姉の3回忌。姉の娘2人が主導してささやかながらも、今日その節目を終えた。
2年という早い時間の流れ、未だに夢にさえも現れる姉の存在感、病床での最期の姉とのコミュニケーション、普段ギターを弾いていても思い出す姉との音楽についての対話、静かな時間。
存在としてこの世からいなくなった人との対話。祖父祖母、父、叔父叔母、妻、姉と、これまで多くの人を見送ってきたし、対話は続く。
その結果として、自分は今をどう生きているか、そしてそれを見送られた人達がどう見守ってくれているだろうか、などと思う時間が、見送る経験を経るにつれ多くなってくる。
生きていてくれたら、また会いたい、話したい、という思いだけが自分の中に降り積もっていく。
それを背負いながら日々を過ごすのが、生きていくということの一側面であるのだなと思う。
2年という早い時間の流れ、未だに夢にさえも現れる姉の存在感、病床での最期の姉とのコミュニケーション、普段ギターを弾いていても思い出す姉との音楽についての対話、静かな時間。
存在としてこの世からいなくなった人との対話。祖父祖母、父、叔父叔母、妻、姉と、これまで多くの人を見送ってきたし、対話は続く。
その結果として、自分は今をどう生きているか、そしてそれを見送られた人達がどう見守ってくれているだろうか、などと思う時間が、見送る経験を経るにつれ多くなってくる。
生きていてくれたら、また会いたい、話したい、という思いだけが自分の中に降り積もっていく。
それを背負いながら日々を過ごすのが、生きていくということの一側面であるのだなと思う。
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