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闇夜に蠢くもの(7)-忘れられた林道

今回の記事は、今月12日に投稿した「37回目の夏-失われたウェストサイドストーリー」を少なからず補足する内容となります。

同記事の締めくくりに私は次のように書きました

 その時西側で何が起きていたのか、それが事件解明の鍵

であると。

これには少々付け加えなければいけないことがあります。西の長野側が極めて重要なのは変わりませんが、これは何も123便遭難現場の西側だけを良く見ろという意味ではありません。、本事件は現場を中心とした数キロ圏内だけではなく、東西南北数10キロ圏内まで視野を広げないと、その時何が行われていたか全体が見通せないという意味も含んでいます。

数日前、私は次の写真の場所を訪ねました。調査目的もありますが、自分の中では123便事件犠牲者の慰霊という大きな意味も含んでいます。


写真1:閉鎖された中津川林道(秩父市王冠キャンプ場付近で撮影)

中津川林道もとい秩父市道大滝幹線17号線は、長野県の川上村と埼玉県の秩父市を繋ぐ林道です。未舗装区間が多く、落石などでしょっちゅう通行止めになる峠道でもあります。現在も昨年から通行止めの状況が続いています。

実はこの林道、123便遭難地点、いわゆる御巣鷹の尾根の尾根続きの南側にある「三国峠」(みくにとうげ)を超えています。


画像1:中津川林道とその周辺
    川上村と上野村の間には古来からの通商回廊があったという(地元談)

これまでの123便関連報道、及び関連書籍を読む限り、遭難現場よりはかなり北側にあるぶどう峠の話はよく出て来るのに、何故か現場により近いこの三国峠については殆ど登場することはありません。

これは、直線距離にして上野村の半分程度、遭難現場に最も近い川上村に救難支援本部が設置されなかったことと同様にこの事件の大きな謎であると言えます。そしてこの林道が注目されない、あるいはここに注目させない大きな理由として考えられるのが、

 事件隠蔽の回廊として使われた

のではないか、具体的には戦闘機破片や搭乗員、また現地に展開し死亡した戦闘員の遺体などを輸送するルートに使われたのではないかという疑いなのです。

私の分析では、軍用機やその他の123便以外の航空機の墜落数は最低でも15機以上であり、そんなにたくさんの物証が落ちていたら絶対にバレるだろという読者様の疑問もよく分かります。

しかし、隠し通せるはずのないものをどうやって隠すのか、隠す側の心理に立てば解決の為の戦術はそれほど難しくないことに気付きます。それは、高く東西を隔てている高天原山・三国山を結ぶ稜線の

 西側をマスコミから完全にシャットアウトすればよい

のであり、西側を回収物の集積拠点とし、そこ(長野県川上村)から埼玉方面への輸送ルートの一つとして、中津川林道に白羽の矢が立ったのではないかと考えるのです。

これは伝聞情報で私自身が直に確認した話ではないのですが、1985年8月13日(遭難翌日)の早朝、林道を大きな金属板のような物を自衛隊員数人が抱えて運んでいる姿を見たという地元の方の証言もあるようなのです。

この情報の真実性はひとまず置くとしても、かつてこの林道を走破した経験から言えるのは、木に覆われ殆ど人の行き来の無いガタガタ道の林道沿いは、一時的にでも大きな物、大量の物資を隠すのには絶好の場所だと考えられるのです。

わざわざ人目付く埼玉県側の村落を通過するとも考えにくいので、この林道沿いの傾斜地などが、回収物の一時保管所、または遺棄場所として利用された可能性は極めて高いと推測されるのです。

これ以外の傍証として、三国峠付近に車を止めて周囲を探索し始めると、既に昼間なのにも拘わらず、何故か複数の登山客グループが続々と訪れて、三国峠からの登山道に入山するという奇妙な光景に出くわしたこともあるのです。

これについては、遭難現場周辺の山林には、登山客に扮装した自衛隊OB、または現役隊員が今でも常時監視体制に就いていると、この際読者の皆様にも現地情報としてお知らせしておきましょう。そして、どうして彼らが37年も前の件で今も現場に貼り付き続けているのか、その理由を考えて頂きたいのです。

