150105 2015-01-05 | Weblog 物事をことごとく追求していくと やがて自分も その円環の中 もしくはその端に 存在していることがわかり 理屈的には自己矛盾 感情的には自己嫌悪 を自動的に引き出され しばらく魅惑的かつ ディープな時空間が 自分のまわりに形成される
150104 2015-01-04 | Weblog 言葉によって引き出される記憶 その時の匂いや音などのすべての状況 もはや自分の記憶の海に溺れる感覚 自分による 自分のための 自分だけの歴史 そのためだけに記述してきたのだし そのためだけに記述していく
150103 2015-01-03 | Weblog 放たれた矢先からは炎が噴き出し 的へと当たる頃には火の玉となり 小気味好い音と共に突き刺さった 建物に炎が乗り移っていく やがて折からの北風に煽られ 勢いをつけた炎はその建物を あっという間に飲み込んでいく 木の爆ぜる音も風の中に溶け 炎が夜空を赤く染め上げ 舞い上がった火の粉が 蛍のように暗闇を駆け踊る
150102 2015-01-02 | Weblog ほんの少し我慢するということ そこからもたらされる果実とは 多くの思考と考察と客観的視点 身体的でリアルな感覚から離れ なにゆえそうであるのかという 冷静なる純粋思考とも言うべき 人間の動物的存在から離れたる 哲学的な意味さえ埋め込まれた 自由かつ不自由な営みであると
150101 2015-01-01 | Weblog 肌を触れ合うという 至って動物的 根源的かつ原始的な コミュニケーション それがもたらすものは 安心感や安らぎ 守られているという 生命の存続に関わる 本質であること そして我々はアフリカへと 回帰する
141221 2014-12-21 | Weblog 今日、風邪にて床に伏している娘にもした話だが、人は「気」が入っている時には安々と風邪を引くことはない。ある程度の緊張感に支配されている時や、やらなければならないことに追われている時などには風邪は引かないけれど、そのテンションが無くなった時に風邪を引くというのが、自分の経験上においてもままある。 つまり、体温が下がった時、菌やウィルスに身体における免疫系統が浸食されるということ。やはり体温という「熱」が重要なのではないかなと。 つまり、「気」と「熱」の関係性が、その生命体を維持するために必要なのかな、と思ったコトをメモ。
141220 2014-12-20 | Weblog 期待に胸を膨らませながらも また違う展開へと転がるのも この偶然から成り立つ世界を 生き抜く楽しみというもので 必然論者はそれも必然だと 勝ち誇ったかのように言う
141213 2014-12-13 | Weblog 冷気と季節 静寂と孤独 暖気と生命 社会と自己 熱情と理性 回顧と展望 自分の身の回りに起こっている事象を 上手く言葉に還元できたらというのも 自分が言葉を紡ぎ出す上の初源的動機
141206 2014-12-06 | Weblog まどろみの中で 夜は更け行く 日々も全て まどろみの中に どっぷりと溶けていく そんな日常があったならば より自然へと近づいていく まどろみという言葉に興味がある
141130 2014-11-30 | Weblog 死者との対話が始まる時間 深く気持ちを落ち着かせ 記憶の断片をかき集め 今の自分のことを話す 記憶と生の もやっとした空間 思考が全て文字になった時の恐怖 文章化という思考の可視化 ふわふわとして目に見えないものを 見えるようにするということ 逆に目に見えないものを「創造する」こととは何か 目に見えないものを「創造する」といえるのか
141125 2014-11-25 | Weblog きっと真実などというものはなくて まどろみの戯れに身をまかせるのみ いつの季節も花は咲き葉は生い茂る 人は老い夕焼けが赤く空を染めても 時ばかりが流れていく中の出来事を ただただ身体の奥底から眺めている
141030 2014-10-30 | Weblog 今月半ばに橈骨神経麻痺となった左手が、徐々に快復してくる過程の現在における感覚をメモしておきたい。日々数ミリずつ左手を下に向けての返しが出来るようになってきている。神経と筋肉がどのようにつながるのか、復活するのかが、全くイメージでしかないけれど、電気治療するくらいだから電気的なことを起こせばいいのだろうかと、静電気が起きそうなマッサージをしてみる。もしくは左右同じ様に振ってみたり、動かしてみる。肘から手首までの痺れているヶ所は、さほど変わらないが、少し手首側に移動してきたかどうか。太鼓を叩くような動作は、返しに力が入らない分、的確なタイミングはまだ難しいが、振動を与えることで刺激にはならないか、もしくは逆に悪いか。腕全体の屈伸も、外堀から攻めていくようなイメージで行うと、左右の違いがよく分かる。
141002 2014-10-02 | Weblog 今日は、いわゆる職人、職人道がすたれざるをえない、あるいは存続しえない時代に入っている。惜しんでいてもどうにもならないとすれば、素朴な手で精一杯開拓してゆくほかないではないか。いやむしろそのような純真な情熱を引きたたせるためにこそ、われわれの知識や経験の意味があるんじゃないか、何のために本を読み、何のために報酬をもらって、たくさん仕事を重ねてきたのか。 p.144『白井晟一、建築を語る』(中央公論新社)
140911 2014-09-11 | Weblog 自分の中で熱く燃えるもの その熱量とエネルギー それらはこの世に生命体として 存在し続けられる 流れ続ける熱き血潮 死すればそれらは 氷のように冷え切り いったい魂が身体の何処に 存在していたかさえも忘れ去り 最後には骨という 物質として存在するのみ やがて骨も風化し 大気の流れに身を寄せるのみ そして何処へと行くのだろう それまで存在していた 魂は何処へと行くのだろう
140909 2014-09-09 | Weblog 自分の中で何が燃えているのか 様々なものが 小さい頃から燻っている それが弾ける瞬間を見逃すな 弾けたもののあとを追い 砕け散った残骸を見とどけ それを掻き集めて 形にしていけば良い だってそれしか無いのだから 燃えているということは 生きている証し 周りと気持ちが一体となった時に それらが燃え上がる時に 周囲のガラクタをも処分する程の 強い力を持ち 限りなく焼き尽くされた時に ミッション・コンプリーテッド