Yesterday never knows

Civilizations and Impressions

文明と価値9(社会秩序のDNA)

2022-12-30 05:46:02 | 論文

 それぞれの時期を簡潔に見ていこう。それぞれどのような特徴を持っているのか、まずは一般的な仮説を立ててみよう。

 

 第一の時期、幼年期とは 

 第一の時期、幼年期は、先行社会勢力の壮年期と重なる。先行社会勢力の成熟した知恵に対し、出産してまもない新社会勢力の稚拙ではあるが新しい理想が産声を上げる時期である。したがって、幼年期においては、先行社会勢力の成熟した文化と次代の社会勢力の幼い、しかし若々しい文化が並存することとなる。そしてその相互作用で社会心理の質、すなわち価値が形成される。

 

第二の時期、青年期とは

 第二の時期、青年期は先行社会勢力の老年期と重なる。新社会勢力の若々しい理想は現実にもまれて少しずつ成長していく。それに対し、先行社会勢力の成熟した知恵は年と共に硬直化していき、衰退していくと同時に宗教的、哲学的になっていくようになる。新社会勢力は叙情的であり、現実にはまだ社会を担っていないだけに、空想的にして、新時代を夢想するような勢いのある時期となる。

 

第三の時期、壮年期とは

 第三の時期、壮年期は次世代社会勢力の幼年期と重なる。今度は立場が代わり、政権や指導力を獲得した社会勢力は批評したり、抑制する側になる。次世代社会勢力がこの保護の下で誕生し、既成の社会勢力による安定の中で成熟した経済の保護を受けながら、少しずつ成長を開始する。

 

第四の時期、老年期とは

 第四の時期、老年期においては、青年期にある次世代社会勢力によって乗り越えられる側になる。哲学や宗教が既成の社会勢力によって受け入れられるようになる。このような現象が生じるのは、今まで支配勢力であった社会勢力が物質的飽和の下、精神的な要素を求めがちになることや、続発する次世代社会勢力との摩擦の中で、支配の正統性を主張しようとするためだろう。それに対して青年期にある次世代社会勢力は、出生して以来、成長を続け、集団としてまとまっていく過程である。それと同時に、次世代社会勢力がその支配の正統性を既成の社会勢力が矛盾の中で創造してきた思想※や外部力、すなわち外国からの思想などによって鍛えられながら勝ち得ていく時期である。

 

 ※矛盾の中で創造してきた思想

 革新や改革を行うのであるが、その主張の外皮が復古調の様子を帯びているような状況をここでは「矛盾の中で創造してきた思想」と呼んでいる。幕末において改革思想が尊王攘夷という形をとったことなどがそれである。

 

 この四つの時期を通して、考えられることは、一つの時期には複数の社会勢力がそれぞれライフサイクルを持って存在していることである。ある社会勢力の幼年期には他の社会勢力の壮年期が並行して存在していること。そして青年期には老年期が、壮年期には幼年期が、老年期には青年期が並行して存在していること。また、大まかには同時期に生じている新旧二つの社会勢力の心性が相互に影響を及ぼし、流行や文化を形成しているのではないかということである。こうした、組み合わせは置かれた状況によって、時差が生じたりして、若干変わるものかもしれない。四つの各期間の長さが置かれた状況によって変わりうるからだ。どことなくDNAの二重らせん構造と似ているような感じもする。いわば社会秩序のDNAといったところである。

 

 しかしまずは、①幼年期(新社会勢力)-壮年期(旧社会勢力)、②青年期(新社会勢力)-老年期(旧社会勢力)、③壮年期(旧社会勢力)-幼年期(新社会勢力)、④老年期(旧社会勢力)-青年期(新社会勢力)

 

 というパターンを基本型と考えみるわけである。こうした仮説に基づいて、それを念頭に置くことによって、複雑多様な現象を見ていく起点とすることができてくる。起点との誤差という意味においてウェーバーの理念型のような活用の仕方が可能であろう。

 

 トインビーの考え方では少数の創造的支配者が、支配の正統性を勝ち取っていくが、時間の経過とともにそれを失っていく。そのような過程として文明の衰退が描かれるのだが、上記四つの期間の考え方はそれを細分化して分析する方法を示唆してもいる。その場合、創造的支配者とは新社会勢力の指導層であり、創造性を失った正統的支配者が旧社会勢力の指導層ということになる。そのように読み替えることも可能だろう。つまりは内部的価値形成においてもシュペングラーとトインビーは重なるところがあるともいえるわけである。

