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JAL123便墜落事故-真相を追う-蘇る亡霊(12)

※人体の放射化など、核汚染に関する記事は「核汚染日本の再生」カテゴリーをご参照ください。1985年のJAL123便日航機事件と今回の福島原発の件は、根源を同じくする問題であると私は捉えています。

 * * *

日航機事件の背後に蠢く日本の闇組織について考察するシリーズ、その第12回目です。このシリーズでは、私や調査協力者のS氏が取材中に体験した彼らの執拗なまでの妨害行為を読者の皆様に露にすると同時に、同組織の性質を論考し、以前乱暴に書き散らした「隠された日米戦争」をできるだけ補足していきたいと考えています。、


■改めてクロカモの正体を考察する

これまでの説明の繰り返しになりますが、「国営テロ集団」と呼んでいたこの組織を、今後は「クロカモ」と呼ぶことにします。闇夜に飛翔する不思議な鴨を千葉県の印旛沼で目撃したことがきっかけでこれを命名しました。この名前には捉え所がない、姿がよく見えないという意味も込められています。また、この組織は、日航機事件の関連書籍を多く出されている池田昌昭氏が、その著書の中で唱える「黒幕的組織」とほぼ一致するものであると考えます。

これまでの調査取材を通して、この非公然組織が政府・自衛隊のみならず、地方を含む官公庁、政党、警察、企業、マスコミ、暴力団、宗教団体、旧華族・天皇家などあらゆる組織にその協力分子を潜入させ、日本の政治と行政を裏から操っているとの認識を得ました。また、国際軍事評論家B氏による日本の軍政に関するこれまでの解説から、この組織が、旧帝国陸軍の流れを組むグループを核とし、同時に、日本占領時代前後から在日米国陸軍・空軍や、その関連米国企業を一派に加えた、国際的な軍産複合体を形成している可能性も見えてきました。日米というのも一面的な話であって、第2次大戦以前からの旧陸軍の国際交流関係を紐解けば、そこには当然、フランス・ドイツ・ロシア・中国・南北朝鮮、そしてインドなどの中央アジア圏各国とのコネクションが見え隠れします。

奇しくも、このブログタイトルのベースとして拝借させていただいた、松本清張先生のノンフィクション作品「日本の黒い霧」で、「もく星号事件(これも飛行機事故)」、「下山事件」など戦後の未解決事件に米国占領軍の影が見え隠れするとの指摘がなされていますが、旧来からの謀略諜報網を活用した日本人協力者なき国内完全犯罪は達成し得ないと私は考えますので、旧帝国陸軍残党+米国占領軍の組織融合が既にこの頃(1940年代末)には成立していたものと推測されるのです。

留意すべき点があるとすれば、[ 旧帝国陸軍=日本、在日米陸空軍=米国 ]ではないという点です。旧帝国陸軍と旧帝国海軍が決定的に分裂した組織体同士であったことは、B氏が日頃から指摘する日本軍事史の重大事実ですが、米国海軍・海兵隊の戦果を事実上横取りする形になった在日米陸空軍にしても、本国政府に対して決して従順な組織でなかったことは、占領軍司令官マッカーサーの召還、その後の国内の不遇を見れば状況的にそれを理解することができます。第2次世界大戦終了直後、そこに残されたのは、日本の敗戦だけではなく、更なる日本国内の分裂と米国内の新たな分裂であったと考えるべきです。

B氏によると、昭和天皇は、警察補助隊(現在の自衛隊)が組織として成立した後も、制服を着用した自衛隊関係者と宮中で接見することは絶対になかったと言います。それほどまでに旧帝国陸軍の暴走に憤り、同じ轍を二度と踏まないとの強い決心をされていたとのことです。昭和天皇のその姿勢は、反旧帝親米国政府(在日米軍ではない)的国策となって現れ、やがて戦後の目覚しい復興と経済成長として発現するのですが、その間、官庁・企業に網を張るクロカモも同時にその経済的影響力を広げており、やがて、反昭和天皇、反米国政府の動きとして表面に現れることになります。それこそが1985年の日航機事件、そして1989年の昭和天皇毒殺事件(*1)であると私は推測するのです。昭和天皇崩御と共に、仕掛けられた人工バブルは弾け飛び、そこから経済大国日本の没落が始まるのです。


*1 昭和天皇毒殺事件:1989年の昭和天皇崩御がどうして毒殺と分かるのか、昭和天皇が崩御直近にお話されたビデオがあればそれを医師免許のあるどなたかにお見せください。どのような特徴がお顔に見られるでしょうか?正規の医学教育を受けられた方なら、その映像から毒を盛られたのが第一の死因であると簡単に看破することができるはずです。昭和天皇は側近から徐々に毒を盛られて死に至ったと考えられるのです。話は飛びますが、皇室関係者がよく利用する聖路加病院の日野原重明医師が、あのご高齢で現職を退職しない本当の理由(通常は70代までに引退)、それは日野原氏が知る人ぞ知る、日本の毒薬の最高権威であり、昭和天皇の死因について専門家としてその真相を知りえる立場であったことが最も考えられるのです。なお、日野原氏の名誉の為に付け加えておきますが、氏は昭和天皇の医師団には加わっていません。ただし、佐藤栄作元首相の最後を看取った医師の一人であったことに、何か別の重大な真実が隠されていると私は感じています。


写真1:日野原重明氏


■グリコ森永事件とクロカモ、日航機事件

その間、1985年の前年には、警察を上回る情報収集能力で時の警察権力を振り回したグリコ森永事件が発生しました。その後、警察が事件の容疑者をある程度特定するに至った後でも、見えない圧力の下、逮捕が執行されることはありませんでした(*2)。1985年8月12日、日航機事件の発生日ですが、その日に新聞社宛に送られたグリコ森永犯によるいわゆる「終結宣言」は、偶然の一致と受け取るにはあまりにも出来すぎであり、むしろ同犯行と日航機事件の間に同じグループが存在することをあからさまに仄めかしているとも言えます。クリコ森永事件を封殺したその見えない圧力こそがクロカモであろうし、そこに関与している人物像(*2)から、当時の表向きのクロカモ関連組織の一つとして「国際勝共連合」の名前が浮上してきます。


