golden days

nonsense sentence contents and fictional experiments

追悼:棟梁

2005-02-20 | Weblog
昨年春に竣工したプロジェクトに関わって頂いた大工の棟梁が、昨日亡くなったという連絡を受けた。江戸時代から続く何代目かの棟梁で、本当に「素晴らしい仕事」をして頂いた。その技術の高さを継承すべき企画を立ち上げようとしていた矢先だったので、悔しくてならない。

昔の日本建築を知り尽くしている大工を失うということは、落語家を失うことにも匹敵すると思う。共に「文化と技術の継承者」である。落語はその舞台が与えられる限り継承され得るかもしれないが、日本建築はますますその場さえなくなってきており、もう既に絶滅寸前であるといえる。

先のブロジェクトで、業務用のガス機器を入れたのだが、換気扇が住宅用のものをデザインだけで決めてしまい、排気容量の機能的な検討がなされていなかった。それに対し棟梁は「設計、もっとしっかり勉強しておけよ!」と自分の肩をバシっと叩き、消防に対しても陰で難なく対応してくれた。

棟梁は、今まで弟子を何人も育ててきたので、スピリットそのものはそのお弟子さんたちには継承されていくであろう。また、住んでいる地域でも青少年犯罪で家裁を出た者のための保護司を長年やっていて、何人もの悪ガキを更生してきたという話をしてくれたこともあり、その姿勢は「近所のちょっとうるせぇ頑固親父」だったが、深い人間的な優しさにあふれていた。自分がいまだにボーイスカウトという組織にいて多感な時期の子供たちと関わっていることから、教育論にまで会話が発展したこともあった。

現場では、設計として無茶なことに対しては「そんなもん、見たことねーよ」と言いながらも、「でも、出来るかもしんねーな」と快くチャレンジしてくれた。プロジェクトが終わる時に「いろいろ勉強させてもらいました」という自分の言葉に対し、棟梁がお世辞にも「俺も勉強になったよ」と言ってくれた。その一言で、竣工に至るまでの仕事としての大変さなんてすっ飛んでしまったことも記憶に新しい。建築という世界に限らず、あらゆるものが「一期一会」であることの大切さを思うのと同時に、「もう一度、あの棟梁と仕事がしたい」という願いがかなわなくなってしまったことは、痛恨の極みである。

「設計、もっとしっかり勉強しておけよ!」
これからの仕事の中でも、おそらく棟梁のこの言葉は、自分の中で一番信頼おける言葉として常に反芻することになるだろう。心から感謝の思いを込めて。

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2 コメント

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the life and the death of the maestro (dyts)
2005-02-22 00:09:33
 落語家の件ですが、落語家が亡くなるとその人が得意とした噺の語り口もなくなるし、落語の登場人物も亡くなります。例えば志ん朝師匠のときは春風のような語り口と若旦那。師匠が高座に登場すると雰囲気が明るくなったんだよね。小さん師匠の場合は、たぬきです。もうあのたぬきは絶滅しちゃったんだよ。

 年寄りが死ぬと図書館分の知識が同時になくなると言われている。この棟梁もそうなのかもしれないけれど、その図書館の蔵書を増やすのが君の役目だよ。弟子ではないかもしれないけれど、弟子同然だよ。日本建築を衰退させたらそれは君のせいだ。とこれからは言うことにする。
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 (call the bluff)
2005-02-23 01:15:38
コメントありがとう。解き放ってくれました。
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