大学生の心の叫び。
大学でなくても、経験したことがあるのではないだろうか。
大学の教授に限った話ではないが、知識を持っている人の話は難しくなりがちだ。
入門書より専門書が難しいように。
知は力なり。
確かにその通りで、様々な物事が絡み合って世の中ができているので、たくさんの知識を得ることはそれだけ世界がよりよく見えるし、生きやすくなる。
だが、知識を蓄えることと同じくらい自分が知っていること・考えていることを他人に伝えることが大切だ。
誰かが言った。
「サルにもわかるように教えることが、大切だ。」と。
まあこれは言いすぎだとしても、小中学生には理解できるくらいの説明を日々心掛けることが必要だろう。
大学の教授をはじめ、知識量に差がある人と会話をすると、話が全く理解できないときがある。
もちろん、自分の勉強不足の部分もあり、そこに関しては、自分で努力をしていかなければならないのだが、それでは補えないほど自分の世界に入って話している人が結構多くいる。
まるで、私が見えていないかのように。
夢の中に入ってしまっている。
おーい、戻ってきてよ、と。
そう思うのである。
自分は知っているから、相手も知っているだろう、と決めつけるのは傲慢である。
とにかくわかりやすく丁寧に。専門用語はなるべく使わず。
そんなこと知っているよ、と突っ込まれるくらい。
そのくらい分かりやすく話すことができる人が、今の社会では大切になってくるのではないだろうか。
自分一人で完結できることは数少ない。
人に協力を求めるとき、どれだけ自分の考えをわかりやすく説明できるかが重要になる。
僕は教育大学に通っているので、かなり切実に感じる。
子どもと関わることは、本当に難しい。
でもそれが、自分にとってかなり実践に即した勉強になっているのだろう。
人と話すとき。
この分野の素人は理解できるか。
難しい用語は使っていないか。
自己満足に陥っていないか。
一つ一つ立ち止まり、自分の世界と相手の世界を共有していこう。
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