『シュリーマンと「成功への夢」』*メル友北海道*
(その2)
「本気で「夢」をつかんだ人、あるいは、「天命」としての
「夢」をつかむと、どれくらい努力できるのか」
ということについて、シュリーマンを例にとって、お話します。
8歳以降のシュリーマンは、まず、母親がすぐに亡くなり、
父親も、いろいろな事件に遭遇して落ちぶれて、生計を
立てられなくなってしまい、結果、シュリーマン自身も19歳で、
事実上、一文無しになってしまいます。
最後は、「船乗りにでもなるしかない」ということで、
なけなしの財産をはたいて、船乗りになるのですが、その船も、
最初の航海で難破して漂着するなど、散々な目に遭って、
最悪の状況から人生を始めることになります。
当時は、今と違って、何か歴史的遺跡を発掘しようとした
ときには、政府から補助金が出たり、国家的事業として援助
してくれる訳ではなく、まず個人として、人生の前半で蓄財して、
膨大な発掘資金を個人財産として蓄えてから後に、
取りかからなければなりませんでした。
最初は、その船主に"船乗り"として雇ってもらうところから
始めたわけですが、「志を持っている」というのは、凄いことです。
この方は、「語学」を武器にして、成功していったのですね。
(とってもハッピー・サイエンス的だと思いませんか。)
具体的に言うと、最終的に習得して、商売上使いこなした言語は、
何と18ヶ国語!!
母国のドイツ語、発掘先のギリシャ語はもちろんのこと、
独自に語学学習法を自分で開発して、スペイン語→ポルトガル語
のような、比較的類似の言語は6週間で習得。
ドイツ語→英語も、比較的類似性のある言語なので、習得は
早かったようです。
それ以外の、親戚言語のない、構造の違う言語であっても、
「半年」で実践レベルに到達するという、驚異的な努力を
展開していきます。
これは、才能だけでは、説明がつきません。
「雀の涙ほどの給料しかもらえなかった"駆け出しの船乗り"の
頃から、給料の半分を語学の勉強に費やした」
というのですから、「志を持つ」ということが、如何に凄い
ことであるか、よく分かります。
これで、貿易商人としての「圧倒的な差別化と交渉力を獲得した」
というのですから、大したものです。
(最近の御法話で、主もおっしゃっておられましたが、
「日本のメーカーのTOIEC要求レベルが550点、総合商社が730点
(いずれも管理職要求レベル)、これに対して、今、世界の市場
で日本のエレクトロニクス製品を押しまくっている、韓国のサムソン
の新入社員への要求レベルが950点! これで交渉されたら、
商売の現場で勝てるわけがない」
とありましたけれども、まさに、それをも超える交渉力を語学
で身につけたのが、シュリーマンだったわけです。
そして、転機は、ロシア語を習得したときに訪れました。
「ロシア語が出来る」というので、当時儲けの大きかった
「ロシア貿易」を担当させてもらい、首都ペテルブルグに
出向いて大儲けして、雇い主をもしっかり儲けさせた上で、
独立開業します。
明らかに「マイナスからの出発」という人生だったのですが、
「トロイの遺跡を発掘したい!」
という情熱から、努力で道を拓き、そういう人には
「神様のご加護がある」という場面にも、幾度となく出くわします。
ある時、かなり意欲的にリスクを取って、大量の商品を購入し、
それをロシアまで運ぶのに、オランダのベーベルという港に
船を着けたことがあったのですね。
ところが、ベーベルの町が大火事になり、港の倉庫が全部焼け
てしまったことがありました。
街全体が灰になり、シュリーマンは、当然、
「自分は全財産を失った」と観念して、後始末のために、
ベーベルの町に馬車を飛ばしたのですが、港の倉庫会社に着いたら、
何と言われたかというと、
「昨日は、荷降ろしの船がたくさん入港して、船が随分順番待ち
していたのだが、あなたの船は一番最後に入港したので、荷物を
降ろす頃には倉庫が満杯になってしまい、仕方がないので、
ちょっと離れたところに仮設の倉庫を用意して、そちらに荷物を
収納したのです。
ですから、あなた以外の荷物は、全部焼けてしまったが、
あなたの荷物だけは、すべて無事です」
と。
こういうことが、「人生計画」というか、
「夢」を描き、自分の「使命」を悟って、それに向かって
「努力精進」している人には起きるものなのだ、ということがよく
わかります。
こうして、シュリーマンの事業はどんどん発展していって、
大成功をおさめ、44歳になった頃には、トロイの遺跡を発掘するに足る
十分な蓄財ができたので、そこで貿易商人を引退して、いよいよ、
「本願」である「トロイの発掘」に取りかかります。
(「その3」に続く)
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