今宵は半月だった。深夜、バルコニーで煙草を吸いながらその澄んだ月を眺め、何を思うか。少し前に見た月が満月に近かったことからの、月日の流れの早さを思うか。あっという間に過ぎ去っていく人生にしがみつくのか、楽しむのか、流すのか。側で寝息を立てているプリンセスに、心から感謝したい、いつも一緒にいてくれてありがとう。
そう、身体という、この手で触れることの出来る実体、実感を、これ程までに愛おしく思えたことはない。だって、いずれ消え去ってしまうから。今、この手の中にあったとしても、それがこちらの思いを越えて、一瞬でなくなってしまうから。それがこの世に生きるということの、究極の不条理であることを思い知らされた、この2年間だった。
それでも自分の中の「生きていく」というエネルギー・意志みたいなものは、一体どこから来るのだろうか、と思わずにいられない。仕事、プライベート関わらず、表面的には大変だけれども、実はそのコミュニケーションを楽しんでいる自分に気がつく。いろんなエネルギーの循環する感じが、自分にとって心地良いのだろうなという内省。
自分は「生かされている」と言うとチョット宗教的にはなるけれども、自分は一人で生きているわけではなく、まわりの人たちとの関係性の中で生きているということに思い至れば、「生かされている」ことにも自然と納得がいく。天や神からではなく、水平的な、今その現実の中における関係性の中で。
「笑い」についても少し考えたい。笑うことの身体的な効能の話は良いとして、なぜ人は笑うのか、笑ってしまうのか、面白いってなんだろう。枝雀師匠の「緊張と緩和」論もしかり、真面目に「笑い」を追求することのバカバカしさに、いつも笑って終わるというオチにて、今宵はお開きと。