golden days

nonsense sentence contents and fictional experiments

131002 父との時間

2013-10-02 | 父との時間
朝6時半過ぎ、軽めの吸引をした。顔色が良くなく、夜中と同様に引き続き水溶便が止まらない状況でオムツ交換。夜中の小水は点滴漏れだったことが判明し、点滴針を抜いて外した。

10時頃、母に呼ばれて再びオムツ交換のサポート。父を横に向けておきながら作業するため、態勢が戻らないように押さえていた。おはようございます、という私や母の呼びかけにも父は今までのように答えてくれなかった。
たまに息をしない状況が数秒続いたりするので少し焦った。立て膝をしても、すぐに力なく開いてしまった。母は父の顔をさすりながら、お父さん戻ってきて下さい、と父の意識に訴えていた。
足や手や胸をさすっても、いつもならば痛みを訴えるところが、反応しなかった。そして、もう肛門を締める力さえ無くなってきたのだとしたら、ランディングに近くなってきたのではと、ふと思い姉たちに状況をメールした。

「父さんですが、昨日あたりから顔色が悪く、軟便が止まらなくなり、呼び掛けに対する反応も鈍くなってきました。立て膝も力なく、時々無呼吸状態にもなったりもします。喉の痰もここ数日少ない状態が続いています。
そろそろかなと、覚悟はしています。取り急ぎ、連絡まで!」

12時、看護師2名来宅し、点滴針差し替え交換(ナトリウム、ガスター?注入)後、血圧を測ると68/40とかなり低かった。痰の吸引後の酸素量は、79~82%だった。
呼吸を得る(気道確保)ために、枕を外して仰向けで寝かせていた。もう間もなく、たぶん1~2日くらいですので、呼ぶべき人が他にいれば知らせて下さい、と看護師は残念そうな表情で言った。私は、姉たちに再度メールをした。

昼食後、ヘルパーさんによるオムツ交換のサポートをした後、私は父の弟である叔父に電話して状況を報告した。叔父はなるべく早く行くようにする、と言ってくれた。

14時頃、母に呼ばれて再びオムツ交換のサポート。
娘が学校から帰宅し、妻が父の元へと連れて行った。妻が私を呼びに来て、ちょっと見に行った方がいいかも、と言うので急いで行くと、娘が父の前で泣いていた。父はまだ呼吸をしていたけれど、細かく浅い息で、喉の周りでゴロゴロと鳴っていた。

16時半過ぎ、ヘルパーさんの来る時間を勘違いしていて遅くなるので、17時くらいにまた吸引をお願いします、と母が私に言いに下りてきた。そして、母が父の元へ戻って間もなく、母から、ちょっとすぐに来て下さい、と電話が掛かってきたので、急いで行った。

母は父の顔をさすって呼びかけていたが、顔色がその前に見た時よりもずっと黄色くなっていて、唇の色も失せてきていた。もうだめかな、と母は言いながら父の身体をさすっていた。私も声を掛けながら胸の辺りをさすったりしていたが、「ふぅっ」というかすかな息が漏れた後、父の呼吸が止まったような感じがした。脈を取ろうとしても分からず、胸を押さえても分からなかった。

その直後にインターフォンが鳴り、上の姉が来宅した。鍵を開けに行って戻るまでの間、もうたぶんこれで父は終わったんだろうと思った。姉が父の元に行って声を掛け、私も一緒になって声を掛けたけれど反応はなく、母は父の足元に座り込んで足をさすりながら目に涙を溜めていた。時計を見たら16時52分、だいたい16時50分くらいには息絶えていたのだろうと思った。

病院に電話しよう、と私が言い、電話を掛けた。状況を説明したら、担当の医師は本日休みなので代わりの医師がこれから向かいます、と言ってすぐに駆けつけてくれた。心音、肺音、瞳孔など、一通り診た後、ベッドの脇に立っていた私と姉と母を前に、医師は腕時計を見ながら午後5時17分に確認しました、と言った。

死亡診断書が書かれ、死因は「多臓器不全」。少し前だったら「老衰」なのかなという、極めて私たち家族の理想とする状況だったのではないかと思った。

その後、近い親戚への連絡をした。そして、葬儀の手配をしたら1時間後に来宅してくれ、簡単な祭壇を作って焼香し、葬儀の日程の打合せをした。その前には下の姉も仕事を片付けて来て、打合せに参加してくれた。内容的には家族葬で、至ってシンプルなものになった。