ここで、強調しておきたいのは、この事件を隠蔽するために、西側ルートが使われただけでなく、ここから更に埼玉県山間部・山梨県山間部へと夜間の隠密輸送が展開されていた形跡があるということなのです。

正味8時間しかない闇夜の中で、如何に同事件を事故として取り繕うのかを考察した時、当時の実際的な手段が見えてきます。それは、墜落予想現場の誤報を何度も繰り返しながら(画像1の×印)、最終的に私たちの目を御巣鷹の尾根に集中させる。これは長野県側で自衛隊の活動状況が目撃されたときの言い訳になります。

その時間稼ぎの間に、大型破片をなるべく小パーツに裁断し、それを各小隊に分けて持たせ、次々と林道脇など広域に分散して捨て置き土を被せて隠蔽する。雑な方法ですがこうでもしなければ、この短時間で事故に見せるまでのお膳立てはとても完遂し得なかったでしょう。完全な回収は、国民の目が東側(群馬側)に注がれている間にゆっくりと行えば良いのです。殆ど稼働することのない南相木ダムの建設も、証拠隠滅がその主な目的であるならば実に納得できるのです。

もしもこの予想が当たっているなら、画像1の「推定埋設現場」からは今でも積み残しの小片などが回収できるのではないかと考えられるのです。


写真2:とあるキャンプ場。この写真を掲載した意味は何なのか?
    現地で活動中の自衛隊OBの皆様ならもうお分かりでしょう


参考:
 ・黒霧123便関連記事ガイド
 ・(新)ブログ全記事リスト
 ・123便搭乗者検索


 * * *


今回の中津川林道訪問がなぜ私にとって「慰霊」であったのか、それは推定第2現場がどのような性質のものであったかを理解した時に初めてご理解頂けるのではないかと思います。それについてはもう少し説明に時間を掛けさせてください。



VAE QUI PROFUNDI ESTIS CORDE UT A DOMINO ABSCONDATIS CONSILIUM QUORUM SUNT IN TENEBRIS OPERA ET DICUNT QUIS VIDET NOS ET QUIS NOVIT NOS
災いだ、主を避けてその謀を深く隠す者は。彼らの業は闇の中にある。彼らは言う。「誰が我らを見るものか/誰が我らに気づくものか」と。
(イザヤ書 第29章15節)


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77回目の終戦記念日に

本日は令和4年8月15日。昭和天皇の玉音放送により日本の敗戦が宣言された日となります。実際には、この日に全ての戦闘が停止された訳ではなく、完全な収拾には一ヵ月以上の期間を要したとも言われています。

それから77年の歳月が経過し、多くの歴史研究家の尽力によってこれまでの第二次戦争像が修正されつつあります。例えばナチス帝国の重工業発展を支えたのは米英の金融資本であった、すなわち自分の国に牙を剥く敵国に塩(特に石油)を送っていたということになります。

日本国内においては、秋丸機関による「英米合作経済抗戦力調査」が示すように、米国との戦争は絶対に避けるべしと陸軍内部で結論付けられていたにも拘わらず、山本五十六率いる連合艦隊が真珠湾攻撃を行い、それが「奇襲」とみなされ米国に参戦の口実を与えた。しかも攻撃日が日曜日だったにも拘わらず主力の空母は何故か演習でいなかった(通常は日曜に演習は行わない)など、偶然と呼ぶには不自然な出来事が幾つも重なっていることが見て取れるのです。

これらの研究成果を見るにつけ思わされるのが

 第二次世界大戦は茶番であった

という、もはや確信に近い思いなのです。

そして、この茶番は過去の話ではなく、今現在も「ロシア-ウクライナ紛争」という形で再現されているのです。それは、早期停戦を望んでいると言いながら、米国やNATOがウクライナに資金や武器を供給し続けている現状に見ることができます。

茶番であるということは、誰かがそのシナリオを書いているということになりますが、一般的には金の流れとマスコミを牛耳る国際金融資本家がその首謀者と解釈されています。

しかし「核幻想はいつまで続くのか」でも示したように、偽装核や航空兵器など明らかに当時及び現代科学の範疇を超えた超科学(ブラックテクノロジー)を用いる点においては、単にそれが強大な金と権力の問題だけとは捉え切れない点もあるのです。