 

 また、この四期を合わせた全部の期間が必ずしも実際の社会勢力の社会秩序としての存続期間と一致しているわけではないことにも注意を払う必要がある。社会勢力の前半の一部、後半の一部は現実に支配秩序ないし支配勢力であったわけではない期間であり、潜在的な勢力としてあった期間とみなせるからだ。

 

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文明と価値8(社会秩序の盛衰四期について)

2022-12-26 11:19:55 | 論文

2 挑戦と応戦を統合する生命と運命

 

 ユングにおける心理的な構え方での分類を参考にして、外向型トインビー、内向型シュペングラーについて見てきた。これらの考え方を結合していくことも必要であろうが、これら二つを抽象的に結合させてみてもあまり意味がないように思われるし、説得力のあるものにはならないだろう。ただどちらか一つに偏ったとしても、不十分※なので、最少限度のものとして両方の視座を用いてみたい。状況を実際に説明する道具としてまずはこれらを使用してみる。

 この他シュペングラーが西洋の没落の中で挙げていた文化、芸術、科学、数学、歴史の事例は価値の内部的形成論を説明するうえで、西洋人でない者には評価がたいへん難しいように思われる。このため内部形成論の素材としては、シュペングラーの事例でなく自国の文化である日本のそれを前提に考えていこうと思っている。それをある程度、踏まえた上で日本の未来をテーマとして考えていこうと思う。

 

 ※不十分

 内向的な価値に集中しすぎると、生命現象に固執しすぎて、運命的にのみ価値を見ていくことになるだろう。しかし外部から影響を受けない型のモデルを考えていくことも方法論としては必要かと思われる。意識的に閉鎖的なモデルを選定することにより、純粋に内向型モデルについて考えることができるからだ。それが閉鎖型文明において生命現象を観照する意義であるといえる。

 

 しかし多くの場合、内向的な価値の形成だけでなく、外向的な意味においても価値の形成は行われるのであり、その部分は挑戦と応戦のメカニズムで多くを説明できるのではないだろうか。大きな枠としてこの二つの視座が最小限度に必要である。これらが理論としてどのように結合していくかというよりも、まずはそれぞれの視座にたつことにより何が見えてくるのか、見えてくるものを具体的に受け止めることを最初の段階の目的とするわけである。 

 

 

3 閉鎖型文明における文明の生命現象の変化について

 

 ここからシュペングラー風に文明の内向的な生命現象を観照していく。その際、適切な素材として歴史的な事例を探してみることがまずは必要となってくる。そのような事例の一つとして「鎖国下における江戸時代の心性の変化」が挙げられるだろう。

 

 鎖国開始(1636年)から黒船来航(1864年)までの日本の歴史は限りなく閉鎖型文明の理念型に近いといえる。このため内向型モデルを検討する素材としてふさわしく、これを使って生命現象の変化の過程を観察してみたいと思う。

 

  しかしその前段として、社会秩序と心性の変化について、簡素化したモデルをあらかじめ提示しておいて、その考え方について説明しておく必要があるだろう。

 ここでシュペングラーにおける社会有機体の盛衰の四期について書いておこう。シュペングラーは社会秩序の盛衰を四つの時代※1、子供、青年、壮年、老年の時代に分けて考えていた。こうした分類方法は文明を有機体として見ているということで、トインビーなどから批判されることとなった※2。しかしその一方で、トインビーは親文明から子文明が胚胎されるという考え方※3をしていた。それならば親文明と子文明の重なり具合によっては、こうした四つの時期が生じてくることはありえないことだろうか。こうした四つの時期は基本的なモデルとしても存在しうるものであり、それらの特徴について少し細かく見ていくのが、ここからのテーマとなる。

 

 ※1 社会秩序の盛衰を四つの時代

 社会秩序の盛衰の四つの時代の考え方については、シュペングラーの研究者からもシュペングラーを形式的にしか理解していないのではないかという批判がある。「非常に外的なものだけが理解されるのだということ」 こうした意見はトインビーなどからによる、社会は有機体ではない といったような主張からの影響であろう。文明にもさまざまな種類があり、外部の複数の文明から影響を受けるものもあるが、そうした中でも閉鎖的にして、最もシンプルな形の文明はわりと有機体的な形をたどってきたといえるのではないだろうか。

