世界は自分の映し鏡
全くその通りであり
それ以外の何ものでもない
世界をどう見ているかというのは
人それぞれの世界があって
そうすると世界は
人の数だけあるということになる
世界は一つではない
そんな当たり前のことが当たり前になるまで
人は考え続けなければならないのだろうか
考えることをやめると
人間は人間でなくなるのだろうか
世界を把握するというイメージ
世界って何だろう
人が何を見ているか
人は何を見ていないか
人は見たいものを見るし
見たくないものは見ない
見えていない
自分が自分の姿を鏡に映して
それを世界だと思う
だがそれだけが世界ではない
自分が鏡を通して見ている自分と
人が見ている自分は違う
鏡を見た自分のことを
理解しているつもりでいても
他人の見る目は家族でさえ違う
家族でさえも他人である
視覚の問題
認識論の問題
実在論の問題
人は何をどういうきっかけで
認識するのだろうか
自分の身体さえも認識できていない
無意識の世界という日常がある
意識せずに歩く排泄する食べる
身体の中なんてもっと
自分の意識の届かない宇宙が広がっている
宇宙との相似形
人間の理解力
人間の持つ想像力は
意識を越えたところから
始まらないといけないのかもしれない
身体の中に宇宙があるということを
どれだけ知っているだろうか
人それぞれに世界があると言うことを
どれだけイメージできるだろうか
果てしない世界は曼荼羅へと繋がり
この果てしない世界を絵にしたのが
曼荼羅なのであろう
宗教は昔からそういう哲学と日常とを
繋ぐ架け橋であったのかもしれないし
そこに一筋の知恵が言い伝えられている
身体の中の宇宙が
意識の作用で広がりを持つ時
意識は細胞の隅々までに行き渡り
活性化する爆発する
その時には個体としての肉体は
終わりを遂げるかもしれない
しかしバランスを保とうとする意識の中では
肉体は維持されるかもしれない
バランスを保つということの
スタティックであるということの
静的であるということの
動的であるということの
意味を
全くその通りであり
それ以外の何ものでもない
世界をどう見ているかというのは
人それぞれの世界があって
そうすると世界は
人の数だけあるということになる
世界は一つではない
そんな当たり前のことが当たり前になるまで
人は考え続けなければならないのだろうか
考えることをやめると
人間は人間でなくなるのだろうか
世界を把握するというイメージ
世界って何だろう
人が何を見ているか
人は何を見ていないか
人は見たいものを見るし
見たくないものは見ない
見えていない
自分が自分の姿を鏡に映して
それを世界だと思う
だがそれだけが世界ではない
自分が鏡を通して見ている自分と
人が見ている自分は違う
鏡を見た自分のことを
理解しているつもりでいても
他人の見る目は家族でさえ違う
家族でさえも他人である
視覚の問題
認識論の問題
実在論の問題
人は何をどういうきっかけで
認識するのだろうか
自分の身体さえも認識できていない
無意識の世界という日常がある
意識せずに歩く排泄する食べる
身体の中なんてもっと
自分の意識の届かない宇宙が広がっている
宇宙との相似形
人間の理解力
人間の持つ想像力は
意識を越えたところから
始まらないといけないのかもしれない
身体の中に宇宙があるということを
どれだけ知っているだろうか
人それぞれに世界があると言うことを
どれだけイメージできるだろうか
果てしない世界は曼荼羅へと繋がり
この果てしない世界を絵にしたのが
曼荼羅なのであろう
宗教は昔からそういう哲学と日常とを
繋ぐ架け橋であったのかもしれないし
そこに一筋の知恵が言い伝えられている
身体の中の宇宙が
意識の作用で広がりを持つ時
意識は細胞の隅々までに行き渡り
活性化する爆発する
その時には個体としての肉体は
終わりを遂げるかもしれない
しかしバランスを保とうとする意識の中では
肉体は維持されるかもしれない
バランスを保つということの
スタティックであるということの
静的であるということの
動的であるということの
意味を
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