私は、これらの茶番の大元がこの日本、それも地上社会ではなく日本の地下社会にあるのではないかと予想しているのです。そして、地下社会支配システムの小さな綻びこそが、1985年8月12日起きた日本航空123便事件であったと捉えているのです。

この予想の根拠が何であるかはこれからも述べていく予定ですが、その一つの表れが読者の皆様が日常使用している「電力」であることは知っておいてよいでしょう。電気はどこからやって来るのか、その発電量や送電能力を厳密に計算していくと、公表されている地上の発電所だけでは明らかに需要を満たせないことが分かってきます。

この出自が見えない電力の源を考察した時、日本国土、そして世界各国の領土の地下に建設された膨大な量の地下発電ネット―ワークの存在が見えてくるのです。これを考察せずして国際金融資本の闇を追ったところでトカゲの尻尾切りで終わってしまう、いや、むしろトカゲの尻尾として存在させられているのが国際金融資本であると私は見ているのです。

 関連記事:
  ・神々の住む島はアレまみれ - 地下電源情報(1) 
  ・古都の夏が暑い理由 - 地下電源情報(2) 

 * * *

先日の記事「映画に予告された123便事件」では1985年の7月に公開された「テラ戦士Ψ BOY」を、同事件を予告した映画作品として紹介していますが、その中で、主人公たち超能力者グループの合言葉が「ディラスポーラ」であったことは、同動画を観られた方なら既にご存知かと思います。


画像は映画「テラ戦士Ψ BOY」から

「ディラスポーラ」とは日本語訛りを考慮すれば英語の"diaspora”を指すと考えてよく、この言葉は現代時事英語では故郷を離れた政治的漂流民の意味で使われることがあります。しかし、この言葉の原義とは "the movement of the Jewish people away from ancient Palestine, to settle in other countries"であり、つまり「パレスチナの地を離れて住むユダヤ人」を指すのです。。

問題なのは123便事件予告映画の中でどうして「ディラスポーラ」なる言葉が使われたのかなのですが、ここに、日本とユダヤの関係性の秘密が隠されており、引いてはこの関係性こそが、世界を欺く世界大戦や地下支配の構造を生み出した源泉なのであろうと考えるのです。

以上の予想を踏まえた上で、おそらくディアスポラの民であろう日本の皆様に向けて、次の聖書からの引用句を添え本記事のメッセージとしたいと思います。

見よ、わたしがわたしの神、主から命じられたとおり、あなたたちに掟と法を教えたのは、あなたたちがこれから入って行って得る土地でそれを行うためである。あなたたちはそれを忠実に守りなさい。

そうすれば、諸国の民にあなたたちの知恵と良識が示され、彼らがこれらすべての掟を聞くとき、「この大いなる国民は確かに知恵があり、賢明な民である」と言うであろう。

いつ呼び求めても、近くにおられる我々の神、主のような神を持つ大いなる国民がどこにあるだろうか。またわたしが今日あなたたちに授けるこのすべての律法のように、正しい掟と法を持つ大いなる国民がどこにいるだろうか。

ただひたすら注意してあなた自身に十分気をつけ、目で見たことを忘れず、生涯心から離すことなく、子や孫たちにも語り伝えなさい。あなたがホレブであなたの神、主の御前に立った日、主はわたしに言われた。「民をわたしのもとに集めなさい。わたしの言葉を彼らに聞かせ、彼らが地上に生きる限り、わたしを畏れることを学び、またそれを子らに教えることができるようにしよう。」

あなたたちが近づいて山のふもとに立つと、山は燃え上がり、火は中天に達し、黒雲と密雲が垂れこめていた。 主は火の中からあなたたちに語りかけられた。あなたたちは語りかけられる声を聞いたが、声のほかには何の形も見なかった。

主は契約を告げ示し、あなたたちが行うべきことを命じられた。それが十戒である。主はそれを二枚の石の板に書き記された。主はそのとき、あなたたちが渡って行って得ようとしている土地で行うべき掟と法をあなたたちに教えるようにわたしに命じられた。
(新共同訳聖書 申命記 第4章5-14節 モーセの勧告より)


