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BOΦWY その1

2020-07-14 12:06:40 | 時計、ギター、野球
BOΦWYのファンは、バンドとして存在していた時からのファンと、解散後、氷室、布袋のソロから入ったファンとに別れると思いますが、両者の間には同じファンでも違った魅力を感じてると思います。

自分は、世代的にバンドが売れ始めてスターダムにのり、人気絶頂期に解散した一連の流れを体験しましたので、その事について勝手に語ろうと思います。
(こんなマニアックな話、とてもじゃないと話す機会ありません。ブログで独り言言うしかないのです(笑))

BOΦWYが当時、バンドブームを牽引するほどの現象を起こしたのには、大きく分けて、バンドが売れてスターダムに昇るまでの経緯と、バンド自体、メンバーの魅力によるもの、の2つ。

まずは、バンドがスターダムに昇るまでの経緯。
(個人的な見解もあろうかと思いますので、その辺は軽く見てください)

バンドが売れる方法で、よくあるのがマスメディアとのコラボ。ドラマやCMとのタイアップ。それでも売れれば凄い事ですが、BOΦWYは、真逆でした。

当時、インターネットもない時代に、ライブハウスから口コミだけの叩き上げのライヴバンドでした。

初期には、レコード会社を転々とします。ビクター、徳間ジャパン、そして東芝EMI。

初期の頃、マスメディアに取り上げられた内容が余りにも自分達の思惑と違う取り上げられ方をした為、マスメディアさえも拒否し、以降、音楽雑誌の取材も受けず。
あの当時の音楽雑誌にインタビュー載ってたよ、と思うかもしれませんが、あれは当時のマネージャーが本人達の言葉を正しく伝える為にインタビュー形式で伝えたもの。マスメディアの取材を受けたものではない事は当時のファンは知っていました。

転機は、まずは、サードアルバム。プロデューサーに佐久間正英氏を迎え、ベルリンでのレコーディング。

そして、4枚目のアルバム、ジャストアヒーロー。
ある意味、マニアックな曲調でありながら、氷室のボーカル、布袋のギターでポップに聞こえるBOΦWYの特徴が完成形に近づいたアルバムだったと思います。
初期からのファンは、このアルバムが一番好きだという人も多い。

そして、日本武道館でのライヴ。

氷室の有名なMC「ライブハウス武道館へようこそ」は、そんなライブハウス叩き上げで武道館までたどり着いたライヴバンドのプライド(……だったと勝手に思ってる)

ここから一気にスターダムへのしあがります。

シングルのビーブルー、アルバム ビートエモーション。後発のシングル オンリーユー。

この頃、夜のヒットスタジオ出演なども重なり、BOΦWYの曲をコピーしたいアマチュアバンドが大多数出現。

ここで、一旦やめて、次回にします。



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