図1:グリコ森永事件の背景

国際勝共連合は、暴力団・在日勢力・米国CIA・韓国KCIA・有力政治家・企業群からなる政治結社で、この複雑な組織を完全に取りまとめられる実力のある人物となれば、元旧陸軍参謀、元伊藤忠会長の瀬島龍三氏をおいて他にないと、B氏は断言します。瀬島氏の名前が挙がることにより、鐘紡、住友などの関西財閥(*3)、許永中(きょえいちゅう)など当時の疑獄事件のスター達、中曽根康弘、竹下登、亀井静香など、黒い政治家達、そして氏がシベリア抑留されていたロシアとの関係、軍人時代または伊藤忠時代の戦後賠償ビジネス(*4)で関係を築いた朝鮮半島・中国との繋がりまでもが見えてくるのです。


写真2:瀬島龍三氏(左,故人)と中曽根康弘氏
    瀬島氏は陸軍幼年学校出身。幼い頃から将来の指導者として育てられ
    た。貧農出身の苦労家という出自は全くの虚構である。中曽根氏は海
    軍主計出身だが、前身は内務省勤務であり陸軍に近いと見られる

1985年以後、クロカモと米国政府派の「隠された戦争」が激化し行き、現在の福島に至る訳ですが、日航機事件の約1ヵ月後に電撃合意されたプラザ合意、1995年に発生した地下鉄サリン事件なども、その争いが表面化した典型例として捉えることが可能です。また、大きな流れの中で捉えれば、翌1986年に続けて発生したスペースシャトルの空中爆発事故、チェルノブイリの原発事故なども、クロカモを含む国際軍産複合体と各国中央政府との争いの表出であると見なすこともできます。話が大きくなるので1985年日航機事件以後に発生した「隠された戦争」については、別途このシリーズの中で私の考察を述べていきたいと考えています。最後に、読者の皆様におかれましては、
 戦争=国家vs国家 (国家間紛争)
 戦争=資本主義vs共産主義 (思想対立)
 戦争=キリスト教vsイスラム教 (宗教対立)
という旧来の2元論的対立軸、誰か特定の一者、一国を強大な悪徳と見立てる安易な陰謀論的視点では、この複雑に入り組んだ争いの実相を理解できないとだけ、再度念押しさせていただきます。


*2 見えない圧力、人物像:次の書籍を参考にされたい。特に(1)には、何か政治的な、見えない圧力による捜査への介入があったことを、現場の刑事の証言として紹介している。
 (1)「闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相」 一橋文哉 新潮社 1996
 (2)「グリコ・森永事件『最終報告』 真犯人」 森下香枝 朝日新聞社 2007

*3 関西財閥:日航機事故後の社長交代で何故、航空輸送業界に全く無関係な鐘紡の会長、伊藤氏が日本航空に迎え入れられたのか?関西財閥と日航機事故との不透明な関係についても今後追求を加えたい。

*4 戦後賠償ビジネス:関連書籍は多いので詳しくは述べないが、戦後賠償として日本から資金や支援物資がかつての被占領国に提供された。しかしながら、事実上、日本国民の税金がそれを取扱う伊藤忠など日本の商社に還流(それがまた政治家に還流)していただけと揶揄されることも多い。それ以後のODAなどでも同じ腐敗構造が見てとれる。


 * * *


文中に「仄めかし」という言葉を用いましたが、グリコ森永事件でも分かるように、クロカモが暗号的な仄めかしを非常に好むグループであると私は分析しています。解釈において異論も少なくありませんが、この手の分析に関しては「日本の陰謀」さんが優れていると思います。次の例を見てください。

 (1) 8月12日 日航機事故 → 12月8日 日米開戦
 (2) 33 → 3×11 →3月11日 関東東北大震災

(1)は月日の数字を入れ替えることにより、日航機事件の発生日は日米開戦日(12/8)を指すようになります。上述のコンテキストから意味を解釈すると、8月12日は「日本(クロカモ)の米国中央政府に対する襲の日」と読むことができます。(2)に関しては、昨年発生したチリの落盤事故あたりから、新聞紙上で33という数字がやたら気になることから注目してみました。33は西洋数秘術においても、陰謀論における世界支配組織の階層を表す数字としてもよく知られています。33を素因数分解すると3と11が出てきます。また北緯33度は、原爆が落とされた広島(34'23)と長崎(32'45)の中間付近の緯度を現します。チリの深い鉱道に33人が取り残されたという事実から「チリの地中の向こう側の国(日本)で、広島と長崎の悲劇が再現される日」と解釈できないでしょうか?もちろん、陰謀論の世界で囁かれている通り、チリの落盤事故がクロカモなど国際軍産複合体の計画的事故であると仮定すればの話ですが。

この解釈が正解であるかどうかなど答の知りようもありませんし、こじつけと言われれば反論のしようもありません。ただ、クロカモの常識では量れない行動パターンを誰よりもこの目に焼き付けてきた立場としては、決して無視し得るものでもないと感じるのです。


聖書からの引用に代えて


南の島フィリピンより
管理者 日月土
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核汚染日本の再生-日本に残る知人へのメール

今回は日本の核汚染に対する私の個人的見解を、知人へ送ったメールをほぼそのままの形に掲載することでお伝えしたいと思います。知人からは「日本国内で活動できないのか、国外では信用を得られないのではないか」という旨の打診を受けていました。


 * * *


○○さんへ

私の場合、3月15日の空を見て、直感的に危険を感じた上での避難です。よく考えてからの避難というのはまた別のものだと思います。もっとも、私の場合は御巣鷹での被曝経験があったので、早い決断ができたのだと思いますが。

広島・長崎・チェルノブイリ、被曝症のデータやその対策方法はたくさん提示されていますが、今回のように100日間も放射性物質を放出し続けた例はありません。そして、低線量被曝の医学データは未だ無いに等しいです。味噌の摂取などの対策はそれなりに有効だと認めますが、今の日本の状況に対してどうかと問われれば、私も「難しい」としか答えられません。

浄化菌による放射能対策ついては、△△君が日本に残って実験を続けてくれましたが、彼の結論によると、菌体による放射能除去の可能性は、今回の汚染レベルに対しては極めて低いと出ています。乳酸菌による防除が言われてます。「放射能をパクパク食べる」というのは、間違ってはいないのですが、今回の場合、菌体自体が死んでいってる状況が観察されています。体内での放射能除去を司るマクロファージでさえ、放射能を取り込みながら死んでいってます。