あなたは殺してはならない。
(新共同訳聖書 出エジプト記 第20章13節 第6戒より)



「花火のような炎が機体の周りを飛び回っていた」上野村での目撃証言から


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37回目の夏-失われたウェストサイドストーリー

本日は令和4年8月12日。日本航空123便が遭難したあの日からもう37年目の夏です。

37年前と言えば、私もまだ世間知らずの学生で、見るもの聞くものの全てに興味深々の頃でした。その自分がそろそろ老い先を考え始めなければならない年齢を迎えるとは、あの時にはとても想像できなかったことです。

私が123便の調査を始めて既に13年を数えますが、この間いったい何を成し得たのか、自分の至らなさに歯痒い思いを覚えるのは当然ながら、既に高齢の域に入られた犠牲者のご遺族関係者様に至っては、いったいどのような心境でおられるのか、それを思うと心苦しいばかりです。

ここで毎年のお願いとなってしまいますが、読者の皆様におかれましては、123便の姿がレーダーから消えたと言われる時刻、午後6時56分前後になりましたならば、わずかな時間でよいので、犠牲者のご冥福を祈ってあげてくださいますよう、お願い申し上げます。

これは多くの同胞が亡くなられた事件である。それを忘れないためにも。


■第2の遭難現場

本日を迎えるに先立ち、今年もまた123便の遭難現場へと足を運び慰霊を行ってきました。今回は、学生時代の同期の友人がこの事件の犠牲になったという方、話にはよく聞くが現場にはまだ一度も訪れたことがなく、ぜひ手を合わせに行きたいという方、そのような方々を連れ立っての訪問となりました。


写真1:慰霊のため遭難現場付近を訪れる


写真2:こちらは御巣鷹の尾根へ続く登山道
    沢が荒れ整備がたいへんだったでしょう。関係者の尽力に感謝です

御巣鷹の尾根を訪れたことのある方なら、どうして写真1が遭難現場なのだと首を傾げたかもしれません。それもそのはずで、ここは群馬県ではなく長野県側、現在の南相木ダムのダム湖畔の風景なのです。

私はここを第2の遭難現場と呼んでいますが、ここの存在については私が運用している(神)ブログメルマガで僅かに触れているのみです。というのも、これまで発見された軍機やミサイル破片の存在にすら強い拒否反応を示す世間一般に向けて、この第2現場の存在について詳細を示すのは時期尚早であると考えているからです。

ですから、今回の記事でもそれについて殊更強弁するつもりもないのですが、読者様には次の2つの事実についてご自身でよく考えて頂きたいと思っています。

 (1)殆ど使用されることない揚水発電所が何故ここに作られたのか?
 (2)どうして御巣鷹の尾根に最も近い川上村が救助拠点にならなかったのか?

(1)についてはかなり前に記事にしていますが、そもそも「大電力は長距離送電できない」という物理的制約に従えば、海沿いの発電所で作った大電力をこんな山の中に送電できないし、ここからの電気を遠く離れた都会に回すことなどできるはずもないのです。

 関連記事:大電力送電の大嘘 

つまり、数兆円は掛かっているだろうこの南相木ダムを含む神流川ダムは全く別の目的で建設されたのは自明のことなのです。この殆ど使われない施設の為に、千曲川源流周辺の土砂が複数の山体ごと大量に持ち運び去られたのです。私はこの行為を国による「証拠隠滅」と捉えています。

また(2)については過去の記事「The Paths of Mountain Wanderers」、「35回目の夏 - 小片に刻まれた想い」で軽く触れていますが、実は川上村に限らず123便事件において長野県側での動きが殆ど報道されないのは極めて不自然なことなのです。

"123便の遭難現場(御巣鷹の尾根)がどの辺か絞れてきた時点で、川上村の村長は「現場に最も近く平地も多いこの村が救助拠点になるのは間違いない」と判断し、村内の小中学校に受け入れ準備を始めるよう指示を出したのです。

ところが、実際には川上村には声が掛からず、村長はどうしてそのような判断になったのかと首を捻っていました。"


以上は3年前に、1985年当時の川上村村長に近かった方から直接伺ったお話なのです。

また、日本航空内では現地へ急遽派遣される社員に対し「現地へのアクセスは群馬ルートで」という指示が出されていたと当時の日航に在籍していた方の証言もあります。とにかく、長野県側に人を寄せたくないという意志が随所に見られるのです。


地図は現場周辺の地形図(現在)。県境の尾根を越えると長野県川上村があり、そこには人が住み農地の広がる平地がある。何故ここに救援本部を設置せず、遠く離れ急峻で平地の確保が難しい上野村が選ばれたのか?


