『十字軍にも尊敬された、イスラムの英雄サラディン!』イスラム伝道 ネットワーク
イスラム伝道 ネットワーク ニューズレター 第2号 2012.1.4
転載
『十字軍にも尊敬された、イスラムの英雄サラディン!』
コラム第2回では、前回のイマーム・アリと並んで、
イスラム世界最大の英雄として尊敬され、御法話にも一度
ならず登場している、"イスラムの英雄、サラディン"
を採り上げたいと思います。
西欧キリスト教社会が「聖地エルサレム」の奪回を目指した
"十字軍"は、前後でなんと八回も(第八次まで)派遣され
ましたが、その中でも、
"花の第三次"と言われて、最大の激戦となり、その後の
帰趨(きすう)を決定づけた戦いにおいて、約百年ぶりに、
イスラム教徒にとっても聖地であった「エルサレム」をイ
スラム側に奪還し、なおかつ、再奪回のために、はるばる遠征
してきたイギリスのリチャード1世(獅子心王)らとの激戦を
しのぎ切って、「十字軍200年の戦い」における事実上の
"イスラム側の勝利"を決定づけたのが、サラディンです。
クルド人という少数民族の出身でありながら、その卓越した
軍事的才能と為政者としての行政手腕、そして何より、
後述するように、敵方の十字軍をすら心服させた人格によって、
イスラム千数百年の歴史において、他の誰もがなし得なかった、
「スンニー派とシーア派の糾合」(大連合)を成し遂げ、
(それまでは、「内部分裂」が十字軍に負ける原因だった)
イスラムの歴史上、不滅の金字塔を打ち立てたのです。
敵方の孤児のためにポケットマネーを払う
その卓越した人格は、当時、「ヨーロッパにまで鳴り響いた」
と言われていますが、実際、後年、イタリアのあのダンテが著した
『神曲』の中では、霊界探訪をしたダンテが、開祖のムハンマド
(マホメット)については、
「地獄の最深部で、"頭を切り裂かれて"、苦しんでいるのを見た」
と表現したのに対して、サラディンについては、
「哲人達に囲まれて座したる"智者の師"(サラディンのこと)
を、私は仰ぎ見た」と表現したくらいですから、その評価が
自ずから分かるというものです。
このような評価は、サラディンが、約100年ぶりに聖地エルサレム
を奪還したときに採った「寛大な処置」から生まれました。
約100年前にエルサレムを攻略した第一回十字軍は、征服の後、
無抵抗(軍人ではなく住人)のイスラム教徒を大量に虐殺しました。
その数は、キリスト教の「岩のドーム」の向いに在った
「アクサー・モスク」(イスラム教の寺院)で殺害された
イスラム教徒だけでも、7万人に達したと言われています。
当然のことながら、サラディン指揮下でエルサレムを奪還した
イスラム側の原理主義的なイマーム(宗教指導者)達からは、
「かつてキリスト教徒達がやったのと同じように、彼ら全員を
殺すか、少なくとも奴隷にすべきだ」との主張が出ますが、
サラディンはこれを退けます。代わりに、当時、エルサレムの町に
住んでいたキリスト教徒の老若男女は約一万五千人いましたが、
(1)そのうち約九千人は身代金を払うことで自由にすることを認め、
(2)老人は、身代金が無くても自由にすることを認め、
(3)未亡人と孤児は、身代金を要求しないどころか、
「当座彼らに必要なお金」を与え、
(そのお金はすべて、サラディンのポケットマネーから払われた)
サラディンの弟のアラディールは、更に追加一千人分の身代金を、
自分がキリスト教徒のために、代わりに払ってあげて、
その結果、殺されたキリスト教徒も、奴隷にされたキリスト教徒も、
ほとんど出なかったという、前代未聞の結果になったのです。
しかも、イマーム達が強硬に主張した
「キリスト教の中心教会=聖墳墓教会を破壊するか又はイスラム教
のモスク(寺院)に改修する」という主張をも退け、そのままの
姿で温存させた上で、(お蔭で現代でも観光することができます)
その地への「キリスト教徒の巡礼」を認め、巡礼者のための病院
(そこには「病院騎士団」のキリスト教兵士も居た)の存続も認めました。
何から何まで、十字軍とは正反対の対応をしたサラディンの心の中
を読めば、「私は別に、キリスト教徒が憎いわけではない。
エルサレムが征服される前の、平和な状態を回復したいだけだ。
元々あった我々の主権を認めてさえくれれば、キリスト教徒の
巡礼も認めるし、巡礼者も保護しよう」ということでしょう。
何やら、エル・カンターレの光の木漏れ日(こもれび)を見るようです。
私財はすべて、公務に充てる
このような徳の力で、わずか一年あまりの間に、
「十字軍の築いた百年の歴史」を一瞬で消し去ってしまったかの
ようですが、実際の戦闘行為はもっとすごく、大勢を決した
史上有名な「ハッティンの戦い」では、たった一日で、
一万八千人の敵兵のうち一万五千人を討ち取って勝負をつけ、
ベストセラー中の『十字軍物語』を執筆した塩野七生さんをして、
「現代アメリカの国防総省(ペンタゴン)も学ぶべきだ」
と言わしめたほか、
その勝利から三日以内に、疾風怒濤(しっぷうどとう)の勢いで、
エルサレム郊外(いわばエルサレム圏の内堀に当たる)ガリラヤ
地方の諸都市を次々と無血開城させて丸裸にした上で、
おおむね一か月以内に、主要な海港都市をすべて陥落させて、
エルサレムへの補給路を断ってしまったので、実際の
エルサレム入城は更にその二ヶ月後ですが、
「開戦一か月で、事実上、勝敗は決していた」という
"スピード進撃ぶり"を見せました。
これに対して、イギリス・リチャード獅子心王らの反撃が
開始され(第三回十字軍の編成・来攻)、激闘が繰り広げ
られるわけですが、最終的にこれを抑え込んで講和を結び、
エルサレムを守って、「イスラム側の勝利」という
歴史の流れを決定づけます。
講和が成立した翌年、サラディンは、"まるで使命を果たしたかの
ように"亡くなりますが、のこされた逸話(いつわ)としては、
(1)敵将リチャード1世が病に伏したときは、見舞いの品
を贈るなど、懐(ふところ)の深いところを見せた、
(2)幼少時から文武の誉れ高い教養人で、最高権力者に
なってからは、酒と娯楽を断って、自らに厳しく当たった、
(3)前述のように、私財を公務に充てたので、亡くなったとき
の遺産は、国王(スルタン)でありながら、自分の葬式代くらい
しか残っていなかった、と言います。
主もおっしゃるとおり、日本人は、イスラム(アラブ)のことを、
あまりにも知りません。『コーラン』を実際に読めば、
「そこにはエル・カンターレの光が宿っている」ことがわかります。
その歴史をつぶさに観れば、「そこには、仏の世界計画が流れていた」
こともわかります。
"恐い"という偏見を外して、白紙の眼で見てみましょう。
「愛とはまず、理解することだ」と、教えて頂いていますのでね。
(了)
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