私たちの被曝治療の場合でさえかなり苦戦を強いられています。放射能のエネルギーレベルがあまりに高いため、治療が人体に効き始めるまでに資材の大量投与が必要であり、この先さらに被曝した人に対しても同じ方法が有効かどうか言い切れない状態です。要するに、これまでの放射能除去のセオリーが通用するとは100%断言できないというのが、この3ヶ月間、現実を見た上での結論です。そして、放射能はこれからも環境に出続けます。

確実な対策がない以上、危険地域から少しでも遠くに離れ、被曝量を下げるというのが、安全確保の原則だと思います。残念ながら、核汚染地帯に居ながらにして被曝治療が行えるほど甘いレベルではありません。被曝治療の希望者は汚染地帯からの退避が大原則となります。

「仕事が、学校が、お金が」というのが汚染地域を離れられない理由になるのは理解できます。しかし、それは「これまでの生活をなるべく維持する」という発想に基づいた結論です。今が日本有史来、最大級の非常事態、有事である認識を持っていただかないと、私がなぜ日本を捨てフィリピンに避難したのか、その真意が理解できないのも無理ありません。

避難ルートの確保や生活保障は、本来、国民の総意を受けて政府が行うものです。私が見て思う日本の最大の不幸は、民意を代表する機関が存在していないことです。今の私には、現在の日本国民が、国家に見捨てられた日本航空123便の乗客乗員の方々と重なって見えてしまうのです。

○△□より


 * * *


先日、5月初旬から被曝治療のためにこちらに滞在してこられたYMさんが、治療を終えてご主人の出身国へ旅立たれました。1歳半の子供については、資材の経口投入を今後も継続しなければなりませんが、今のところ経過は順調なようです。とにもかくにも、一組の日本人母子を救えたのは私たちの誇りです。将来の日本再生のために、その子が安全な地でより大きく成長してくれることを祈るばかりです。


MULIER CUM PARIT TRISTITIAM HABET QUIA VENIT HORA EIUS CUM AUTEM PEPERERIT PUERUM IAM NON MEMINIT PRESSURAE PROPTER GAUDIUM QUIA NATUS EST HOMO IN MUNDUM ET VOS IGITUR NUNC QUIDEM TRISTITIAM HABETIS ITERUM AUTEM VIDEBO VOS ET GAUDEBIT COR VESTRUM ET GAUDIUM VESTRUM NEMO TOLLIT A VOBIS
女は子供を産むとき、苦しむものだ。自分の時が来たからである。しかし、子供が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはやその苦痛を思い出さない。ところで、今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。
(ヨハネの福音書 16章21,22節)


南の島フィリピンより
管理者 日月土
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核汚染日本の再生-放射化した日本人(4)

※JAL123便墜落事故の真相に関する記事は、こちらのカテゴリーをご参照ください。なお、現在起きている原発事故は、123便の撃墜事件と同様に、事故に見せかけた核テロ事件であるというのが私の個人的見解です。

 * * *

5月上旬に受け入れた千葉県八千代市の主婦、ANさんに引き続き、先週、新たな日本人被曝治療患者を1名受け入れました。50代前半の男性、東京都江戸川区に在住のKMさんです。ANさんを上回る放射化が予想されたため、隔離部屋に治療施術者1名のみを泊り込みで配置し、食事の差し入れや物品の受け渡しは指定場所を介してお互いに鉢合わせないように行うという、最高度の伝染防止体制を取りました。

実際にANさんをはるかに上回る感覚的放射化レベル(*1)であることが確認され、現在、2回目の被曝治療が終了したにもかかわらず、最初の放射レベルが高過ぎたためか、レベルが多少軽減された程度に留まっています。施術者も最初のコンタクトでの被曝が確実なので、患者と共に同じ被曝治療を行っているような次第です。

*1 感覚的放射化レベル: 人体の放射化レベルを表す数字。その対象から健常人が放射線による異変を最初に感じるまでの距離を表す。詳しくは「放射化した日本人」をご参照ください。


■バスターミナルで感じた異常な感覚

KMさんには、事前に、隔離部屋まで自力でたどり着いていただくようお願いしており、空港付近から乗ったバスで地元までは何とか来ていただきました。しかし、そこで本人の携帯電話の充電が切れてしまったため、連絡を取ることができなくなりました。そこで、4月からこちらに避難し、継続して治療を受けているKAさんがその後の指示を伝えるため、地元のバスターミナルへ向かいました。もちろん、KMさんに絶対に物理的接触をしないという了解の下で。

前にも記述しましたが、私を含め、被曝治療を受けた日本人避難者は放射に対して非常に敏感になります。KAさんの場合はその感性が特に強く、私が特に異変を感じないようなレベルでも、わずかな放射があることを誰よりも早く感じ取ります。

彼が言うには、トライスクル(フィリピンで一般的なサイドカー付バイクのタクシー)に乗ってバスターミナルまで近づいた時から、明らかに周囲とは異なる空気を感じ取ったとのことです。そして、ターミナルで降りて、たくさんの車両や人ごみでごった返すその中からKMさんを探し出すのに全く迷うことはなかったと言います。なぜなら、異様な感じを発するその中心に向かうだけでよかったのですから。

KMさんの感覚的放射化レベルは、その時のKAさんの証言を過小に評価しても10m以上はあったとみなせます。実際に、KAさんはKMさんから10m程度距離を保って、大声を上げて会話をしたと言っています。「10mより内側、5mまで接近したら自分も確実に被曝したでしょう」と本人は語っています。

KMさんの状態が、一般的な東京人に起きていることなのかどうかは何とも言えません。まず、東京の江戸川・葛飾区はホットスポットと言われている高汚染地域であること。また、KMさんの場合は、無謀にも放射線測定器を携えて福島第一原発が視認できる距離まで測定に向かったことがあるということですので。本人の放射レベルがある程度落ち着いたところで採血し(*2)、観察すればいったい何が起きているのか、もう少しはっきりと見えてくるでしょう。


図1:バスターミナルでのKMさんの存在を感知(KAさんの証言を元に作成)
   感覚的放射化レベルは10m超級とみなせる

*2 レベルが落ち着いた頃に観察:ANさんの血液観察の結果、血中に放射性物質が含まれていることが明らかになりました。放射線による観察機器への影響を避けるため、被観測者の高放射レベルが疑われる状況下での観察は控えています。