写真は川上村内の現場最短地点(引用元:Google)。高原野菜の農地が広がる

大量の軍機破片が見つかっている話は以前から本ブログで取り上げていますが、そうなるとその機体本体を人目に触れないようどのように運び出したのか?当然それが疑問として上がってきます。

つまり、同事件を事故に見せかけるためには搬出路と廃棄場所の確保は必須であり、その為に取られた措置が

 西側(長野県側)の報道管制・行動規制

であったと考えられるのです。

この視点を得た時、これまで同事件に関して注目されることの少なかった長野県、そして南に続く山梨県や静岡県などの現場西側エリアこそが、同事件の処理及びその隠蔽に於いて非常に大きな役割を果たしたことが見えてくるのです。

さて、先に述べた「第2の遭難現場」とは、そのような現場西側の不可解な動きを調査する中で浮上した問題なのですが、これについては機が熟したと思われた時に改めて公表したいと考えています。

今はっきりとお伝えできるのは

 その時西側で何が起きていたのか、それが事件解明の鍵

であるということだけです。


画像は「事件の記憶-改ざんされた事故報道」から。離れた2箇所が炎上している

なお、私が他のブログを含め取り扱っている芸能・科学・アニメそして歴史等の話題は、一見関係ないようですが全て123便事件の全容を理解するための前準備であるとご理解ください。

まずこの辺の基礎知識を頭に入れて頂かないと、これから展開する123便事件の深層はまるで理解できないでしょう。それほどまでに、この123便事件の闇は深いのです。

参考:
 ・黒霧123便関連記事ガイド
 ・(新)ブログ全記事リスト
 ・123便搭乗者検索


DIXITQUE DOMINUS AD ABRAM POSTQUAM DIVISUS EST LOTH AB EO LEVA OCULOS TUOS ET VIDE A LOCO IN QUO NUNC ES AD AQUILONEM ET AD MERIDIEM AD ORIENTEM ET AD OCCIDENTEM
主は、ロトが別れて行った後、アブラムに言われた。「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。」
(創世記 第13章14節)


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123便事件と芸能界の闇(16)-映画に予告された123便事件

この記事は今年1月5日の記事「映画に予告された123便事件」で紹介した映画シーンについて改めて解説したものです。

同記事では、1985年の8月以前に公開された次の映画シーンを掲載し、この映画タイトルが何であるかを読者様への質問として問いかけました。今回は注目部分を赤丸で囲み、改めて掲載します。


画像1:あの数字「123」


画像2:ラストシーンに登場する「LOOP」(ループ)

また、画像2の「ループ」が、昨年末に日本先行上映で注目された映画「マトリックス」で使われたテーマと同じことから、どうやら2022年の今年は、1985年と同じ様に日本をターゲットにした「第2の123便計画」と呼ぶべき大計画が画策されているだろうと私の予想を述べています。

 関連記事:マトリックス - ボット化された日本人

前の記事から早くも半年が経過し、ずい分遅くなってしまいましたが、ここでこの映画タイトルを発表します。それは

 テラ戦士Ψ BOY

です。この映画の主要な情報をWikiから拾うと次の様になります。

 監督 :石山昭信
 脚本 :原田真人
 原作 :マイク・スプリングレイン
 出演者:菊池桃子、早乙女愛、益岡徹、竹中直人他
 音楽 :林哲司
 主題歌:菊池桃子『BOYのテーマ』
 配給 :東映
 公開 :1985年7月6日

これらの情報の中でご注目頂きたいのは、何といってもその公開日が123便事件発生の直前である「1985年7月6日」である点です。


画像3:「テラ戦士Ψ BOY」の映画ポスター
    例のピラミッドもしっかり登場してます

そして、一般大衆に印象を与える上で最も重要な映画タイトルについても、次の様なメッセージが暗示として組み込まれていることを頭に入れておいてください。

 テラ戦士  → 地球戦死 → 世界最終戦争
 Ψ(プサイ) → 三叉鉾 → 八咫烏・海軍
 BOY     → 誰?