 

※2 トインビーはこのような分類の仕方を批判的に見ていた

 歴史の研究 P219参照

 社会はいかなる意味においても生きた有機体ではない。社会とは有機体であるところの個別的人間の行動の場の共通の基盤でしかないといっている。社会秩序が人間と同じ生涯の各時期をつぎつぎに経過するとは論証されないとした。しかしトインビーは社会とは別の意味で文明には親子関係があるとも言っている(P87)。親子関係があるのならば、その関係性によって時期が区分されることはありえることである。またそれぞれの時期を詳細にみていくことはさらに有意義であろう。

 

※3トインビーの子文明の胚胎の考え方

  トインビーの文明論の特徴はそれぞれの文明が単独でその生命現象を終えていくのではなく、その途中で子文明を胚胎するというところにもあった。親文明、子文明というのがそれである。また文明の胚胎の前には異なる文明同士の遭遇があったとも考えた。もし胚胎があるのであれば、それを原因とした文明間における世代の重なりが生じてくることだろう。文明と社会秩序は必ずしも一致するものではない。文明はいくつかの社会秩序が時間的には連なったものといっていい。しかし一致する場合もあるだろう。鎖国時代の日本がそれなのかもしれない。こういう場合、社会秩序の盛衰において大まかには「四つの時代」が生じてくることが予想される。旧社会秩序(先行社会勢力が担い手)と新社会秩序(新社会勢力が担い手)との関係においてそうした現象が生じうると見ている。

 

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文明と価値7(価値形成における外的な要因と内的な要因)

2022-12-18 09:18:23 | 論文

 しかし、このいわばトインビー的な価値形成論にはどことなく他律的な感じが多くあるかもしれない。それ以外にもその文明自体が持つ、自律的な価値形成論もあることだろう。その民族が持つエネルギーの状態と関係しながら形成される価値のことである。こうした価値も時間と共に変化していくものである。またこのような価値を構成するものの中には、宗教、芸術、科学といったものがあり、これらの根底には「共通した生命現象」があると直観的に捉えていた人がシュペングラーだった。

 

 シュペングラーはそれぞれの専門家から見たら奇妙なことを「西洋の没落」の中では書き連ねていたともいえる※1。しかし、今風にいえば AIでいうところのデイープ・ラーニング的方法をまさに逆さにしたような形で宗教、芸術、科学といったあらゆるものの中に存在する「共通する生命現象」を論じていたともいえるわけである。それを形態学と名づけ、ヨーロッパ文明最後の学といっていた。

 

※1 専門家から見たら奇妙なことを「西洋の没落」の中で書き連ねていた

 シュペングラーの文化、芸術、数学、歴史に対する評価は、それぞれの分野を必ずしも専門家的立場から評価しているわけではないので、バイアスがかかったものになっている感じが強いかと思われる。そのバイアスの要素こそ、形態学的な解釈のエッセンスといっていい。しかしそれをひとつひとつ確認する作業は非西洋人にはかなり困難なことかもしれない。このことが自律的な価値形成について説明する際に、シュペングラーが提示した事例を使うのは効率的でないことが予想される理由である。

 

 価値に対する外的な要因となりうるトインビーの理論(挑戦と応戦)と内的な要因となりうるシュペングラーの理論(共通する生命現象)を取り上げてみた。

 今更なぜ、トインビー、シュペングラーの文明論かという意見はおそらく多く出てくることだろう。むしろ最近においては文明論で大きな影響を与え続けてきたのはハンチントンの著作「文明の衝突」であった。文明の衝突は現実の世界の状況をうまく説明※してきたのだが、それ自体が価値、思想の燃料となってしまった面もあったように思われる。

 

※現実の世界の状況をうまく説明。

 イスラム文明における人口の増大、アジアにおける中国文明の経済的発展がしだいに西洋文明との緊張をもたらすようになるということ。これに対して、ハンチントンはヨーロッパとアメリカの緊密な連携こそが西洋文明の覇権の持続に不可欠になると考えていた。そして2021年の段階においてはイスラム文明における人口の増大も落ち着いてくるだろうともみていた。一方で中国文明による緊張はいまだに高まっている状況である。

 