■日本からの荷物に感じるビリビリ感

フィリピンに滞在しながらも、こちらで入手できないものは日本の知人から荷物で時々送ってもらっています。滞在初期の頃はそれほど気になりませんでしたが、5月に入ってから送られたものの中には、郵便局で受け取った時から頭痛を催させるほどひどく放射化したものがあります。

金属類は特にひどく、触ると電気で手がビリビリと痺れるような感覚があります。金属については放射化されやすいことは想定内ですし、こちらも覚悟ができているのですが、それを包み込んでいる紙製のパッケージまで、触ってビリビリするのは全くもっていただけません。残念ながらそのような荷物は包装ごと全て埋設廃棄せざるを得ません。

KAさんによると、バスターミナルにおいて、KMさん自身の放射化レベル以上に、KMさんが携行していた手荷物からの放射は凄まじかったとのことです。


■疑われる飛行機内での被曝

これまで、放射化は日本国内だけの問題と思っていましたが、よく考えると移動中が果たして安全なのかという観点が欠落していました。以前の記事「日本一時帰国雑感」で記述したように、自分自身が移動中の飛行機内で激しい頭痛を体験した以上、飛行機の飛行ルート上も放射能汚染されていると想定するべきです。

大気中に放出された全放射性微粒子の内、どの割合で大気中に残り、また地上・海上に降下するのかは不明ですが、おそらく多くの割合で大気中に留まり、しかもその汚染域は北半球全体と、広域に渡っていると考えるのが妥当だと思われます。

機内では、与圧をしているといっても外気を取り込んでいるのは間違いありませんから、飛行中、機内の乗客・乗員が大気中の放射性物質を吸い込んでいるのは確実でしょう。また、このような放射能汚染空間を飛び続けている機体が、放射化された危険な乗物になっていると考えるのが自然なように思います。

こう考えると、現在の放射化レベルに至っても各国エアラインが日本への就航を取りやめず、また、各国空港で日本からの渡航者への被曝量チェックが甘いのかも合点がいきます。大気中の放射能汚染を認めれば世界中の航空輸送産業が崩壊してしまうからに他なりません。また、被曝量チェックを厳密に行えば、当然ながら搭乗者全員が被曝認定され、大気中の放射能汚染の実態が明らかになってしまうからです。

こちらに届いた荷物の放射化、また、KMさんの人体の放射化が、どの程度の割合で移動ルート上の汚染に影響されたのかは測定する術はありませんが、やはり、少なくない程度で含まれていると考えておくべきでしょう。


■再度、放射化を考える

今まで、「放射化」という言葉を、他の放射能の影響により、物質が放射能化してしまう(誘導放射能)という意味で使用していましたが、前述したビリビリ感というのは、誘導放射能という概念からだけではうまく説明できません。まるで、電気のように流れ、帯電するような感覚があるからです。

KMさんは、日本にいる時には、鼻血が出たり、少し疲れやすくなったとは自覚されていましたが、それ以外は全く普通に生活しており、その中で人に会っても特に違和感を感じなければ、人にそれを指摘されたこともなかったそうです。放射化に敏感な日本の知人が渡航前のKMさんに会ったのですが、その時も、「KMさんの放射化はそれほどでもないと思う」という報告をしてきました。

日本と、こちらでのギャップはいったい何なのでしょう?もちろん移動中の被曝も考えられるのですが、KMさんの治療中の好転反応を観察する限り、日本国内で相当量の放射性物質を体内に取り込んでいるのも確かなようです。

ここから先は私の仮説で、根拠が曖昧だし、これだけで全てがうまく説明できないことは認めますが、今後補足検証されることを期待して残しておきたい思います。

「放射線照射により物質が正帯電する?」
 1. 放射線による電離現象が発生 → 物質の電子を奪う
 2. 正孔が生じ物質が正帯電する
 
 放射能が日本全国にバラ撒かれ、放射線が一様に照射された。
 よって日本国内全体で地球のグランドレベルに比べて正電位
 方向に偏向した状況が発生している。地域毎の格差は、人を
 含む物質の移動で徐々に平均化されていくのだろう。

 日本で被曝し、日本にいる限り、電気的フロート状態である
 ため、電位の大きな変化に気がつかない。

 誘導放射能も同時に生成されている。元からの放射能そして、
 新たな放射能からの放射線が、正孔を供給し続けている。

私は、放射線の強い電離能力こそが生体機能の最大の阻害原因であると考えています。神経の信号伝達が電気的に行われていることはもちろん、イオン化物質による生体内の化学反応は基本的に電気的反応ですし、皆さんに写真でご覧頂いた赤血球が負電位を帯びて地磁気の影響を受けながら回転運動しているのも電気的運動です。生体とは基本的に電気仕掛けのロボットであると言えなくもありません。

赤血球を例にとれば、細胞表面の電子が電離現象により奪われてしまえば、正帯電となり本来の機能は奪われてしまうことになります。また、回転運動も逆向きになります。私たちの研究では全ての癌細胞は正帯電しており、この事実から電気的異常が細胞癌化の原因、または結果を表していると考えます。「放射線がDNAを傷つけて癌化」という通説は、否定こそしませんが現実に起きている電気的現象を正確に表現していないと思います。

問題なのは、放射線による正孔の生成が、生体細胞や免疫システムにどのような影響を与えているかです。以前掲載した血液の映像でマクロファージ等の免疫細胞が動きを止めてしまった一番の原因は、正電荷化した細胞群に供給する血中の電子が決定的に不足した為ではないかと私は考えています。


図2:放射線の副次的影響により日本全体の電位が上昇しているのか?
   生体が耐えられる限界点をAとすればまだ安全圏、手は打てる
   Bとすれば大勢の国民の生命が既に危険に晒されていることになる
   いずれにせよ、放射能の放出(バラ撒き)を止めなければならない

放射能は撒き散らかされるままです。このまま日本国内の正電位が上昇し続けたらどうなるのでしょう?マクロ的に見れば、いつか生体固有の電気的限界をオーバーフローし、生体としての機能を完全に停止させてしまうのではないでしょうか?いつまでも放射能の環境への放出が止まらないことが、今回の事故(事件)で最も恐ろしく、そして危惧される点であり、そして、その恐怖は日本だけに留まらず、将来的に世界中に波及していくことを示唆しています。


