価値について、それがどのように形成されるかについて考えてきた。外部的な力によって形成される価値と内部的な力によって形成される価値とに分けて考えてきた。そしてその考察の場は日本に限定してみた。そこから得られたイメージは日本社会において新社会勢力が旧社会勢力を乗り越えようとしているというイメージであった。そして社会科学の在り方自体が変わろうとしているというイメージもあった。つまり日本固有の事情と世界全体の大まかな流れとが重なって現れている状況だろう。
日本固有の事情として、五つの項目を挙げた。1高齢少子化、2財政赤字化、3新産業革命、4天災(地震、気象変動、感染症)、5外交(アメリカと中国の対立)がそれだが、特に中心となって影響力を持ち始めるのは、新産業革命だと思われる。新産業革命の本質はそれが知力の機械化と深く関係していることである。ITC、ビックデータ、AIといった分野ではアメリカが最先端を進んでいるが、中国が追いつこうとしている。自動車も自動運転化へ進もうとしているが、こういった流れが究極まで進んだ時、何が起こってくるのだろうか。もしかしたら政治、行政の自動運転化がそれではないか。しかしそこへ至るためには、その前に社会科学の進化が前提となってくるように思われる。社会科学の進化とは社会科学で設定された諸概念を力学的に捉えることによってはじめて構築されるものであろう。新産業革命は他の四項目とも深く関わっている。関係あるデータ群のピックアップとそれらの数字が持つ力とがどのように関係しているか、そして問題を解決するためには何が必要かが、それぞれ四項目にも答えを出してくれるだろう。
政治、行政の自動運転化の問題はアメリカも中国も実は手が出しにくい問題である。アメリカには民主主義の理念があり、中国には共産主義の理念がある。中国における共産主義とは共産党が国家を支配するということであるが、アメリカも中国もそういう意味では「価値」を明確に持っている国ということができるだろう。
それに対して、日本はその中空構造を利用したしなやかな政治、行政の自動運転化を志向するのがいいのかもしれない。アメリカや中国のように硬質な価値を持たずに、資本主義が逐次もうかるところに資本が流れていく経済システムであるように、価値も時代ごとに変更し、流れていく価値システムであるのが望ましいのではないだろうか。
『文明の研究』の中では「五つの力」について触れてきた。1価値、2技術的効率力、3社会構造力、4反作用力、5外部力・環境力がそれであったが、価値がそれ以外の四つの力に影響を及ぼすとしていた。しかも価値がそれぞれ様々であり、それ自体が広がり、空間を持っていた。
思い返せば、1991年以降の30年間とは日本がそれ自体で価値を持てなかった時代ではなかったか。中空構造である真ん中に「価値」がはいらず、舵をとられることもなく漂流していた時代だったのではないか。それは日本人にしてみれば違和感はなかったのかもしれない。元々日本人は雑種的な民族だともいわれてきた。
しかしそうした違和感のない中で先の四項目、高齢少子化、財政赤字化、災害(地震、気象変動、感染症)、外交はだんだん深刻な状況になってきた。こうした現実の問題に対して、どういう価値で臨み、5つの力を活用していくかということであるが、硬直的な価値を持つのではなく、日本準文明のプロトタイプを簡潔なモデルとして理解することがまずは大事なのではないかと思う。そういう意味で今となっては異世界であるといってもいい江戸時代を見つめなおすことはこれからの日本人にとって、日本人であるだけに必要になってくるのではないだろうか。まぎれもない私たちの価値がそこにあったわけだから。
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