上の姉の夫も駆けつけてくれて、ひとしきり話をした後、泊まっていく姉が夫を見送り、長い一日が終わった。

131001 父との時間

2013-10-01 | 父との時間
朝の吸引、出血は少量だった。口腔内は白い膜が張ったようだった。

昼前に医師が往診し、父は顔色が少し悪かったが目をしっかり開いて、挨拶にも反応していた。珍しくあごも上がって、口を閉じていた。貧血気味の中採血し、その結果にもよるが胃や腸内での出血もあり得るので、点滴に入れる薬を出しましょう、と医師は言った。看護師Nさんによれば、昨日座薬を入れたので軟便が出ているとのことだった。昨夜の吸引時の出血の話をしたら、Nさんは吸引の強さを30以下に変えましょうとツマミを捻った。

15時頃、医師が再来宅し、葡萄色の薬を点滴に入れて帰っていった。

夕方の吸引は、少量だった。

22時頃、母から呼ばれたので行くと、父の便がほぼ水溶の状態でその処理に四苦八苦していたので手伝った。小便も漏れてしまい、浴衣を着替えさせ、シーツを交換した。そのまま痰の吸引をしたが、ごく少量だった。

就寝しかけた1:30頃、上階でガタゴトと母がいつもより激しく動いている音がした。夜中にしては大きな音だったので念のために行ってみると、また小便漏れで母がうんざりした様子だった。再び、浴衣の着替えとシーツを二人がかりで交換した。水溶便も変わらずだった。軽く痰の吸引もしておいた。

130930 父との時間

2013-09-30 | 父との時間
朝の吸引は、少量、粘性は普通、短時間で効率的な吸引だった。

昼前に看護師Nさん、ケアマネージャー、ヘルパー、母、私が顔を合わせ、現状の報告を含めた関係者会議が開かれた。

現場からの戻りが遅れ、夕方の吸引が20時近くになってしまった。吸引した痰の中に血が多く混ざっていて、気管内からだろうと推測した。昼の看護師Nさんの吸引の際にも出血があったけれど、これ程多くはなかった、と母が言った。肺の中で血が固まらないかどうか心配なので、いつもの23時にまた来てみることにした。

23時に様子を見に行ったが静かに寝入っていたので、吸引は翌朝することにした。

130927 父との時間

2013-09-27 | 父との時間
朝の吸引は、私が行く1時間前から母がネブライザーをかけていたにも関わらず、乾いていてチューブが入りにくかった。量もそれ程多くなく、粘性が高かった。

昼前に看護師Nさん来宅、検診、吸引、点滴針交換、その他を行った。

夕方の吸引は、朝と同様に粘性が高く、量は少なかった。

夜の吸引は、夕方と同様に粘性が高かった。母のケアで口腔内はきれいだった。

130926 父との時間

2013-09-26 | 父との時間
朝3時と5時に母が口から出来る範囲で吸引したとのことで、6時半に私が吸引しに行った時には、父は比較的静かだった。でも胸に手を当ててみればゴロゴロと音がするので、(私の腰に響かないように)軽めにマッサージして吸引した。量は少なめだけれど、いつまでも切りがないくらいに引けた。

昼過ぎに看護師Nさん来宅し、吸引を軽めにした。小水は夜中と昼にあり、手を温めて酸素量97まで行き過ぎたとのこと。

現場から戻り、夕方そこそこの量を手短に吸引した。午後、父の肺がかなりゴロゴロ鳴っていたので、母が口から吸引するもすぐにゴロゴロと戻ってしまうので、結局1時間毎くらいに引いていたらしい。父の手の甲が赤くなっていたのは、昼の温めが原因かと思った。

夜の吸引は、予定より10分程遅れて行ったら、母が鼻からの吸引で気管まで入れられずに奮闘していたので、すぐに交代した。喉の開きはすんなりとはいかなかったけれど何とか気管まで入れられ、そこそこの量をズルズルと引けた。