 トインビーやシュペングラーが再評価される必要があると考えるのには理由がある。この二人が第一次世界大戦、第二次世界大戦という大破壊の中から生まれてきたということが大きい。世界は再び同じような破壊の危機水域に立ち入ろうとしているが、緊張状態の中、この二人が何を感じていたかあまり理解されていないように思われるからだ。没落論者として見られる傾向が当時は強かったかもしれない。しかし現代においては、この二人を未来論者として再解釈してみる方がよいのではないか。未来を規定する、決定づける価値がどのように形成されるのか。そして二つのスタイルが提供された。そしてトインビーの外向的な理論とシュペングラーの内向的な理論はそれぞれ違った展開※をたどっていった。こうした両者の直観が戦時における過度な緊張状態の中、研ぎ澄まされた感性※によって到達したイメージであることもまた無視できない側面だろう。

 

 ※違う展開

 トインビーにとっては、価値形成について、文明に対する外部からの影響力の方がどちらかといえば大きな要因としてあったといっていいだろう。文明を起動する力として挑戦(私はそれを外部力と環境力に分けているが)があり、これが自己決定能力に影響を与えて応戦するとした。創造的指導者が現れ、それを大衆が模倣するようになるが、やがて創造的指導者はしだいに劣化し支配的になっていき、そうした過程で帝国や戦闘団体等が生じてくるとした。それに対してシュペングラーは農村から自然に生じてきた文化が都市の発展と共に文明となっていき、人間は文化を失い、根無し草となり、帝国化していき、ついには没落するとした。

 

 晩年には、トインビーは「世界宗教の重要性」について触れるようになっていった。一方でシュペングラーはその晩年、ドイツの国家、社会がどうあるべきか考えるようになっていった。その結果、プロイセン社会主義というものを考えるようになった。それはある意味、内向的な思考の産物ともいえる。ドイツ流の効率的な官僚制を活かした社会主義ということで、2020年代における、現在の中国をどこか思わせるようなところがあるかもしれない。シュペングラーは市場や資本主義が国家を発展させるのではなく、どちらかといえば社会主義と科学的な官僚主義が国家を発展させると考えていたのである。

 

※緊張状態の中で磨かれた感性

 勝つか負けるか、どちらの価値が勝利するかわからない戦時下では出口が分からなかった。このため歴史、文化の著作には、深い思索に支えられた作品が多く生まれたようだ。第二次世界大戦の頃に、ブローデルは「地中海」を書いていたし、サルトルは「存在と無」を書いていた。いずれもドイツに占領されていたフランス人だというところも興味深い点である。またこのことはGHQ統治下前後の日本の作家にもいえることだろう。

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文明と価値6(価値とは何か)

2022-12-11 05:24:04 | 論文

第2章 価値

 

1 価値とは何か

 

 前の二つの論文、「文明の研究」と「準文明の研究」の中では文明というテーマについてずっと考えてきた。

 それは文明や準文明の持つ「生命」に着目するものであった。それらが持ってきた特徴から、まずは分類をこころみ、その生命現象を眺めていこうとした。しかし過去における生命現象を見ていくだけでは、それぞれ現在という時代を制約する条件をカバーしているとはいえない。分類と生命現象の解明は過去の歴史の記録から抽出されたものである。これだけでは現在における「価値」を発見するのはおそらく難しいし、未来を見通すこともまた難しいだろう。

 

 過去の記録、歴史を知っていることから得られる最大のメリットは、分類と生命現象の解明の中から「諸文明における安定的な関係性」を見つけ出すことにあるだろう。しかしその文明がこれからどこに向かうかは今までの諸文明を論じるだけではなかなか発見できないものである。そこで注目されてくるのが、未来を規定していく要素、力となりうる「価値」という概念である。

 

2 価値と時代性

 

 価値とは何であろうか。「文明の研究」の中では

 

 「価値とは時間の関数である※」

 

と定義していた。この定義はあまりに簡潔であり、またいかにも分かりにくいものかもしれない。このことについては「文明の研究」の中の「文明と時間」のところでふれられている。価値を形成するものとしては、トインビーの理論からヒントを受けて説明していた。

 

 価値とは変化していくものであり、まずそれぞれの時代の条件によって「挑戦」が与えられる。それを原因として何らかの価値が形成される。その価値の実現のために「応戦」が行われるようになる。言い換えれば価値とは時代的挑戦によってその命を与えられ、形成される一つの力である。そうした価値がそれぞれ「技術的効率力」「社会的構造力」に影響を与えていく。

