の極小化という収束指向こそ人類を救うものであり、究極の幸福論であるといいます。言ってみれば江戸型社会を見習え、ということです。

 トマス・モアの「ユートピア」は決して存在しない理想郷、架空の国家ですが、江戸日本はかつて存在したのです。ほんの150年前、我々のご先祖が作り上げていたのです。身近なところに実現可能なお手本があるわけです。我々はご先祖に応え、子孫繁栄のために江戸日本を見直し、本当の幸福とは何かを追求していくべきでありましょう。



参考文献

 平凡社ライブラリー「逝きし世の面影」渡辺京二(著)

 岩波文庫「大君の都」オールコック(著)/ 山口光朔(訳)

 河出書房出版「江戸の庶民の朝から晩まで」歴史の謎を探る会(編)

 まほらまと草紙「まほらまと」南出喜久治(著)

添付画像

 東海道中膝栗毛五編上13~14ページ、江戸の長屋風景より井戸端会議部分切り抜き(PD)


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外国人から見た日本人は皆、幸せに見えたようです。

江戸時代の庶民は幸福だった

2011.01.21 Friday
19:10
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 江戸時代に日本を訪れた外国人が、日本社会を見て驚嘆し、皆日本を讚美しています。今現代の日本社会を見て、日本人はこんなに変わってしまったのかと嘆かわしく思わずにはいられません。


■1.「彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである」

 黒船によって武力でむりやり日本を開国させたアメリカが、初代駐日公使として送り込んだのが、タウンゼント・ハリスだった。ハリスは安政4(1857) 年11月、初めての江戸入りをすべく、下田の領事館を立った。東海道を上って神奈川宿を過ぎると、見物人が増えてきた。その日の日記に、彼はこう書いてい る。

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 彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない。----これが恐らく人民の本当の姿というものだろう。私は時と して、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、疑わしくなる。

 私は質素と正直の黄金時代を、いずれの国におけるよりも多く日本において見出す。生命と財産の安全、全般の人々の質素と満足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる。[1,p121]
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 ハリス江戸入りの当日、品川から宿所である九段阪下の蕃書調所までの間に、本人の推定では18万5千人もの見物人が集まったという。その日もこう書いている。

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 人々はいずれも、さっぱりしたよい身なりをし、栄養も良さそうだった。実際、私は日本に来てから、汚い貧乏人をまだ一度も見ていない。[1,p121]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■2.「だれもかれも心浮き浮きとうれしそうだ」

 幕末から明治にかけて、日本を訪れた外国人がほとんど異口同音に語っているのは、日本人がいかにも幸福そうであったという点である。

 明治17(1884)年頃からしばしば来日した米国の女性旅行家イライザ・シッドモアは、鎌倉の浜辺でのこんな光景を描写している。ハリスも下田から江戸に上る道中で、似たような光景を見たのではないか。

__________
 日の輝く春の朝、大人は男も女も、子供らまで加わって海藻を採集し、砂浜に広げて干す。

・・・漁師のむすめたちが脛(はぎ)を丸出しにして浜辺を歩き回る。藍色の木綿の布きれをあねさんかぶりにし、背中に籠(かご)をしょっている。子供らは泡立つ白波に立ち向かったりして戯れ、幼児は砂の上で楽しそうにころげ回る。

・・・婦人たちは海草の山を選別したり、ぬれねずみになったご亭主に時々、ご馳走を差し入れる。あたたかいお茶とご飯。そしておかずは細かにむしった魚である。こうした光景すべてが陽気で美しい。だれもかれも心浮き浮きとうれしそうだ。・・・[1,p130]
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 熱いお茶とご飯とむしった魚が「ごちそう」というから、決して物質的に豊かではないが、「だれもかれも心浮き浮きとうれしそう」に生活できる社会だったのだ。


■3.欧米の貧民たちの暮らしぶりと比べて

 日本を訪れた西洋人たちが、日本人の幸福な生活ぶりに驚いているのは、当時の欧米社会と比較してのことであろう。たとえば、フリードリッヒ・エンゲルスは19世紀中葉のイギリスの貧民街の有様を次のように描写している。

