大好きだった叔父(母の弟)は50歳の手前、49歳で亡くなった。
その時、自分は23歳で、その揺るがなき事実がショックで、自分の人生というものが一体何なのかということを、その歳にしてとても深く考えさせられた。
23歳、その時に思ったのは、あと2年で叔父の亡くなった歳の半分になるということ。
人生50年だとすれば、2年後、25歳の時に折り返し地点に来るであろうということ。
だったら、折り返し地点から、残りの人生を走り抜けてやろうではないかという思いだけで生きてきた。
ふと気がつけば、叔父が亡くなった歳を超えて、51歳まで生きている自分がいる。
当時、50歳を過ぎればあとは儲けもの、ボーナスみたいなもので、そこを楽しめれば良いじゃないか、と考えていた歳を、とっくに過ぎている自分に気がつく。
このご時世、Virusにやられないで生きていられるということだけでも、有り難い話。
ましてや、昨年喪った17年共に生きてきた妻のことを思ってもなお、人生の質(Quality of life)については、「今を生きる」ということでしかないと。
それは、今、その瞬間の選択でしかなく、
感覚の赴くままに選んだ道を進むことで得られる人生であって、
その選択をした自分を許容することによって、作り上げていくものなのかなと。
それにも増して、日常の中で人生の残り時間をどのように過ごすか、
何をして過ごすことが自分にとって「QOL」を上げることになるのかということを、
損得勘定なく、フラットな感覚で選び取っていくことが、大事かなと思う次第。