1985年前後のアイドルブームを経験された方なら、この年の5月にトップアイドルだった松田聖子さんが「ボーイの季節」という歌を出されたことを覚えておられるかもしれません。そして、少しマニアックなアイドルファンなら、やはりこの年におニャン子クラブが「LIKE A CHERRY BOY」という楽曲を歌っていたことをご存知でしょう。


画像4:1985年当時の松田聖子さんとおニャン子クラブ

何が言いたいかというと、この年に使われた「BOY(ボーイ)」というキーワードには明らかに特別な隠喩が込められていること、そして、おそらくそれがある特定の人物で、男性を表すという点なのです。

これまで本ブログの「芸能界の闇シリーズ」をお読みになられた方なら、それが誰であるかもうお分かりになったかもしれません。これまでの分析と照らし合わして導けるBOYが示す特定人物とは

 昭和天皇

なのです。ここからこの映画タイトルの真意を分析すると

 八咫烏による世界最終戦争は昭和天皇の死を以て贖われる

と読むことができるのです。

 関連記事:八月に天皇は殺される 


映画シーンの中に「123」という数字がしっかり刻まれていることから、この計画が1985年の日本航空123便撃墜計画を皮切りにスタートする予定であったこともここから読み解くことができます。

「ループ」は繰り返し・やり直しを表す言葉ですが、これを現実世界に当てはめるならスクラップ&ビルド、すなわち今あるものを一旦全て破壊してやり直すという意味に取ることができます。

私たちが現在進行で経験しているの現在の世界は「グレート・リセット」という言葉が示すように、計画的なパンデミックとワク〇ン接種で2度と今までの日常が戻らない方向へと向かっています。これはまさしく私たちが計画上のループ過程に乗ったことを示しており、同様のメッセージが37年前の123便事件の時には既に現れていたのです。

このようなことを書くと将来を悲観される読者様もいらっしゃるかもしれませんが、ここでご理解頂きたいのは、

 1985年の計画は失敗した

という点であり、だからこそ今になって第2の123便計画が発動したと見ることもできるのです。

では、どうして1985年の計画は頓挫したのか?その理由を分析し理解することで、現在置かれている状況から世界がどう抜け出したら良いのか、その現実的方策が見出せるはずだと私は考えるのです。

最後に、次の画像を良く見てください。


画像5:ジャンボジェット機に合わされた照準
    「テラ戦士Ψ BOY」の同時上映アニメ映画「エリア88」から
    「88」は海軍・八咫烏を表す数字


画像6:同じく「エリア88」に現れた数字「182」→ 8月12日

ジャンボジェットに合わされた戦闘機の照準にこれ見よがしな数字。このようなシーンが「テラ戦士Ψ BOY」と一緒に上映されていたのです。これはもう、123便撃墜計画が存在していたことを示す動かぬ証拠であると私は捉えますが、皆様はどのようにお考えでしょうか?


参考:
 ・黒霧123便関連記事ガイド
 ・(新)ブログ全記事リスト
 ・123便搭乗者検索

 ・テラ戦士Ψ BOY 無料動画
 ・エリア88 無料動画



SICUT CANIS QUI REVERTITUR AD VOMITUM SUUM SIC INPRUDENS QUI ITERAT STULTITIAM SUAM
犬が自分の吐いたものに戻るように/愚か者は自分の愚かさを繰り返す。
(箴言 第26章11節)


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核幻想はいつまで続くのか

今年もまた核兵器に関する議論が盛んとなる季節がやってきました。

原爆が投下されたとされる1945年から数えて77年目となる今年は、ロシアのウクライナ侵攻に合わせて、再び核戦争に対する懸念が騒がれています。

 果たしてロシアは核を使うのか?

