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歴史に学べ

2012年05月21日 18時18分06秒 | リバティ、幸福・ 関連記事 

歴史に学べ

2012-05-20

井原義博 氏、ブログ転載


1. 日清戦争のもたらしたもの


1894 年に日清戦争が起きました。これは朝鮮半島で起きた
閔氏政権に対する農民の武装蜂起の際に、日本と清が邦人保護や
反乱鎮圧のために出兵し、その後朝鮮政府の内政改革を巡って
日本と清が対立した結果、宣戦布告に至ったものです。


清は西欧の列強から「眠れる獅子」と恐れられていましたが、
軍備の近代化は日本側が進んでいたために戦局は日本が優勢に
進めることができ、翌1895 年に下関条約が調印されて講和が
成立しました。

清はこの敗戦で多額の賠償金を日本に支払うこととなり、
国力の低下を招きました。

また近代化に乗り遅れていたことも明らかになったことから、
当初畏怖の思いを抱いていた西洋の列強諸国からの帝国主義的な
進出が加速されることになりました。

朝鮮は清の冊封体制(清が宗主国) から離れ、大韓民国として
1897 年に完全な独立国家となります。


2. ロシアの南下圧力と日英同盟 


ロシアは当時満州を勢力下に置いていました。朝鮮半島の利権
を求めていわゆる「南下政策」を取り、朝鮮半島にも影響力を
増してきました。

日本では1861 年にロシアによる対馬占領事件があったことから、
政府はロシアに対する危機感を強め、韓国との間で1904 年に
日韓議定書を策定しました。

これは、万が一第三国(ロシア) が韓国に対して軍事行動を
起こした場合には日本が韓国の独立や領土を保全する、という
内容です。

一方イギリスは南アフリカでのボーア戦争のために戦費がかさみ、
アジアに大きな影響力を行使することが難しくなっていました。

そのためロシアの南下政策が自国の利益を阻害することを恐れた
イギリスは、1902 年に日本との間で日英同盟を結ぶことになりました。


実はこの日英同盟が日露戦争の帰結を左右する大きな役割を
果たしたのです。

 

3. 日露戦争にフランス参戦!?


ロシアは朝鮮半島でも利権を獲得しつつあり、その利権を守る
ための主戦論が大勢を占めていました。

当時のロシアは軍事大国であり、その軍事力を持ってすれば
日本は瞬く間に駆逐できる、と考えていたようです。

日本とロシアは何度か交渉を重ねましたが、結局1904 年に
日露戦争となりました。


当時ロシアはドイツに対抗するため、フランスと軍事同盟を
結んでいました(露仏同盟)。

ですからロシアが日本と開戦すると、自動的にフランスも日本に
対して参戦することになります。

しかし、日本もイギリスと日英同盟を結んでおり、もしフランスが
参戦するとイギリスもロシアとフランスに対して戦うことと
なります。

結果的にフランスは日英同盟があるために参戦はしませんでした。

しかも、非軍事の対露協力もできない状態となってしまったのです。

日露戦争は東郷平八郎によるバルチック艦隊の撃破、乃木希典に
よる旅順の攻略により、薄氷の勝利を得ることができましたが、
もし、フランスが参戦していたら
(イギリスも参戦することになりますが) 事態はどのように推移
していたかはわかりません。

 

4. 歴史からの教訓


当時のイギリスは世界の海を支配している、覇権国家でした。

その軍事大国と同盟関係を結べたことは、日本の近代史の中では
特筆されるべき事でしょう。


世界最強の国家と同盟関係にあることが、日本の平和と安全を守る上で
きわめて重要な要素であったことが、私たちが歴史から学べる大変
大きな教訓でもあります。

 


現在の覇権国家はアメリカです。


第二次大戦後アメリカがイギリスに取って代わりましたが、海を
支配する国家が世界の覇権を握っているのです。


日本は現在アメリカとの間で日米同盟を結んでいますが、アメリカに
変わって世界の覇権を握ろうとしている中国から日本を守るためにも、
日米同盟をしっかりと強めていくことが必要なのです。

 

転載、させていただいた記事です
http://ameblo.jp/muggle1009/entry-11256074461.html

 


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