それぞれの時期を簡潔に見ていこう。それぞれどのような特徴を持っているのか、まずは一般的な仮説を立ててみよう。
第一の時期、幼年期とは
第一の時期、幼年期は、先行社会勢力の壮年期と重なる。先行社会勢力の成熟した知恵に対し、出産してまもない新社会勢力の稚拙ではあるが新しい理想が産声を上げる時期である。したがって、幼年期においては、先行社会勢力の成熟した文化と次代の社会勢力の幼い、しかし若々しい文化が並存することとなる。そしてその相互作用で社会心理の質、すなわち価値が形成される。
第二の時期、青年期とは
第二の時期、青年期は先行社会勢力の老年期と重なる。新社会勢力の若々しい理想は現実にもまれて少しずつ成長していく。それに対し、先行社会勢力の成熟した知恵は年と共に硬直化していき、衰退していくと同時に宗教的、哲学的になっていくようになる。新社会勢力は叙情的であり、現実にはまだ社会を担っていないだけに、空想的にして、新時代を夢想するような勢いのある時期となる。
第三の時期、壮年期とは
第三の時期、壮年期は次世代社会勢力の幼年期と重なる。今度は立場が代わり、政権や指導力を獲得した社会勢力は批評したり、抑制する側になる。次世代社会勢力がこの保護の下で誕生し、既成の社会勢力による安定の中で成熟した経済の保護を受けながら、少しずつ成長を開始する。
第四の時期、老年期とは
第四の時期、老年期においては、青年期にある次世代社会勢力によって乗り越えられる側になる。哲学や宗教が既成の社会勢力によって受け入れられるようになる。このような現象が生じるのは、今まで支配勢力であった社会勢力が物質的飽和の下、精神的な要素を求めがちになることや、続発する次世代社会勢力との摩擦の中で、支配の正統性を主張しようとするためだろう。それに対して青年期にある次世代社会勢力は、出生して以来、成長を続け、集団としてまとまっていく過程である。それと同時に、次世代社会勢力がその支配の正統性を既成の社会勢力が矛盾の中で創造してきた思想※や外部力、すなわち外国からの思想などによって鍛えられながら勝ち得ていく時期である。
※矛盾の中で創造してきた思想
革新や改革を行うのであるが、その主張の外皮が復古調の様子を帯びているような状況をここでは「矛盾の中で創造してきた思想」と呼んでいる。幕末において改革思想が尊王攘夷という形をとったことなどがそれである。
この四つの時期を通して、考えられることは、一つの時期には複数の社会勢力がそれぞれライフサイクルを持って存在していることである。ある社会勢力の幼年期には他の社会勢力の壮年期が並行して存在していること。そして青年期には老年期が、壮年期には幼年期が、老年期には青年期が並行して存在していること。また、大まかには同時期に生じている新旧二つの社会勢力の心性が相互に影響を及ぼし、流行や文化を形成しているのではないかということである。こうした、組み合わせは置かれた状況によって、時差が生じたりして、若干変わるものかもしれない。四つの各期間の長さが置かれた状況によって変わりうるからだ。どことなくDNAの二重らせん構造と似ているような感じもする。いわば社会秩序のDNAといったところである。
しかしまずは、①幼年期(新社会勢力)-壮年期(旧社会勢力)、②青年期(新社会勢力)-老年期(旧社会勢力)、③壮年期(旧社会勢力)-幼年期(新社会勢力)、④老年期(旧社会勢力)-青年期(新社会勢力)
というパターンを基本型と考えみるわけである。こうした仮説に基づいて、それを念頭に置くことによって、複雑多様な現象を見ていく起点とすることができてくる。起点との誤差という意味においてウェーバーの理念型のような活用の仕方が可能であろう。
トインビーの考え方では少数の創造的支配者が、支配の正統性を勝ち取っていくが、時間の経過とともにそれを失っていく。そのような過程として文明の衰退が描かれるのだが、上記四つの期間の考え方はそれを細分化して分析する方法を示唆してもいる。その場合、創造的支配者とは新社会勢力の指導層であり、創造性を失った正統的支配者が旧社会勢力の指導層ということになる。そのように読み替えることも可能だろう。つまりは内部的価値形成においてもシュペングラーとトインビーは重なるところがあるともいえるわけである。
また、この四期を合わせた全部の期間が必ずしも実際の社会勢力の社会秩序としての存続期間と一致しているわけではないことにも注意を払う必要がある。社会勢力の前半の一部、後半の一部は現実に支配秩序ないし支配勢力であったわけではない期間であり、潜在的な勢力としてあった期間とみなせるからだ。
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