 * * *


放射線に関して、日航機事故の真相解明でお世話になっている国際軍事評論家のB氏から次のようなお話を聞きました。

「軍事の世界では、重粒子を放射する核種の開発にも成功しています。今回の原発事故が本当に核テロなら、一般にデータのない、それら新しい核種が使用されている可能性も考えられます。」

一般に、電子より重い粒子線を重粒子線と呼びます。放射線と言えばα線(ヘリウム原子核)、β線(電子)、γ線(高エネルギー電磁波)、それ以外に中性子線などの観測値が議論に使われます。しかし、データの存在しない未知の重粒子線が放射されているとしたら、一般に売り出されている放射線測定器では検出不可能であると思われます。測定器にかからない不思議な放射をする物質については、123便関係記事「神々の落涙(3)」にも報告を載せています。私が読者の皆様にお願いしたいのは、放射線の数値ばかりに目を奪われず、危険を感じたら、自分の判断に従ってその場から離れて欲しいということだけです。どこに行ったらよいかという質問に対しては「関東・東北からできるだけ離れた所で、自動車か船で移動可能な所」としか、今は言いようがありません。


NUMQUID TU MAIOR ES PATRE NOSTRO IACOB QUI DEDIT NOBIS PUTEUM ET IPSE EX EO BIBIT ET FILII EIUS ET PECORA EIUS RESPONDIT IESUS ET DIXIT EI OMNIS QUI BIBIT EX AQUA HAC SITIET ITERUM QUI AUTEM BIBERIT EX AQUA QUAM EGO DABO EI NON SITIET IN AETERNUM
「 あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。」
(ヨハネの福音書 4章12,13節)

南の島フィリピンより
管理者 日月土
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JAL123便墜落事故-真相を追う-神々の落涙(4)

※人体の放射化など、核汚染に関する記事は「核汚染日本の再生」カテゴリーをご参照ください。なお本記事にも核関連情報が多く含まれています。1985年のJAL123便日航機事件と今回の福島原発の件は、根源を同じくする問題であると私は捉えています。

 * * *

私もよく参考に読ませていただく「つむじ風」さんのブログに、今回の福島原発がイスラエル製の核爆弾によって破壊された可能性があるとの転載記事が掲載されました。この件について、JAL123便関連記事で軍事関連の専門知識を度々提供いただいく国際軍事評論家B氏に問い合わせたところ。次のような返答を得ました。

「米ソ冷戦が終った今日、自国防衛の為に最も核兵器が必要とされる国は、周囲を敵国に囲まれたイスラエルに他なりません。イスラエルの小型核製造技術は米国を凌ぐとも言われ、すでに5~600発の小型核爆弾を保有していると見られています。今回の福島原発事故がイスラエルの関与した計画的事故だとすれば、私の知る要人のほとんどが3月10日までに日本を離れていたことに納得が行きます。最近、エルサレムで第2神殿の建設が始まる(聖書における最終戦争の前触れ)などの話を聞くこともあり、今、目が離せない国となっています。」

この一件から、日航機事件の主犯および隠蔽を実行し、今回の原発事故を演出したと思われる日本の闇組織、クロカモ(*1)が、裏でイスラエルと繋がっている可能性が見えてきました。実は、一昨年来、日航機事件の現地調査の時から、英米系、ロシア系、フランス系とは明らかに異なる西欧人系の男性の監視を受けていたことがあり、同行したS氏と共にモサド(イスラエルの諜報機関)が人を出しているのでないかと勘ぐっていたところなので、確証とは言えないまでも、より一層その確信を深めたところです。


*1 クロカモ:私が命名した日本の闇組織のこと。本ブログではこれまで「国営テロ集団」と呼んでいた。国際的な軍産複合体でもあり、天皇家・政府・官庁(自衛隊や警察も含む)・企業・暴力団・宗教団体など、あらゆる組織にその分子が潜入し、実質的に日本を支配していると思われる。JAL123便の撃墜とその後の隠蔽はこの組織が主導したのだろう。今回の核テロも彼らがかつて企図した地下鉄サリン事件の再来であると私は見ている。


■123便が残した核の爪跡

群馬県、長野県、埼玉県、この3県の県境を成す高天原(タカアマハラ)山から連なる尾根一帯に、123便の機体破片及び、日米ソ各軍の機体・ミサイル・走行車両の破片が散乱していることが、S氏の弛まぬ現地調査からわかっています。以前から本ブログで主張していることですが、群馬県上野村の御巣鷹の尾根だけに機体の残骸があるというのは間違いで、長野県南相木村の山間部、埼玉県の秩父山系にまでその範囲は及んでいます。

これほどの軍事紛争があったことに気がつくのは、実際に多くの機体破片を目にするようになってからですが、それ以前から、123便の墜落原因に核兵器が使われた可能性は想定していましたので、最初の現地調査の時から放射線測定器を携行し、現地の放射線レベルを記録していました。

その結果は前にもお伝えした通り、バックグラウンドの2~3倍程度、通常の値がい0.1μSv/hなら、だいたい0.2~0.3μSv/hの観測範囲です。核の安全論者なら「全く気にするレベルではない」と主張するところでしょうし、正直、私もこの数字をどう評価してよいのか迷っていました。ただし、留意しなければいけないのは、私が測定を始めたのは、123便の墜落から24年以上経ってからのことであり、長年の風雪雨に晒される前の墜落当時が、果たして同じ放射線レベルであったとは考えにくい点です。

以下の図は、2009年6月から2011年2月にかけて、墜落現場付近の空中放射線量を測定した記録です。測定位置は地上から90cm辺りですが、地表10cm近くで測ったものも一部含まれています。


図1:123便墜落現場付近の放射線測定結果(2009~2011年、単位μSv/h)
    主翼が発見され墜落地点とみなされている場所
    0.15未満 バックグラウンド(BG)レベル
    0.15~0.25 BG2倍レベル
    0.25~0.35 BG3倍レベル
    0.35以上 BG3倍超レベル

この図を見ていただければ、墜落地点から南相木ダムの辺りに向かって放射線値が高くなっていることがわかります。また、この測定をしている時に次の点に気がつきました。
 ・風が吹き込まない狭い谷間などでは総じて値が小さくなる
 ・風が吹き出すと突然数値が突然上がる(下がる)
なぜ、こんな現象が起こるのかよく考察すれば、空気中に放射性物質が存在し、測定値も風向きの影響を受けているのだろうと結論付けられます。何にせよ、墜落地点の周囲は放射線値が高めに出ることだけは間違いなく、これまでブログの話題に出た、群馬県上野村や長野県南相木村だけでなく、長野県川上村も何らかの放射性物質の影響を受けていると見なせます。

この影響を123便の撃墜と関連付ける見方があるのはもちろんですが、私はもう一つ、神流川発電所内、もしくは秩父の鉱山跡に建設されているだろうクロカモ地下要塞内で、何か核製造に関わるプロセスが今でも密かに行われているのではないかという見方も保持しています。


■上野村の死亡率が突然上がった理由は?