 またそれらの力に対しては反発する力が生み出され、合成したりしながら「反作用力」「保守力」を形成して、自己実現を遂げていくとしていた。

 

 ※価値は時間の関数である

 「価値」とはソフトなり、ハードなり、それらが存在している理由を構成するものと定義してみる。この定義は人間の存在理由とは関係はない。まずは人間社会をとりまいて存在しているソフト、ハードに限定して考えてみるほうがいい。これらソフト、ハードの存在意味は明らかに時間と共に変化していることが多いが、一方で変化の波に洗われてはいるが、変わらないで原形を保っている状況も含めて考えることもできる。

 価値は時間の関数であるという命題は「近代化論」の別の形の表現と考えてもいいかもしれない。近代化論とはヨーロッパにおいての、経済における資本主義の成立。政治における民主主義政体の成立。行政における官僚制の成立。社会におけるゲマインシャフトからゲゼルフシャフトへの移行。文化における合理主義への移行といったものである。マックス・ヴェーバーの考え方に代表される。

 ヴェーバーの感覚には「理念型」の考え方といい、近代化論の着目のしかたといい、どことなく微積分的な視点がある。経済、政治、行政、社会、文化という便宜的なジャンル分け、分類は、私の文明論におけるそれとも同じであるが、分析、総合するための方法論にすぎない。しかしこうした経済、政治、行政、社会、文化という分類化は見方を変えれば「価値空間」の便宜的なジャンル分けとも考えることもできるだろう。これもまた分析、総合するための方法論と関係しているといえる。

 

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文明と価値5(文明間における理想的な状態)

2022-12-04 10:13:22 | 論文

4 文明間における理想的な状態とは

 

 諸文明を分類すること、諸文明の生命現象を解明すること、その目的の中で最も重要であることは諸文明を平和という条件の下に、配列することといっていい。その配列の図面の例を「準文明の研究」の中で若干説明してみたが、モラルシステムを持つ四つの文明は、おそらくは今後も覇権争いで衝突を繰り返す可能性が拭い去れそうもない。特に民主主義体制かどうかの影響もあるかとも考えた。

 

 このためこうした事態を回避していくために、「文明」以外の多くの準文明が経済的につながりを強めていくことが必要であり、またこれら四つの文明の分立や衝突に対して大きなバランサーとなっていくことが必要なのではないか、と提案をしていた。

 

 そうした配列図の例のひとつとして「準文明の研究」の中ではTPP(環太平洋協定)※を挙げていた。文明の分類及びその生命現象の研究はまさしく、こうした配列図をどのようにしていけばいいのか考える際に骨組みのようなものとなるだろう。それら一つ一つの準文明はパズルにおける各々一枚ずつのピースとなるからだ。

 

 ※TPP 

 環太平洋パートナーシップ協定は、オーストラリア、ブルネイ、カナダ、チリ、日本、マレーシア、メキシコ、ニュージーランド、ペルー、シンガポール、ベトナムの間で署名された経済連携協定。準文明の分類でいうとオーストラリア、カナダ、ニュージーランドが植民型準文明、同様にチリ、メキシコ、ペルーも植民型準文明、ブルネイ、マレーシア、シンガポール、ベトナムが融合型準文明、日本が辺境型準文明ということになるが、ここにイギリスが加わると辺境型準文明が増えるということになる。

 

 「準文明の研究」の中では南半球から少しずつ、多文化主義の流れが北上していると観察していた。TPPはオセアニア、北米、南米、東南アジア、極東を包括する協定であるが、将来的にはアフリカ、極西、東欧、ロシア(ユーラシア)といった他の準文明が包括されて、加わっていくことが望ましいのかもしれない。これによって分立、衝突する文明、自らのモラルシステムのみを尊重し、影響を誇示する四文明を包囲する。そのうえでそうした行動を規制していく。いわば「複合的な文明有機体」の登場のようなものを考えるのはどうであろうか。TPPプラス他の準文明連合体ということである。

 

 文明については、ひとつ結論のようなものがでた。諸文明は自己を主張し、衝突する。このため、それ以外の準文明の集まりがそれぞれの価値を守るために協力し、文明を包囲する形をつくる。そうすることによって諸文明の行動を抑制し、平和が維持されるのではないかというのがそれである。

 

 ここでいったん文明について考えるのはやめにして、この論文のもう一つのテーマ、価値について考えていくことにしよう。

 

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