何を言ってるんですか、そんなものが本当にあればとっくに使っていますよ。大体、西側メディアが言うように、プーチンさんが悪魔のような人間なら、躊躇せずとっくに使ってるはずです。何故か「核」使用に関してだけは、「抑止力」などと世界中の誰もが夢のような寝言理論を語り、敵国指導者の良心に期待しているのをおかしいと思わないのでしょうか?


2022年8月3日11:09 午前UPDATED 2日前
ロシアの核攻撃シナリオはNATO次第=ロシア外務省高官

ロシア外務省高官のアレクサンダー・トロフィモフ氏は2日、ニューヨークの国連本部で開かれている核拡散防止条約(NPT)再検討会議で、ロシアが核兵器を使用する「シナリオ」が妥当になることがあるとすれば、「ウクライナ情勢」そのものではなく、ウクライナ情勢を巡っての北大西洋条約機構(NATO)諸国からの「直接攻撃」に対抗するために使用の決断があり得ると表明した。写真は2022年11月、ニューヨークで撮影(2022年 ロイター/David 'Dee' Delgado)


[国連 2日 ロイター] - ロシア外務省高官のアレクサンダー・トロフィモフ氏は2日、ニューヨークの国連本部で開かれている核拡散防止条約(NPT)再検討会議で、ロシアが核兵器を使用する「シナリオ」が妥当になることがあるとすれば、「ウクライナ情勢」そのものではなく、ウクライナ情勢を巡っての北大西洋条約機構(NATO)諸国からの「直接攻撃」に対抗するために使用の決断があり得ると表明した。

ロシアのウクライナ侵攻に伴い、ロシアのプーチン大統領は核使用の威嚇を繰り返している。しかしトロフィモフ氏はこの日「ロシアが特にウクライナでの核兵器使用の脅しをしているとの主張は全く根拠がなく、現実と遊離しており、受け入れがたい臆測だ」と発言。ロシアの国家としての存在を脅かす大量破壊兵器や通常兵器の攻撃に対してのみ、ロシアは核兵器を使用し得ると主張した。

NATO諸国のロシアに対する動きが「軍事衝突開始ぎりぎりの危険な状況」をもたらしているとも批判。こうした動きが「われわれのドクトリンの緊急シナリオの発動につながる可能性がある」とした上で、「われわれは当然、これが回避されるべきだとの立場だが、西側諸国がわれわれの決意を試すつもりなら、ロシアは引き下がるつもりはない」と述べた。

引用元:ロイター通信 https://jp.reuters.com/article/ukraine-crisis-un-nuclear-idJPKBN2P904C


要するに、ロシアだけでなく、米国もNATOも中国も、そして当たり前ですが北朝鮮ですら核兵器など持っていないのです。どの国も77年前の日本で起きた惨劇イメージを利用して、

 口先だけの核戦争ごっこ

を何度も繰り返し、予め仕組まれた恐怖イメージ戦略をシナリオ通り繰り返しているだけなのです。それについては、現在実施されている新型感染症騒ぎも同じだと言えます。

世界の軍事技術に投入されている科学技術は、私たちが知らされているどんな科学よりも数百年レベルで進んでいますが、その中にさえ「核兵器」という概念はそもそも存在しないのです。

そんなことが言えるのは、昨年の記事「核爆弾は概念」で示したように、そもそも核兵器の科学的根拠とされている原子核の存在が未だに確認されていない事実に見ることができるのです。

この他、戦争やそこで使用される武器には色々と科学的には説明できない不思議な現象が見られることにお気付きでしょうか?その内いくつかを箇条書きにすると次のようになります。

 ・翼面積荷重がジャンボ機並みのB29が低速で浮き上がる
 ・投下した爆弾が空気抵抗を受けず真下に落下する
 ・翼を持たないミサイルが自力飛行する

これらが運用可能なのは未知の科学(ブラックテクノロジー)の恩恵によるものであり、本来ならばこの技術を独占している国が他国を圧倒するはずなのですが、何故かこれらの技術は世界の戦力陣営が拮抗するよう均等に分配されているのです。