さて、次に問題になるのは、この高放射線状況が周囲にどのような影響を与えているかです。私やS氏が被曝症に罹ったことは以前の記事でもお伝えしましたが、それだけの線量があるのなら、他にも何か影響が出ているはずです。それを実証する一つのデータとして群馬県上野村の人口動態表を例に挙げます。


図2:上野村の人口動態遷移。人口構成が類似している群馬県南牧村と比較
    急激に人口が増えている
   2003年に死亡率が急上昇している


図3:1990年を基準とした上野村と南牧村の人口構成比較
   過疎の村だからというのは死亡率急上昇の理由にならない

図2の読み方には注意が必要です。赤い枠で囲った部分で示したように、2000年になって村の人口が急上昇しています。おそらく神流川発電所の建設に関わる作業員の流入と考えられます。しかし、元建設省の関係者に聞いたところ、住民税の支払い先の自治体が大規模に変動してしまうので、ダムなどの大型建設で作業員の住民票を現地に移すことは通常はないとのことです。住民票を移動させれば税の支払い先が上野村になるだけでなく、人口が増えることで国庫からの補助金も増加します。650人も人口が増加すれば、現在の水準で大雑把に計算して年額1億3千万円の補助金が上野村に入ることになります。

大型建設団の場合、簡易医療施設や仮設住居は自前で用意しますから自治体への負担はほとんどありません。住民税も補助金も自治体のもらい得になるはずです。穿った見方をすれば、この急激な人口流入は上野村に対する特別計らいと言うこともできます。

さて、この650人の人口増加分を数字に入れては本当の出生率・死亡率は計算できないので、この上昇分を除いて補正した「自然増加数」と「死亡率」の列を表に加えました。図2で表題に薄緑色の背景を網掛けしたところです。また、過疎など村独自の事情が影響するのを避けるため、図3で示したように、同じような人口構成を有する群馬県南牧村の「自然増加数」と「死亡率」の列を加えました。図2で表題にオレンジ色の背景を網掛けしたところです。

すると青枠で囲った数字が示すように、2003年になって南牧村が19.3人/千人の死亡率であるのに対し、上野村が43.4人/千人と南牧村に比べて倍以上の高い死亡率を示すことがわかりました。この統計では死因までがわからないので、これがただちに放射線と関係するかどうかは断定できません。ただし、123便の墜落当夜、現場に入った民間人として証言していただいたM氏が、肺癌を発病したのが2001年であることを考え合わせれば、全く関係ないと否定することもできません。

これは考えすぎかもしれませんが、私は、建設作業員の住民表を移させたのは、将来起こるであろう放射線原因の疾病増加率を統計上薄める意図もあったのではないかと思っています。前回の「神々の落涙(3)」で記述した「日本の平時の(放射)線量 毎時0.1μSv 前後(年間 1mSv前後)を2~3倍も上回れば、それだけで将来の発病の確率は高まる」とは、以上の現地調査、統計解析に基づいて私たちが出した結論です。死因と最近の統計を詳しく分析すれば、更に新しい事実が見えてくることでしょう。


* * *


群馬県上野村を現場取材していて、村民から時々気になる噂話を聞かされます。例えば、123便の墜落当時の村長、黒澤氏の子息がロシアに渡って殺されたとか、村長がロシアの関係者から数千万円をもらっていたとかです。裏の取りようもないので放って置いたのですが、墜落現場にロシア(当時はソ連邦)の戦闘機や装甲車の破片が落ちていることを考え合わせると、ロシアと上野村、翻ってロシアとクロカモの繋がり(*2)という視点も無視し得ないものがあります。事件当時、クロカモの首謀者の一人と見られる伊藤忠会長の瀬島龍三氏がロシアのスパイと公然と呼ばれていたことも考慮すれば、ロシアと123便撃墜の間には軍事衝突以上の密接な関連があると言ってよいでしょう。今回の福島原発事故(核テロ)に関しても、イスラエルとロシアの動きに要注意です(*3)。

*2 ロシアとクロカモ:オウム真理教が病原菌の空中散布用として確保していたヘリコプターがロシア製であったこと、ロシア国内に道場を複数開設していたことを思い出してほしい。ロシアと彼らを繋ぐ'誰か'がいただろうことは容易に想像できる。

*3 イスラエルとロシアの動き:311の震災後、早い時期にイスラエルが60人の医療団を日本に寄こし、同国が日本に対し並々ならぬ関心を寄せていることを示した[1]。また、5月になって北方領土に突如ロシア副首相が訪れたが、ロシアの意図は何だったのであろうか[2]。
[1]http://sankei.jp.msn.com/world/news/110327/mds11032710000003-n1.htm
[2]http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0517&f=politics_0517_007.shtml


RESPONDIT IESUS NON HABERES POTESTATEM ADVERSUM ME ULLAM NISI TIBI ESSET DATUM DESUPER PROPTEREA QUI TRADIDIT ME TIBI MAIUS PECCATUM HABET
イエスは答えられた。「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もないはずだ。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い。」
(ヨハネの福音書 19章11節)

南の島フィリピンより
管理者 日月土
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JAL123便墜落事故-真相を追う-神々の落涙(3)

※人体の放射化など、核汚染に関する記事は「核汚染日本の再生」カテゴリーをご参照ください。なお本記事にも核関連情報が多く含まれています。

 * * *

福島第一原発の事故を受け、年間で許容できる放射線量が20mSvなのか、100mSvなのか、はたまた250mSvなのか、そんなことが未だに議論になっているようです。JAL123便日航機事件の調査で被曝を経験した立場から言えば、日本の平時の線量 毎時0.1μSv 前後(年間 1mSv前後)を2~3倍も上回れば、それだけで将来の発病の確率は高まると断言できます。