毎度のごとく、鼻からの吸引が終わったら、口腔ケアで口内の唾液を吸い取り清拭、小水の有無を調べ(今回は少なくも濃い状況)、浴衣やシーツカバーの皺を取り、水枕を交換し、ベッドの上半身を少し持ち上げ、床ズレ防止に半分父の身体をローリングさせてタオルなどを押し込んで支え、手が冷えないようにタオルを掛けて、一連の作業は終了となった。

もうすでに心地良くなって寝入ってしまったかのような父に、帰り際少し大きな声で、お疲れさまでした!と言うと、父は、ありがとうございました、とスッキリした声で答えてくれた。私としては別に返答を強要しているつもりもなく、ただ単に今までと同じコミュニケーションとして父に、おやすみなさい、と言いたいからしているのだった。そしてそれは、お互いの意識の最後の確認であり、もうすでに困難となってしまった日常の行為のうち、最後に残された行為としての挨拶とレスポンスを、ただただ行いたいという動機によっていた。

130925 父との時間

2013-09-25 | 父との時間
昨夜、寝る前に私自身の腰の痛みが酷くなっていた。朝の吸引時にもジワジワと痛みが増してきている中、マッサージをするために父をローリングさせようと屈んだ途端、痛みが全開になった。以降、腰を屈んで物を持つことさえ困難になった。
結局、母が父のマッサージをする側で吸引したのだが、乾いてしまって気管がなかなか開いてくれなかった。その間も腰痛が限界に近かったが、なんとか引けた。

今日は昼前の看護師の予定が無かったため、11時に父の元へ行き、朝と同様に母がマッサージを軽くする側で吸引したが、またしてもなかなか気管に入らなかった。母によれば小水もないとのことで、点滴は1分間に30滴くらい入っているので、果たして水分は何処へ行ったのやらと思った。

たまたま来宅していた叔母に腰痛用のコルセットを借りた。

夕方の吸引は、看護師Nさんが来宅してくれて口から吸引し、量は少なかったとのことだった。

夜の吸引は、肺がズルズルと音を立てていたので早めに吸引した。手早く効率的にしたので、父もスッキリしたようだった。私も長めの湯に浸かり、腰痛がだいぶ治まってきていた。

130924 父との時間

2013-09-24 | 父との時間
朝の吸引は、気管までは入るのには手間取ったが、粘性が高く、量も多めでなかなか引けてこなかった。一昨日出血した際に、昼に入った看護師が吸引の圧力を下げたのも原因かとも思った。
小水は少なく、ここ12時間無いとのこと。その後、10時頃小水があったと母が伝えてくれた。

昼前に医師と看護師Nさんが来宅。1時間ほど前からネブライザーをかけていたからか、喉がズルズル、ゴロゴロと鳴っていたので、Nさんが口から(!)気管まで入れて吸引した。手を温めたからか、酸素量も80台後半から97へと上昇した。

医師は、ネブライザーに入れる薬(ネプチン0.3mg)を1日3回に増やす方針を出した。夕方には3週間分(63個!)配送されるとのこと。

夕方の吸引時には、父の肺は昼間ゴロゴロと鳴っていたのが嘘のように静かだった。吸引してみると朝と同じで、粘性の高い痰がなかなか出て来ず、出てきてもジワジワ、ズルズルといつまででも出てくる感じで、かなり大量に引けた。

母曰く、昼過ぎくらいからよく喋っていたようで、メンバーだとか、ゴルフの話のようだったとのこと。夕方には私にも、眼鏡を取ってください、など、たくさん話しかけてくれたけれど、解読できたのは「眼鏡」の部分だけだった。

夜の吸引時には顔色も良かったので、御機嫌いかがですか、と聞くと、父はニッコリと微笑んだ。1時間以上前から母がネブライザーをしておいてくれたからか、量はそれほど多くなかったけれど、すんなり吸引できた。お疲れさまでした、と私が言うと、父は、ありがとう、と言った。おやすみなさい、に父は頷いた。よく喋った日だったらしく、母は、もう喋らないで寝てください、と父に言っていた。

130923 父との時間

2013-09-23 | 父との時間
朝の吸引は寝坊をしてしまい、1時間遅れて到着した時には母が口から2回目の吸引していた。父の状況は昨夜と似た感じだが、なるべく鼻腔の粘膜を傷つけないように手早く入れ、昨夜よりは時間を長めに吸引した。