強い兵器を持つ者がさっさと支配すれば終了となる話なのに、どうしてそんな七面倒くさいことをするのか?ちょっと考えればその理由も朧気ながら見えてきます。

その一つとして最も考えられるのが

 世界中で人を殺し合せて世界を終わらせる

そのような状況を作り出そうという意図なのです。大人と子供を戦わせて大人だけが生き残っても、それでは世界が終わりになりません。最後の1人になるまで派手に戦わせることにこの戦略の大きな意味があるのです。


■原爆は核爆発ではなかった

さて、そうなると、どうしても疑問に思われるのが「広島・長崎はなんだったのだ?」という点でしょう。広島で起きた惨劇については過去記事「広島の原爆はなかった」で紹介した、被爆者が描いた次の絵がその真実を実に正確に伝えています。



これがいわゆる核爆発の放射光でないことは、この絵の作者が戦後も健在で記憶を頼りにこの絵を描いたことから分かることです。

おそらくこれはプラズマ空間制御技術を用いたプラズマ空間境界面の放射光であり、この球体の中には現空間と連続性を持たない全く別の空間を作ることができます(そういうものらしいです)。

例えばその空間内に水素を充満させたとします。そして同じような空間をもう一つ用意し、そちらには先ほどの水素の半分の体積の酸素を充満させます。2つの別空間を攻撃予定地点の上空に出現させ(これが絵の作者が見た怪光だと思われます)、そこでプラズマ境界を取り除くと、同地点の上空は一時的に膨大な水素ガスと酸素ガスで満たされることになります。

この状態で、数百ボルトの電気をスパークさせたらどうなるか、後はお分かりになりますよね。水素と酸素が反応して大爆発が起きるのです。この他、放射線を発生させる別々の反応物質を同じようにブレンドすれば、爆発と同時に膨大な放射線が飛び出すことになります。

そして、この電気スパークによる点火装置の役割を果たしたのが、広島そして長崎の両市に共通する

 市電

の存在だったのです。


写真:パンタグラフの昇降装置を僅かに下げればスパークが発生する

街が吹き飛ばされた後は、上空に放射性物質を撒いて人工雨を降らせばよい、あの黒い雨のことです。これで私たちが想像する一連の「原爆」イメージに必要な爆発・放射線・放射能の全ての要素が整うのです。

こんなSF染みた話は信じられないという方が殆どだと思いますが、実は、旧日本陸軍の軍事技術研究ではプラズマ空間制御についてかなりの知見を得ていたと、元研究員(故人)の方より直接お話を伺っています。

そして、このプラズマ空間制御の原理によって、時々目撃される謎の飛行物体、いわゆるUFOの飛行が可能になるとも仰っておられました。

世界で最も進んでいた日本のプラズマ研究は、戦後ほとんど見られなくなり、私が調べたところでも昭和30代に出版された専門書が幾つか見つかっただけです。しかし、この最先端技術はその後も管理され、米国国防省を始め、我が国でも密かに研究が進められているのはほぼ間違いないようなのです。

というより、初めから旧日本軍と米軍が共謀してプラズマ兵器の研究を進めていた節があり、先程の元研究員さんによると、日米戦争中にも拘わらず、あの有名なフィラデルフィア実験に日本の研究者が参加したという話も聞いているのです。

戦争って、いったい何なのでしょう?


 * * *


今回のお話は、一般に信じられている原子とか量子などの物質存在に強く依存した物理概念に縛られている限り、おそらくどなたも理解できないのではないかと思っています。

ここから先は、「認識」とは何か、「時間・空間」とは何かなど、科学というよりはむしろ哲学的・神学的テーマとして取り扱う問題であろうという認識です。

私たちが正しいと信奉する現代科学体系とは全く異なる未知の科学体系が別に存在し、世界がその未知なるものにこれまでずっと翻弄され続けていたのならば、それはあまりにも悲しい現実であると言えます。

 参考:核爆弾関連記事ガイド



DEUS AUTEM PACIS CONTERET SATANAN SUB PEDIBUS VESTRIS VELOCITER GRATIA DOMINI NOSTRI IESU CHRISTI VOBISCUM
平和の源である神は間もなく、サタンをあなたがたの足の下で打ち砕かれるでしょう。わたしたちの主イエスの恵みが、あなたがたと共にあるように。
(ローマの信徒への手紙 第16章20節)


キリストの御国にて記す
管理人 日月土
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