地球上には毎年10mSv超のエリアもあるのに、どうして危険だと言えるのだという声に対しては、宇宙線など自然界に存在する放射線と人間が原子炉で作り出した放射性核種が発する放射線の性質が同質であるとは断言できないこと、また、高放射線エリアで世代を重ねた人種と今の日本人を単純比較することに意味はないとだけ答えておきましょう。

ですから、原発事故後に報道された首都圏での観測値、0.3~1.0μSvあたりの数値は、現地の福島に比べてさほど深刻そうではありませんが、私にとっては「健康に害はない」と片付けられるほど安易な数値ではありません。最近は放射線レベルが落ち着いてきたとの報告もあり、都心でも、毎時0,04μSv程度の低い観測値があるようですが、これは逆に平時よりも低すぎて、かえって何かの作為がそこにあると疑われてなりません(もちろん計測地点の問題もあるので一概に断定できませんが)。

放射線量の数値は核汚染の程度を測るの一つの目安ですが、一般的なミューラー管計測器は放射線そのものを測定しているわけではなく、数値が小さいからといって放射能の脅威から本当に逃れていると、断定しきれない要素があります。というのも、本ブログ記事「放射線症と放射化、そして救済」で放射線症の事例を列記しましたが、指先にできるホクロなどは、放射線の持つ強い指向性によるものとしか考えられず、そうだとすると、間接的な電離現象を計測する一般的なガイガーカウンターでは正確にその強度を測定することなどほとんど不可能だと思われます。わたしたちは何でも一括りに「放射線」・「放射性物質」と呼んでしまいますが、放射性核種それぞれの正確な物性を知らずして、本当の危険を語ることはできません。残念ながら、「半減期」や放射される「線種」以外に核種別の性質を正確に記した資料に出会うことは今のところ叶っていません。というより、人類は放射線のことを実はまだよく分かっていないのではないかとさえ思えるのです。


■放射線測定器にかからない放射性物質?

写真1は日航機の墜落現場付近で採集した金属片で、その形状などから、国際軍事評論家のB氏から、核弾頭の構成部品である可能性を指摘されたものです(ただし写真判定)。


写真1:核弾頭の構成部品か

初めて見た時は、この部品の素性がよくわからず、平気で手を触れていたのですが、掌に握り締めて数秒もすると、手の骨の芯に響く鈍い痛みが走り出し、やがて、とても手で持っていられなくなります。

2009年に東京で開催されたB氏のセミナーに、S氏が予告なしにこの部品を持参してきた時には、出席されたお客様の数名に皮膚の発疹など身体的な異変が起こり、その内の放射線に詳しい方から、「誰か放射性物質を持ち込んでいないか?」と小声で質問を受けました。しばらくして、S氏が素性不明の拾得物として写真1の金属片を持ち込んだことことが発覚し、状況を理解したのですが、その時は、当然ながらそれが何かの核関連物質であろうと理解しました。

S氏にはすぐにその部品を持って外に出るよう指示し、放射線計測器を貸与するので値を測定するようお願いしました。ところが、S氏から後日連絡が入り、放射線計測器には全く反応が見られないと報告がありました。後日、電磁波測定器にもかけてみましたが、こちらでもまるで反応がありません。明らかに身体に見えない影響を与えながら、計測器にかからないものとはいったい何なのでしょうか?市販のものでなく、超高精度の測定器にかけてみれば何かわかるかも知れませんが、残念ながら現在までその原因は突き止められていません。原子物理に詳しいK教授からは、「物質の核子磁束に異常が起きている場合にそういう現象が起こり得る」と参考意見をいただいてます。ただし、「純粋な核融合反応にでも晒されない限り有り得ない」という条件付です。

何が真実なのかは未だ闇の中ですが、現在のところこの物質の得体の知れない放射能力と、B氏の指摘から、特殊な核弾頭の部品と見なしているところです。なお、この件に関連して私がここで強調したいのは、以下の2点です。

 (1)この物質の物理的解明が123便の撃墜原因の特定に結びつく可能性
 (2)現在知られている核・放射線物理の知識を超えた軍事技術が存在する可能性

そして、現在の福島原発事故に関連して、次の1点が付け加えられるのではないかと思います。人体の放射化などもこれに含まれるかと思います。

 (3)我々がまだ知らない放射線、放射能原因の有害要因が存在する可能性


■放射能がバラ撒かれている?

私は「福島原発事故」とは言ってますが、今回の「原発事故」を計画的な「核テロ」と見る考えも捨てていません。東京電力(及びその関連団体)、東芝など、日航機事件絡みのクロカモ関連企業(*1)が見え隠れしていることもそうですが、放射性物質のフォールアウトにホットスポットが存在するとはいえ、遠く離れた横浜市や山に隔てられた長野県佐久市などで当初から高い放射線値が測定されたことに大きな疑問を感じるからです(データはご自身でご確認ください)。


写真1:佐久市のライブカメラ映像 2011年5月3日 15:35
    同市の汚染濃度が異常に高いと日本の知人から報告を受け記録した
    全体にかかる白い靄(もや)はただの埃か黄砂なのか・・・


写真2:佐久市のライブカメラ映像 2011年5月4日 16:43
    写真1と比較してほしい。この日は浅間山がくっきり写っている

放射性物質とは原子炉からの廃棄物だけでなく、変圧器や船体で普通に使用されるPCB(*2)なども含まれます。これら特殊産廃の処理事業が暴力団利権になっていることは、この業界に詳しい方なら周知のことでしょう。特殊産廃処理といっても、廃棄方法が確立されている訳ではありません。ですから長年、廃棄物が日本のどこかで山積みになっているか、こっそり海外に持ち出されていることは明らかです。何故なら、放射性物質をむやみに廃棄すれば放射線の観測で簡単に足が付いてしまうからです。

彼らにとって、今回の「福島原発事故」は不良在庫をまとめて処分する格好のチャンスだったでしょう。海洋に廃棄しようが、焼却場で燃やそうが、どんなに高い放射線値が出てもそれらは全て「福島」が原因であり、彼らに目が向くことはありません。確証を出せといわれも、確証にならないのが今の状況です。私ができるのは、その可能性があることを指摘することと、全国の皆様に、夜間の不法投棄、夜中に煙を吐き出す怪しい廃棄物処理場などの監視を強めるよう注意喚起するだけです。

