世間では子供の夏風邪「ヘルパンギーナ」が流行っていますね。
ヘルパンギーナが増えている背景には「この3年間は皆が徹底的に手洗いやマスクなどの感染対策をしてきて、その間は、夏風邪の流行が見られなかった。ということは、夏風邪に対する免疫を持っていない、子どもたちが増えて、ヘルパンギーナ流行につながったと予測する」
という専門家の予想が主流です。
私も医療系の学校を出ているので、単位取得の関係で多少の医学知識はあります。
なので
ここまでの予想は私でもできます。
知りたいのはなぜ三年目の今、早い時期に流行り始めたのか?
という事です。
結論から言えば、統計調査を行い続けて
今後、よりハッキリした理由が分かってくるという事です。
今回は子供の夏風邪について
確実な「原因」は分からないが
「結果」は分かるという事は多くあります。
地球はなぜ誕生したのか?
仮説となる原因の理由は
その時代で変わり
あくまで憶測でしかない
しかし
地球が存在しているという結果は間違いなく事実です。
ここからは心の負担を減らす考え方として
肯定的に読んでいただければ
お役に立てる事があると思います。
私たちは
原因と結果は対であり
双方、存在すると思い込んでします。
しかし
世の中のほとんどのことは
原因、もしくは結果について詳しく知ることはできません。
厳密にいえば
可能かもしれないが
たどり着くには途方もない労力と時間が必要だという事です。
突然ですが
お茶碗で食べるご飯と
おにぎり
どちらが美味しいと思いますか?
両方とも普通の白米、ただお茶碗で食べるか?にぎるか?
だけの違いです。
私はおにぎりの方が美味しく感じます。
これはなぜか?
結果、美味しいとはわかりますが
原因は分かりません。
おにぎりはアルミホイルで包んでい置いた方が美味しくなる
という説がありますね。
その他にも
温度、季節など様々な環境要因があげられますが
確実にこれだ
と言い切れる根拠のある理由は見当たりません。
ただ
人の心と追及し続けている私の立場の見解としては
その時の「感情」だと思います。
おにぎりは外で食べた経験が多く
その時
学校の遠足や
家族や友達で楽しく食べたから
お茶碗より
美味しく感じたと思います。
専門家によって
見解はかなり違うと思うので、話し合いが始まります。
一つの分野を諦めずに追及し続けると
他の分野の専門家と話す機会が増えるので
「偏りのない専門性こそ、本当の心理にたどり着いている」
と私は考えます。
人が生きる上でも重要なことです。
バランスの良い食事
必要な運動
精神的に穏やかであること
しかし
これらを
健康診断等の結果によって
病気にならないように
医師に言われた数値を気にして
ストレスを感じてまでやることではありません。
喫煙者が昔と比べて3分の1まで減ったが
肺炎患者は減らない
最近はたばこを吸っているから肺炎になる
という因果関係も曖昧になってきています。
統計的に肺炎患者の中に喫煙者が多かったことから
たばこは指摘されてきましたが
ひと昔前は
バスに灰皿がついていて吸っている人がいた。
タクシーの運転手がタバコを吸いながら仕事をしている。
タスポがなくてもたばこを買えた。
車もたばこを吸う人がいることを前提に作られています。
その名残がシガーソケットですね。
未だにオプションで灰皿つける事ができます。
どの病にも共通している事は
ストレスが関係している事です。
自己肯定感が低く
自己犠牲が強い日本人は
毎年3万人を超える自殺者が出るほど
生きにくい国です。
この自殺者の数字も
2万人に突然減りましたが
あくまでも遺書があるなど確実に自殺だと断定できるもの以外は
不審死扱いになります。
私は自殺者が減ったように見せるために
自殺だと断定する捜査基準を厳しくして
不審死扱いを増やして数字を調整している可能性もあると思っています。
理由は簡単で
今は精神科で診察してもらう為に
予約3ヶ月待ちと言うところが
多くなりました。
コロナや戦争が起き
あらゆる不安があるこの時代に
精神科は対応しきれていません。
だからこそ
私はブログやYouTubeで
心のケア、予防の方法を伝えて行こうと決めて
仕事や私生活含めて活動を続けています。
だから
私の経験値として
今、自殺者が減るということは
考えにくいです。
いのちの電話でボランティアをしていた事があります。
たくさんの
「死にたい」
の理由を聞いていくうちに
一つの共通点に気づきました。
それは
自殺しようとする人は
計画的にするうちに心の整理が一時的に落ち着いて
止まってくれると言う事。
自殺未遂で、なぜ自殺をしようとしたのか?
