お兄ちゃん日記

2017年9月14日、今日からこのブログでやってみることにします。

倫理観と道徳観の違いってなんだろうか?

2022-04-30 05:40:04 | 日記

倫理観と道徳観の違いってなんだろうか?

 

確か、小学校で「道徳」の授業を受け、高校になって「倫理」の授業で受けた記憶がある。

しかし、その内容や違いは、殆ど覚えていない。

社会人になってから、たまに「倫理観」という言葉を聞くことはある。

だが、私自身はよく理解してないので、殆ど使っていない。

「倫理」とは「人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの」と辞書にあ

る。

そう考えると「倫理観」は、社会的な秩序や規律に対して、人としてどう適応するかである。

つまり社会に対しての考え方のような気がする。

それに対して「道徳」は「人々が、善悪をわきまえて正しい行為をするために、守り従わねばならない規範の

総体」と辞書にある。

そう考えると「道徳観」は、人としてどう生きるかで、人間としての生きる価値観ということになる。

「道徳観」は個人に対して使い、道徳観は理想に近い考え方のように思う。

それに対し「倫理観」は社会に対して使い、考え方には法律のような広く認識されている考え方が中心のよう

だ。

私が考えるには、道徳観と倫理観の違いは「道徳観」の中心には“理想”に近い個人の考え方である。

そして「倫理観」は社会に対して使い、法律や普遍的基準を順守する個人の考え方である。

自分でもよく理解できず、どうでもいいような話である。

しかし、この年になって殆ど使うことのない言葉でも、ちょっと勉強してみる自己満足である。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心が落ち込んだ時の這い上がり方

2022-04-29 05:04:05 | 日記

心が落ち込んだ時の這い上がり方

 

人は、誰でも様々な問題や辛く悲しいことに悩むことはある。

個人差はあるだろうが、悩みを深く考え過ぎて奥深く落ち込んだ経験のある人もいるだろ。

中には、悩みや辛く悲しいことがあっても、心の強い人はすぐに立ち直る。

また、そもそも落ち込むこともないのかもしれない。

私は、どちらかというと、結構落ち込んでしまう方である。

自分が段々落ち込んで行き底まで着いたらゆっくりと這い上がっていくタイプである。

その落ち込んだ悩みから脱出するには、普段自分の落ち着いた生活を多少辛くても実践することにしている

勿論、落ち込んでしまった直接の原因を解決することに越したことはない。

しかし、それが不可能な時は、這い上がるための自分なりの手段を、幾つか持つことで立ち直るキッカケにな

るかもしれない。

私の場合は、過去に書いた自分のブログを読んで勇気を貰ったり。

スポーツをして汗を流して体力と自信を付けたり。

本を読み文章の中に気持ちを切り替えるヒントを得たり。

そんなことをして、なんとか這い上がってきたように思う。

勿論、苦しみ悩むことに、落ち込まない強い心と、前向きな気持ちを持つことが大切である。

もしも落ち込んでしまった時は、這い上がるための自分なりの手段を幾つか持っていることも必要だと思う。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間は知らないことの方が多い

2022-04-28 05:19:40 | 日記

人間は知らないことの方が多い

 

人間いくつになっても、知らないことはある。

そういうより、知らないことの方が圧倒的に多い。

「お年寄りの知恵袋」と言われるが、それは若い頃からの経験や知識の蓄積である。

物事を良く知っていると言うことだが、それは限定した仕事や体験に特化してる範囲内であると思う。

また知っていると思っても間違って理解をしていることもないとは言えない。

現役社会人にとっては、多くの知識や経験を持つことで、他人より社会的に優位に立つこともある。

しかし、それも個人の立場での必要範囲内の知識である。

私は既に現役を引退したので、これからは多く事を積極的に知ろうとは思わない。

自分が興味があることや、現在社会的に問題になってることを考える最適な機会であると思っている。

最近は、ネット社会で知りたいことは,瞬時に手に入る時代だが、体験が伴わないと知恵は生まれない。

若い人がよく陥る、頭デッカチの誤解と錯覚の世界である。

私自身は現在もこれからも時間には余裕がある時は、好奇心を持って知りたいことを調べて、できる限る体験

したいと思っている。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

立場が人を作るのではなく責任の自覚が人を作る

2022-04-27 05:40:13 | 日記

立場が人を作るのではなく責任の自覚が人を作る

 

人は責任ある立場に就くキッカケで、自ら思考し自らの意志で行動する。

人は、子どもを持つと親になる。

親の立場になり、その責任を自覚すれば、自ずと子どものことを考えるようになる。

子どもにとって良かれと思う行動を取るようになる。

人は、部下を持つと上司になる。

上司の立場になり、その責任を自覚すれば、自ずと部下のことを考えるようになる。

部下にとって良かれと思う行動を取るようになる。

人は、生徒を持つと先生になる。

先生の立場になり、その責任を自覚すれば、自ずと生徒のことを考えるようになる。

生徒にとって良かれと思う行動を取るようになる。

つまり、自ら思考し自らの意志で行動するキッカケを得たければ、責任ある立場に付くことである。

人はどんな立場にも責任が伴うので、それを自覚するだけである。

親であっても、子どもであっても。上司であっても、部下であってもです。

先生であっても、生徒であっても。他人であっても、自分であってもです。

それぞれの立場に、それぞれの責任がある。

もちろん、立場により責任の重さは異なる。

相対的に相手に及ぼす影響力がに強い立場の方が責任は重い。

しかし、そうでない立場の方にも責任はある。

立場が人を作るのではない。責任の自覚が人を作るのである。

自ら思考し自らの意志で行動する自由を得たければ、責任ある立場に就くことである。

そして今、自分が置かれている立場の責任を自覚することである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本当の優しさとは

2022-04-26 05:42:44 | 日記

本当の優しさとは

 

優しさと言えば、親切で上品に接する様子をイメージする。

思いやりや慈しみの心が感じられる時も、優しいと感じる人も多い。

たとえば、困っているときに助けられると「優しい人だ」と誰もが思う。

しかし、残念ですが、困っている人を助ける様子が、必ずしも優しいとは限らない。

相手は、見返りを求めたり、いやらしい考えがあったり、騙そうとして、接しているのかもしれない。

このように裏がある状態で近づくのは、当然に優しいとは言えない。

本当の優しさとは 損得勘定なく、相手のために親身になって接することである。

見返りがなくても、お礼を言われなくても、時には嫌われてもいい。

相手の幸せを心から願って接することが、本当の優しさである。

時には、厳しく接することもある。

たとえ表面上は厳しく見えても、相手の幸せを願う行為なら、本当の優しさである。

本当に優しい人は、損得勘定なく、相手のために尽くすことができる人だと思う。

安易に優しさの安売りをしてないかを自身に問うてみては如何だろうか。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする