日々の出来事をまとめて記していると、如何に多くの「事」が「出来事」として自分の周りに起こっているかが分かり、圧倒される。「事」は常に起こっているが、それが「出来事」になるのは、そのことに意識的になるか否かの違いなのだろう。記さなくても強烈に記憶に留まる「出来事」もあれば、記したことさえ忘却しているけれど読み返した瞬間に、あらためて「出来事」として浮上してくる「事」もある。
鉛筆のマジック。最高のツール。この書いていて感じる心地良さは、懐かしくもあり新しくもあり、その両義的な価値は、これからの一つの価値として普遍性を持つのではないかとさえ、思い至る。感覚に根付き、記憶を揺さぶるような何か。そういうものが得られた時に、人の中に「共感」が生まれるのかもしれない。
こんな些細な考察の時間こそ、自分にとっての至福の時。今生きていて、身のまわりの出来事が織りなす隙間から、何かが紡ぎ出されてくるようなこの感覚。全ては自分の内なる世界でしかなくとも、この世界をどのように認識するかという視点に立つ時こそ、真に心地良い。
鉛筆のマジック。最高のツール。この書いていて感じる心地良さは、懐かしくもあり新しくもあり、その両義的な価値は、これからの一つの価値として普遍性を持つのではないかとさえ、思い至る。感覚に根付き、記憶を揺さぶるような何か。そういうものが得られた時に、人の中に「共感」が生まれるのかもしれない。
こんな些細な考察の時間こそ、自分にとっての至福の時。今生きていて、身のまわりの出来事が織りなす隙間から、何かが紡ぎ出されてくるようなこの感覚。全ては自分の内なる世界でしかなくとも、この世界をどのように認識するかという視点に立つ時こそ、真に心地良い。
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