golden days

nonsense sentence contents and fictional experiments

もはや母性とか父性とか

2020-09-23 | Weblog
娘やその友達に食事を作って提供した時にふと思った
子達の成長を願い食事を作ることは母性なのか
であればシングル・ファザーにだって母性はあるやい
一方でこの時代において父性とは何だろうかと考えると詰まる
社会性を見せること?
規範を教えること?
子の身を守ること?
であればシングル・マザーにだって父性はあるやい
もはや母性とか父性とか関係ないね

QOL(Quality of life)いわゆる、人生についての話

2020-09-15 | Weblog
大好きだった叔父(母の弟)は50歳の手前、49歳で亡くなった。
その時、自分は23歳で、その揺るがなき事実がショックで、自分の人生というものが一体何なのかということを、その歳にしてとても深く考えさせられた。

23歳、その時に思ったのは、あと2年で叔父の亡くなった歳の半分になるということ。
人生50年だとすれば、2年後、25歳の時に折り返し地点に来るであろうということ。
だったら、折り返し地点から、残りの人生を走り抜けてやろうではないかという思いだけで生きてきた。

ふと気がつけば、叔父が亡くなった歳を超えて、51歳まで生きている自分がいる。
当時、50歳を過ぎればあとは儲けもの、ボーナスみたいなもので、そこを楽しめれば良いじゃないか、と考えていた歳を、とっくに過ぎている自分に気がつく。

このご時世、Virusにやられないで生きていられるということだけでも、有り難い話。
ましてや、昨年喪った17年共に生きてきた妻のことを思ってもなお、人生の質(Quality of life)については、「今を生きる」ということでしかないと。

それは、今、その瞬間の選択でしかなく、
感覚の赴くままに選んだ道を進むことで得られる人生であって、
その選択をした自分を許容することによって、作り上げていくものなのかなと。

それにも増して、日常の中で人生の残り時間をどのように過ごすか、
何をして過ごすことが自分にとって「QOL」を上げることになるのかということを、
損得勘定なく、フラットな感覚で選び取っていくことが、大事かなと思う次第。

今はDjavanに首ったけ

2020-09-14 | Weblog
アコースティック・ギターでの音楽の表現
ジョアン・ジルベルトの弾き語りのカッコ良さ
アコギでやりたいという4年前からのボッサ・ノヴァ
ジャズとサンバの融合やギターのジャズコードへの扉
ひたすら練習練習の日々
「Brazil」Antonio Carlos Jobinとの邂逅
解釈によるいくつかのヴァージョンを知る
Thais Morellのアコギに夢中コピーする日々
「Serrado」のオリジナルを探る
Djavanとの出会い「Samurai」で既に知っていたことの驚き
ブラジリアン・ポップスへの開眼とメロディ・ラインの美しさ
Djavanの楽曲の中で気に入ったものを練習←イマココ

音楽理論をあらためて学び続ける
アコギでの表現を探る
ヴォイス・トレーニングとヴォーカル表現
果たしてポルトガル語で歌えるまでになるか

オリオン座と三日月

2020-09-13 | Weblog
9月半ばの週末、午前3時、酔い覚ましに見上げた東京の空に、冬の星座であるオリオン座が季節外れの姿を見せていた。秋雨前線の勢いも落ち着いて風は涼しく吹き抜け、空は澄んでいて秋への入口を実感した夜だった。

重ねて、オリオン座から東への視界に、三日月が輝いていた。その太陽からの密やかな光を映す三日月を見つけた時に、満月だったらこんなにもオリオン座は見えていなかったであろうことを思った。

その瞬間の偶然に、思いは宇宙の成り立ちまで飛躍し、久しぶりのフラットタイム(個人的な超越的思索の時間)を堪能したのだった。

建築と身体について

2020-09-12 | Weblog
ここ数年
建築と身体との隙間を埋めたいという衝動に駆られ続けている

日々身に纏う服飾ほど身体に近くはなく
日々流れ行く情報よりも遥かに具体的であり
日々身を置く建築もしくは空間という領域と身体との関係性を
どのように扱っていけば良いのかという
果てしなくも長く続く問い

その深いと思ってきた断絶は
身体側からのアプローチによって
何らかのソリューションがあるのではないかと
思い始めている

200906

2020-09-06 | Weblog
人間丸くなる
その曲率が内側からのものか
外側からのものか
そのバランスで人間の丸みが決まってくる
正円ではなくいびつな丸
それがその人を現している

191214

2019-12-14 | Weblog
読みたい本(インプット)がたくさんあるのに
書きたい(アウトプット)という衝動に駆られる
でもこれで人生の残り時間を軽々と走っていける

マイペースで行こう
本はいつでも読むべき時に
その人の前に現れるのだから
世界の把握と自分(身体)の把握

191211

2019-12-11 | Weblog

自分が何の語り部になり得るか
それなりに経験してきたことは
自分の言葉で語ることはできる
果たしてそれが次のジェネレーションにとって
必要なものであるかどうかなんて
知ったことか!

語れ!
そうすればわかる奴がそれを引き継げばいい

191107

2019-11-07 | Weblog
17年間一緒にこの地にいたけれど
亡き妻は「アウェイ感」があったんだろうなと
今にして思う

夜は自分のために生きる時間
朝までは気がつくともうわずか

191106

2019-11-06 | Weblog
・最近使っていない身体の動きをあえてしてみると
新鮮な感覚を得られる
動き、身体、関節、筋肉と、意識を具体的な身体に落とし込み
そこから想像を飛躍させながら動かしていく
「こういう感覚もあったなー」
久しぶりな感覚を得られるというのは
自分の身体の中の歴史を紐解いていくということなのかもしれない
自分への考古学

・設計することとは想定内の行為であり
想定外のコトに対する設計とはあり得るのか
どれだけ想像できるか
イマジネーションの地平線
そこにフロンティアが広がっている
(と、前にも書いた気がする)

・「おいしくなーれ、おいしくなーれ」
を覚えている娘がポテサラを混ぜてくれた
それを食べながら
「あなたがおいしくなーれと言いながら作ってくれたから、このポテサラは美味い」
と言ったら
「ぷ、は出なかったけどね」

・古くて新しいブルーズを
楽器は頭に浮かんだフレーズを再現することにその面白さがあるし
一方で触れた時に出た音からイマジネーションが広がっていく面白さもある

191014

2019-10-15 | Weblog
結局は、コミュニティの話へといきつく。

人と人との関係、近隣における日常の細かなやりとり、
ゴミ出しとか、顔があった時でしかない挨拶の上での、
お互いの細やかな気遣い。

コンテクストは違うけれども、
地面を共有しているが故に抗う醜い人間模様もあるだろう。

その上で、結局はこの近代国家においては、
起きうることは全て、自然災害ではなくて人災なのだ。

なぜなら、自然も含めて、ほぼ全てのことが、
「アンダーコントロール」であるからだ。

そして、コントロールされることに、
どうやって争い抜くのか。

若人よ、考えろ
私も考え続ける