私は、今回の原発事故が国産核兵器開発の証拠を封印し、国内・国外の反対勢力に対抗する計画的事故である可能性、それらテロ行為の一翼としてクロカモ傘下の暴力団組織が放射性廃棄物の一斉処分を行っている可能性を改めて指摘します。同時に、他のクロカモ傘下の企業、秘密組織が放射性物質を意図的に都市部でバラ撒き、水道水に毒物を混入させている可能性も指摘します。別の言い方をするなら地下鉄サリン事件の再来がより大規模に実施されているということです。311から全国で再び目撃報告が増えたいわゆるケムトレイルについても、その計画の一環であると見なすことができます。長野県佐久市に限っては、松本サリン事件でもその関与が疑われた陸上自衛隊松本駐屯地内のクロカモ部隊、佐久市内にリチウム電池工場がある東芝(*3)が深く関与していると私は見ています。


*1 クロカモ:私が命名した日本の闇組織のこと。本ブログではこれまで「国営テロ集団」と呼んでいたもの。国際的な軍産複合体でもあり、天皇家・政府・官庁(自衛隊や警察も含む)・企業・暴力団などあらゆる組織にその分子が潜入し、実質的に日本を支配していると思われる。JAL123便の撃墜とその後の隠蔽はこの組織が主導したのだろう。今回の核テロも彼らがかつて企図した地下鉄サリン事件の再来であると私は見ている。

*2 PCB:ポリ塩化ビフェニル(Polychlorinated Biphenyls)。難廃棄性の化学物質としてその名が知られている。しかし、PCBが基本的に放射性物質であることはあまり知られていない。潜水艦の乗組員が癌に罹りやすいのは、船体に使用されている放射性PCBが原因だとも言われている。米国では毎年5百万トンを超える放射性PCBの廃棄物が生まれているが[1]、日本でそれはどう処理されているのか?以前から、各地の港湾に係留したままの古いタンカーなどに保管されているのではないかと予想していたが、以下の報道[2]でそれが一部実証される形となった。311の津波で大量の放射性PCBが海洋に流れ出したとしたら、太平洋の放射能汚染はより深刻なことになろう。福島原発の汚染水の海洋放出はこれまた都合のよい言い訳の理由となる。
[1]米国におけるPCB管理(英文)
 http://www.chem.unep.ch/pops/indxhtms/cspcb06.html
[2]猛毒PCBが津波で流出していた!-アサヒ芸能6月9日号 5月31日発売
 http://www16.plala.or.jp/chemicaldays/jishin/110531pcb.html
以下[2]記事の一部
『「津波の被害が著しい福島・宮城・岩手の沿岸部で管理していた、有害物質のPCBを含む変圧器や蓄電器、蛍光灯安定器などが、津波で流されたのです。今後の汚染が心配されます」そう語るのは、愛媛大学・沿岸環境科学研究センターの田辺信介教授だ。』

*3 東芝佐久工場:5年以上に渡って墜落現場での調査を敢行しているS氏が、早朝など人目のない時間に、東電管理でクロカモの地下要塞であることが疑われる神流川発電所と同工場の間で輸送トラックの行き来があることに気が付いた。リチウム電池の生産に必要な原料の蛍石は、墜落現場で発見された地上最強の糜爛性毒ガスBF4(テトラフルオロホウ素)の生産に必要なフッ素を含有する。東芝の新しいリチウム電池工場が、2007年の新潟中越沖地震で放射能漏れ事故を起こした東京電力柏崎刈羽原発の地に建設されたのは果たして偶然なのか?また、BF4を構成するもう一つの元素「ホウ素」が、福島原発事故の核分裂抑制物質として投入されると事故初期に報道されたのは偶然の一致なのか?ちなみに、軍事利用が疑われる臼田の大パラボラアンテナがあるのも現在の佐久市内である。


 * * *


この記事を書きながら、私が最も残念に思うのは、1985年に日航機が撃墜された時と今の日本の状況が全く変わっていないことです。あの時、私たちは政府の発表通りに事故であると聞かされ、またそれを信じました。

123便の墜落後数年たってから公表されたボイスレコーダーが、実は改ざんされたものであり、実際の飛行ルートも公表されものと異なることはこのブログで証明しましたが、あの時、圧力隔壁の断裂が墜落原因であると、詳細な計算式まで持ち出して政府の事故報告を裏付けした有名大学の先生たちはいったい何だったのでしょうか?福島の原発事故でも、当初あれだけ専門家を動員して安全性を強調していたはずなのに、最近になって実はメルトダウンしていたと東電はあっさりと認めました。学者や専門家を嘘つきと非難するのはたやすいですが、騙された私たちはいったい何だったのでしょうか?

そして、日航機事件当夜、私たちが大変な事故が起きたとテレビ報道に釘付けになってるまさにその間に、墜落後も生き残った多くの生存者(100名以上はいたと思われる)が闇夜の中で次々と殺害されていったのです。

こんな言い方はしたくありませんが、今回の原発騒ぎでは、とうとう私たちが同じ手下人達によって殺される番となってしまいました。日航機事件のあの日から今まで、26年近い長い年月が経っていたにもかかわらず、私たちはあまりにもあの事件を理解しようとしなかった。あの時、もっと自分の感覚を信じ、聞き耳を立て、声をあげて日本全土を覆う黒い霧の正体を知ろうとしたならば、もしかしたら今日のような悲劇は避けられたのかもしれません。

このブログを始めた動機は日航機事件の真相解明と同犠牲者の魂の救済であったのですが、これから日本で起ころうしている悲惨な状況を想像した時、私は自分のあまりの無力さに打ちのめされてしまいそうになります。今の私には、神の前に膝まずき、私たちが犯した罪過の許しを乞うと共に、ただ神の愛にすがることしか成せる術がありません。

神よ、どうか私たちをお許しください。私たちも人を許します。


ET NOTUM FECI EIS NOMEN TUUM ET NOTUM FACIAM UT DILECTIO QUA DILEXISTI ME IN IPSIS SIT ET EGO IN IPSIS
わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます。わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたしも彼らの内にいるようになるためです。
(ヨハネの福音書 17章26節)


南の島フィリピンより
管理者 日月土
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