__________
 貧民にはしめっぽい住宅が、すなわち床から水のはいあがってくる地下室か、天井から雨の漏ってくる屋根裏部屋が与えられる。
・・・貧民には粗悪で、ぼろぼろになった、あるいはなりかけの衣服と、粗悪で混ぜものをした、消化のわるい食料品が与えられる。
・・・貧民は野獣のようにかりたてられ、休息も、安らかな人生の享楽も許されない。[1,p133]
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 工場主は子供をまれには5歳から、しばしば6歳から、かなり頻繁となるのは7歳から、たいていは8歳ないし9歳から、使い始めること、また毎日の労働時 間はしばしば14時間ないし16時間(食事のための休み時間を除く)に及んでいること、また工場主は、監督が子供をなぐったり虐待したりするのを許してい たどころか、しばしば自分でも実際に手をくだしていたことが語られている。[1,p133]
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 当時、来日した欧米人はみな母国におけるこのような悲惨な下層階級の生活ぶりを知っていたはずだ。それに比べれば、海岸で大人も子供を一緒に海藻集めにいそしんでいる日本の庶民の光景は、いかにも幸せそうに見えたはずである。


■4.貧しくとも幸福に暮らしている人々

 明治10年代に東京大学のお雇い教授を務めたアメリカの動物学者・エドワード・モースは、日本とアメリカの貧困層を比べて、次のように書いている。

「実際に、日本の貧困層というのは、アメリカの貧困層が有するあの救いようのない野卑な風俗習慣を持たない」。日本にも雨露を凌ぐだけという家々が立ち並 んでいるが、しかし「そのような小屋まがいの家に居住している人々はねっから貧乏らしいのだが、活気もあって結構楽しく暮らしているみたいである」。

 欧米では、貧乏人はスラム街に押し込められ、悲惨と絶望の中で生きていくしかないが、日本では貧しくとも幸福に暮らしている人々がいる、というのが、彼らの驚きであった。どうしてそんな事が可能になるのか?

 英国公使ヒュー・フレーザーの妻メアリは明治23(1890)年の鎌倉の海岸で見た光景をこう描写している。

__________
 美しい眺めです。----青色の綿布をよじって腰にまきつけた褐色の男たちが海中に立ち、銀色の魚がいっぱい踊る網を延ばしている。その後ろに夕日の海が、前には暮れなずむビロードの砂浜があるのです。

 さてこれからが、子供たちの収穫の時です。そして子供ばかりでなく、漁に出る男のいないあわれな後家も、息子をなくした老人たちも、漁師のまわりに集ま り、彼らがくれるものを入れる小さな鉢や籠をさし出すのです。そして、食用にふさわしくとも市場に出すほどの良くない魚はすべて、この人たちの手に渡るの です。

・・・物乞いの人にたいしてけっしてひどい言葉が言われないことは、見ていて良いものです。そしてその物乞いたちも、砂浜の灰色の雑草のごとく貧しいとはいえ、絶望や汚穢(おわい)や不幸の様相はないのです。[1,p131]
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「あわれな後家」も「息子をなくした老人たち」も、このように思いやりのある共同体の中でしっかり守られて、その平等な一員として生きて行けた。この思いやりと助け合いこそが、貧しくとも幸せに暮らせた理由であろう。


■5.「自分たちが彼の分まで頑張るから」

 海辺に住む漁師たちは海の恵みを共有しているから、こういう分かち合いも可能になるのだが、町中に住む人々の暮らしはどうか。

 明治11(1878)年に、東北地方から北海道、その後関西地方を日本人通訳一人を連れて旅したイギリスの女性旅行家イザベラ・バードは、奈良県の三輪で、3人の車夫から自分たちを伊勢の旅に雇って欲しいと頼まれた。

 推薦状も持っていないし、人柄もわからないので断ると、一番年長の男が「私たちもお伊勢参りがしたいのです」と訴えた。この言葉にほだされて、体の弱そ うな一人をのぞいて雇おうと言うと、この男は家族が多い上に貧乏だ、自分たちが彼の分まで頑張るからと懇請されて、とうとう3人とも雇うことになった。

「人力車夫が私に対してもおたがいに対しても、親切で礼儀正しいのは、私にとっても不断のよろこびの泉だった」と彼女は書きとどめている。

 町中でも思いやりと助け合いが弱者を護っていたのである。これなら物質的には貧しくとも、欧米のスラムにあるような孤独、絶望という不幸とは無縁で暮らせただろう。


■6.「口論しあっている日本人の姿を見かけたことがなかった」

 このような社会では、喧嘩や口論もほとんどない。維新前後に2度、日本を訪問した英国人W・G・ディクソンは、こう述べている。

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 私は日本旅行のすべてにおいて、二人の男が本当に腹を立てたり、大声で言い争ったりしたのを見たおぼえがない。また、中国では毎日おめにかかる名物、つ まり二人の女が口論したり、たがいにいかがわしい言葉を投げつけあったりしているのも一度も見たことがない。[1,p168]
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江戸時代の女性