当人たちに聞くと
「自殺したい気分だった」
と言います。
毎日働き、自分の事を評価してくれない会社に愛想がつき、周りに相談しても結局のところは自分しか頼らないと思い知らされる。
そして、自分自身も信用できなくなる。
そんな時に
頭によぎるそうです。
死んじゃおうかな、と。
その予備軍となるのは
60万人いると言われる
ずっと家にいる人たちです。
私は引きこもりやニートという言葉が差別的で好きではないので、この言葉が美しい日本語の一つになってしまった事が悲しいです。
また、アニメや漫画でネタにされらのを見るも嫌悪感があります。
そういう言葉に慣れてはいけない。
傲慢と慢心な考え方が差別を生む。
引きこもっているのではない。
引き込まされてしまった人たちです。
そういう人達の力になりたくて
仏門に入りました。
なぜか?
簡単に言えば
病院に来てくれる人たちは
病識があるから
治療をスタートできるんです。
しかし
潜在的、もしくは社会に埋もれてしまった精神的疾患の予備軍の人たち対応まで出来ないのです。
その点
仏教はあらゆる角度からアプローチができると、確信したため
長い長い長い年月、精進して今に至ります。
この辺りの話はとても長いので
プログか?YouTubeか?どう伝えたら良いのか悩んでいます。
ただ、よほどの覚悟と信念、そして今まで積み上げた功績を喜んで捨てるのは当たり前、くらいの覚悟の覚悟の上で
仏門に入った方がいいと思います。
安名を頂いた時から仏教の世界では、人ではなくなります。
しっかりした師匠や兄弟子がいなければ
自分を見失います。
そして
今はコンビニの数よりお寺が多い時代です。
僧籍を持っていればお寺を経営していける時代は終わりました。
金銭的負担が大きいお墓を作るのをやめる選択する方も多くなりました。
永久供養も選択する方も多いです。
高い経営能力と、国家資格レベルの他の特技や社会経験がなければ生き残れない厳しい時代です。
なにより、僧侶になる器が本当にあるのか?
私自信
未だに
毎日毎日、私は仏門に入るべき人間性の持ち主だったのか?
自問自答して苦しみながら前に進んでいます。
ただ
私は自分自身を過大評価していると思い始めています。
そもそも
仏門に入るべき人間だったと一瞬でも思ったことが
過大評価のし過ぎなんのです。
自分の人生に価値や意味を求めることなんて
それこそ過大評価なんです。
そんなものに答えなんてないんです。
もしそれが分かる時があるとすれば
自分が死ぬときに過去を振り返って
次の人生が楽しみだ
とか
もっとやりたいことがあったとか
その程度の感想で十分なんです。
厳しい言い方をすれば
生きる意味がないと生きたくないというわがままなんです。
生まれてきた限り、懸命に生き続ける
それだけのことを複雑に考えすぎているだけです。
将来やりたいことがみつからない?だから何もしない。
それは
甘えです。
自分を特別な人間だと思い、過大評価しすぎて
最終的には社会のせいにする
そんな人が本当に多くなりました。
社会はみんなの親ではない
というところから
伝えないといけないんです。
厳しく言うと相手はイライラし、受け入れようと前向きに
とらえてはくれません。
つまり
私自身が未熟者だという証拠であり
明確な課題でもあります。
一般的には
健康の為にヨガの習う感覚で
坐禅をする。
少しお経の意味を調べてみる。
程度で十分に自分の心のケアはできると思うので
今後も書き続けますね。
まとめとして
元気なうちから心のケアについて
正しい知識や技術を知っておく事
今、体調が悪いなら
なおさら
知るべきです。
そして
自分をまず救ってあげてください。
それが出来たら
自分に親切にしてくれた人を
救ってあげてください。
>ブログの目的:「これらの問題を解決する為に、コミュニケーション能力をコントロールする事、そして精神も身体も回復させる方法を身につける事で、人間関係が楽になり、自由な心が手に入り、自分らしく生きる事ができます。」ブログを通して、仏教と心理学のハイブリットな思考で、自分をコントロールする力を身に着けて、精神と身体の回復方法を手に入れましょう。その先に、「本質である本当の自分がいます。一緒に自分探しをしましょう。」