看護師Nさんが昼前に来宅し、ひと通りの検診の後、浣腸をして結構出たと話してくれた。酸素量も93くらいで落ち着いていた。

夕方の吸引は手早く、かつ効率的にできた。

夜の吸引の際に、ここ2~3日は安定しているが、点滴のカロリーを低くしたのが影響しているのか、父の反応が鈍くなってきていると感じた。手短に、そこそこ吸引して切り上げた。元々父はしもやけができるくらいに末端の血流が良くない方だったが、触った手が冷たかった。おやすみなさい、と私が言うと、眠さや吸引の疲れからか父は声を出そうにも声にならなかった。

130922 父との時間

2013-09-22 | 父との時間
朝の吸引時、乾いていてチューブがなかなか入らず、それでも気管まで入れて吸引できた。チューブの入る限り気管の奥まで入れると、痰の粘性も増してはいたけれどそれを取った後に、チューブの先端が気管の壁に吸着してしまうという今までに無い現象が起こった。父も少し痛い表情をしていたので、終わりにした。

昼の吸引をNさんが手配してくれた看護師に任せ、千葉へ向かった。

昼に入った看護師も、鼻腔内の出血が左右共にあったためにそれ程吸引せず、その後は母が口から2回ほど吸引したと、夕方帰宅した時に母から話を聞いた。

夕方の吸引は右からサッと入れてあまり突っつかず、短時間でそれでも大量に吸引でき、出血は無かった。

夜の吸引時には超絶眠かったが、夕方同様に短時間で吸引でき、出血も無かった。

130921 父との時間

2013-09-21 | 父との時間
朝の吸引時、点滴をしていない方の手が浮腫んでいた。

昼前、看護師Nさんが来宅したが、吸引をしなかったとのこと。
下の姉が父の顔を見に来てくれた。

午後、茨城まで出掛けて帰ってくるのが少し遅くなり、すぐに吸引したがズルズルと大量に引けた。その間、母が口からの吸引で対応していたけれど、ほぼ12時間しっかり吸引出来ていないと、それはそれで相当苦しそうだった。

夜は4~5時間しか間をあけなかったけれど、それなりに吸引出来た。夕方の吸引時にルートが確保出来たからか、チューブもすんなりと入った。

130920 父との時間

2013-09-20 | 父との時間
朝の吸引は、痰の量は少なめで穏やかだった。

昼前に看護師Nさん来宅に立ち会い、話を聞いた。検診の様子だと肺は穏やかで、酸素量も95~97だった。明後日の日曜に私が離れられない用事が一日中あるので、昼と夕方の吸引をお願いし、Nさんが他の看護師への連絡・手配をしてくれた。

午後、上の姉が父の元に立ち寄ってくれた。
母親からまた緊急連絡が入り、またオムツから漏れてしまっているとのこと。急いで駆けつけると、もう嫌だ、と母はため息をついた。昨日と同じ行程で、着替え、浴衣とシーツカバーの交換をした。

夕方の吸引時、チューブが全然入らずとても難儀だった。何度かやり直している途中で、血の混ざった痰に変わってしまった。少し強くやり過ぎたかと思った。

夜の吸引もなかなか入らず、それでも夕方よりは時間がかからずに入った。しかし、再び出血してしまった。

130919 父との時間

2013-09-19 | 父との時間
朝の吸引は、普通だった。

今日も昼前の看護師には立ち会えなかったが、肺も静かだったので吸引はしなかったとのこと。

夕方吸引前に、まだ時間が早かったが母から、早く来られないか、と連絡が入った。急いで行ったら、オムツから便が漏れてしまっていたので、浴衣とオムツを交換するのを手伝った。
交換時に父の身体を動かしたからか、交換後の吸引時には痰も良く出た。

夜の吸引は、鼻から喉にかけて乾いていて入れにくかった。
吸引後に見上げた中秋の名月が綺麗だった。

130918 父との時間

2013-09-18 | 父との時間
朝6時半に吸引。昨日の夕方以降、特に目立った変化はなく、ネブライザー→マッサージ→吸引の流れ。

現場での打合せが長びき、昼前の看護師Nさんには立ち会えず、母に任せた。

夕方は、母があらかじめネブライザーをしていてくれたものの、少し遅れて時間が経ってしまっていたので、ズルズルと大量に吸引出来た。

夜の吸引は、乾いていてチューブが入りにくかった。