 明治7(1874)年から翌年にかけて、東京外国語学校でロシア語を教えたレフ・イリイッチ・メーチニコフもまったく同様の体験を記している。

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 この国では、どんなに貧しく疲れきった人足でも、礼儀作法のきまりからはずれることがけっしてない。・・・わたしは江戸のもっとも人口の密集した庶民的街区に2年間住んでいたにもかかわらず、口論しあっている日本人の姿をついぞ見かけたことがなかった。

 ましてや喧嘩などこの地ではほとんど見かけぬ現象である。なんと日本語には罵りことばさえないのである。馬鹿と畜生ということばが、日本人が相手に浴びせかける侮辱の極限なのだ。[1,p167]
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 口論や喧嘩は、利害の対立から生ずる。思いやりと助け合いに満ちた共同体では、各自が自己主張を自制するので、利害の対立は少なく、その結果、人々は互いに争うこともほとんどないのであろう。


■7.「われわれはみな同じ人間だと信ずる心」

 思いやりと助け合いの根底をなすのは、人々の平等感であろう。明治6(1873)年に来日して、東京帝国大学の外国人教師となったバジル・ホール・チェンバレンは「この国のあらゆる社会階級は社会的には比較的平等である」と指摘している。[1,p129]

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 金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。・・・ほんものの平等精神、われわれはみな同じ人間だと心から信ずる心が、社会の隅々まで浸透しているのである。[1,p129]
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 冒頭に紹介した初代駐日公使タウンゼント・ハリスは、江戸での将軍家定との謁見については、こう書いている。

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 大君の衣服は絹布でできており、それに少々の金刺繍がほどこしてあった。だがそれは、想像されるような王者らしい豪華さからはまったく遠いものであっ た。燦然(さんぜん)たる宝石も、精巧な黄金の装飾も、柄にダイヤモンドをちりばめた刀もなかった。私の服装の方が彼のものよりもはるかに高価だったと いっても過言ではない。・・・

 殿中のどこにも鍍金(めっき)の装飾を見なかった。木の柱はすべて白木のままであった。火鉢と、私のために特に用意された椅子とテーブルのほかには、どの部屋にも調度の類が見あたらなかった。[1,p122]
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 日本の最高権力者である将軍は、米国の一公使よりも質素な服装をしており、逆に一般民衆には欧米社会のような貧民はいない。将軍から町民まで、「同じ人間だ」という意識が浸透していたのである。


■8.幸福な共同体のありようを継承、再生する責務

 このような幸福な共同体は、過ぎ去った過去の幻影として、現代の日本では完全に失われてしまったものだろうか? 実は、現代の日本を訪れた外国人も、幕末・明治に日本を訪れた外国人と同様の体験を語っている。

 たとえば中国から来て日本滞在20年、今では帰化して大学で中国語を教えている姚南(ようなん)さんはこう語っている。[c]

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 これは民族性の違いだと思いますが、日本では一歩譲ることによって様々な衝突を避けることができます。例えば自転車同士がぶつかったときなど、中国なら すぐ相手の責任を求めますが、日本ではどちらが悪いという事実関係より、まず、お互いに「すみません」と謝ります。その光景は見ていてとても勉強になりま す。

 ある日、混んだ電車に乗っていたときのことです。立っていた私は、揺られた拍子に後ろに立っていた女性の尖った靴先を、自分のヒールで踏んでしまったのです。すぐ「ごめんなさい」と謝ると、その人は微笑んで「靴先は空いているから大丈夫ですよ」と言ってくれました。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 こうした日本人の特性を姚南さんは「民族性」と呼んだ。思いやりと助け合いという「民族性」は、薄れつつも、いまだ現代日本に根強く残っている。

 しかし、こうした社会の徳性は、自然に生じたり、勝手に続くものではない。家庭の中で親が子をしつけ、共同体の中での大人の振る舞いが青少年を無言のうちに教え諭す。そうした一つ一つの行為の所産なのである。[d]

 とすれば、我々の先人が築き上げた幸福な共同体のありようを、しっかり継承し、現代にマッチした形で「大いなる和の国」を再生するのは、我々、現代の日本国民の責務であると言える。
(文責:伊勢雅臣)


■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
 

1. 渡辺京二『逝きし世の面影』★★★★、平凡社、H17

国際派日本人養成講座より


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幸せ=幸福度ですが、何に幸せを求めるかで随分違ってきますが、決してカネで幸せを感じる様な下世話な人間だけには、なりたくないですね。


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17 コメント

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2016参院選 不正選挙無効申し立て第1号? (風来坊)
2016-08-11 17:41:14
選挙絡みの話題でお邪魔させて頂きます。
既にこちらのブログでも取り上げていた話題ではありますが
大手マスコミでも幾つか報じられてますよね。
投票用紙の再開票および点検を併せた選挙無効の申し立てが公式に確認された事例としては
今回が初めてになりましょうかな。



