第三部 日本準文明の未来についての考察
シュペングラーのいう民族の生命、運命という概念を西洋史でなく、より身近に感じてもらうために江戸時代の日本人の心性を例に説明してみた。ここからは、今まで考えてきた文明論と価値論を踏まえたうえで、日本の未来について、それをひとつの素材として考えていきたいと思う。日本準文明と、外部的価値論及び内向的価値論を見ていくわけであるが、それによって「文明と価値」というテーマについて考えていくわけである。
文明論で得られた印象は、文明の問題とは突き詰めれば諸文明の「配置」の問題ではないかということ、そして日本という国についていっても、私が提起した五つの力で説明すると、「外部力」の問題といえるだろう。外圧を最も少なくする、跳ね返すためにはどこと組めばいいかという問題と結びつくわけである。
また価値論で考えられた社会秩序における心性の変化でいえば、今の日本人の心性はどこにあるのか。また現在、日本が置かれた歴史的挑戦の内容とは何であるのか。私たち日本人が歴史的挑戦の下で醸成しようとしている価値とは何であり、それに対してどのように応戦しようとしているのかといったことになるだろう。
価値とは外部からの挑戦と応戦、または内部における生命現象によって生じてくるものと考えてきた。このため、まずは日本が現在、挑戦されている内容(外部、内部かまわず)の多くを列挙してみるところから始めてみようと思っている。
そしてその次に日本人の内部の生命現象は今どのあたりにあるのかを考えていくことにする。とはいえ、現代日本人の心性にはさまざまな外部力も大きく加わっているので、江戸時代ほどに明瞭に説明することは難しいかと思われる。しかし現在の日本の社会秩序の心性は第4期(旧支配秩序の心性が老年期、新支配秩序の心性が青年期)のパターンに該当しているのではないだろうか。
江戸時代における心性の研究の中で、新支配秩序は本来、文化的な思想を「政治化」させるとともに、「新時代の学問」をバックボーンとして台頭してきたと少し触れていた。
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