得票ゼロで選挙無効の訴え
http://www3.nhk.or.jp/lnews/gifu/3084723431.html


「得票0に疑義」と提訴 参院選でJAM組合員
http://www.sankei.com/affairs/news/160809/afr1608090021-n1.html
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矛盾、生前退位しても自粛するだろ、 生前葬にすれば。w (ホーマー)
2016-08-11 19:10:32
天皇が「お気持ち」で危惧した“崩御による自粛”の実態とは? 昭和の終わりに起きた恐ろしい状況が平成で再び

http://lite-ra.com/i/2016/08/post-2487.html
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貧乏と貧困の違い (あかね)
2016-08-11 21:55:04
江戸時代は、「貧乏」ではあったと思いますが、「貧困」ではなかったようですね。

贅沢な物や蓄えはなくても、お互いに助け合える良好な人間関係があるので、明日の生活を心配することもなく、精神的にも余裕があった。

「今そのとき」を楽しく生きる。その一瞬一瞬を繋げていけば、永遠に「幸せ」を感じながら生きていけるのですが、残念なことに、現実には、孤立し明日の食べ物の心配をしなければならない人が増えているのも確かです。

そして、江戸時代の日本女性は・・・

・わたしの国の夫人たちに劣らぬほど美しく、健康そうな血色にほおを赤く染めた多くの婦人を見た。(イギリス公使オールコック)

・新鮮で色白、赤みを帯びた肌、豊かで黒い髪、愁(うれ)いをふくんだ黒い瞳と生き生きとした顔は、もう美人のそれである。
・控えめで親切な物腰に、われわれの一行はみな魅せられてしまった。(フランス海軍士官スエンソン)

・素朴でときには著しく上品な物腰が混じり合っている。この娘さんたちが深々とお辞儀をし、優しい笑みを浮かべて近づいてくるのは見ものである。(スイス領事リンダウ)
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20121004/1349349875

やはり、人類史上、もっともユートピアに近い暮らしをしていた人たち。世界中を魅了していたようです。

美人とは、周りを思いやる美しい心と余裕のある精神の持ち主なんですね。
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Unknown (虹を探すもの)
2016-08-11 22:07:22
受け売りですが。
江戸時代のキリスト教弾圧は世界各地で宣教師達がしてきた虐殺や土着の文化を踏みにじる行為などの事実や歴史を知っていたからこそ、キリスト教を江戸幕府が禁止していたのでは、という推測している人がいました。
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Unknown (妹うなぎ)
2016-08-11 22:30:46
便利ということは不幸せだと思う。
便利が幸せであると、大きな勘違いをした結果、今の世ができたのかも。

「世界で一番貧しい大統領」を思い出しました

http://hana.bi/2012/07/mujica-speech-nihongo/
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頑張ろ。 (五輪の書)
2016-08-11 22:49:14
決意表明。w

金になびく奴は大嫌い。
そういう奴は金の切れ目が縁の切れ目。
人情など無い。

人の為にババを引く事だって大事な時もある。
情けは人の為ならず。
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Unknown (妹うなぎ)
2016-08-11 23:15:15
五輪の書さん
>頑張ろ。
>決意表明。

うん、頑張ろ!
返信する
スレチですが… (ひでおちゃん)
2016-08-12 04:07:20
早くも相模原事件の舞台
「やまゆり園」の改修か建て替えの話が出てますね。

一刻も早く事件現場の揉み消しを図る気か?

だとしたら、ますますヤラセ色が濃くなりますね。
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Unknown (和室ファンド)
2016-08-12 10:59:23
お金が循環せず富裕層ばかりに流れていたら、経済が衰退するのは当たり前です。以前に紙幣のブログでも話題になった?ゼゲルマネーも気になるところです。
百年や二百年前には、欧米では巨大企業が労働者を使い倒し、搾取し放題であまりに労働条件が劣悪だった為、労働者が組合をつくったり、様々な権利を勝ち獲ったりしてきましたが、今の日本ではこれらの出来事の真逆への道を進んでいるようです。そしてどういう訳か、マスコミも後押ししています。
返信する
Unknown (あ太郎)
2016-08-12 14:00:38
反日糞左翼の皆さんは、今の日本がだめだと言いたいんでしょうけど、皆さんの祖国である北朝鮮よりは遥かにましだと思いますよ。

それと、江戸時代賛美も結構ですが、身分制度という害悪があったことも忘れてはなりません。
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