あなたがたは偶像の神々に心を移してはならない。また、自分たちのために鋳物の神々を造ってはならない。わたしはあなたがたの神、主である。(4)
神はご自分の作品である人を、愛するひとり子イエス・キリストをたまわるほどに愛され、その背きの罪と汚れをキリストの十字架の血潮によって洗いきよめられた。
神から離れた先に待つのは永遠の滅びであるが、主が備えてくださったものは、神の子とされた永遠のいのちであり、世に生きる今も、神の家族の霊の交わりに居らせてくださる。
真の造り主を知らない人は、自分で作ったものにいのちを任せている。それが偶像であることは人が一番良く知っているのに、作者以上の力を持つ作品が出来るはずもないのに、その物に向かって伏し拝むのである。
私たちの神は天におられその望むところをことごとく行われる。(詩篇115:3)
この方が創造主である。しかし、
彼らの偶像は銀や金。人の手のわざにすぎない。口があっても語れず目があっても見えない。耳があっても聞こえず鼻があっても嗅げない。
手があってもさわれず足があっても歩けない。喉があっても声をたてることができない。(詩篇115:4~7)
であり、
これを造る者も信頼する者もみなこれと同じ。(詩篇115:4~8)
とある。
人が作った物を自分より力あるものと信じ、拝んで先の望みを託すことは理性的でさえないが、そこに違和感を感じないのは、霊的な惑わしであろう。
サタンが、神の愛する作品である人を横取りして、ゲヘナの滅びの道ずれとするためである。だから主は偶像を造ることを忌み嫌われる。
あなたがたが交わりのいけにえを主に献げるときは、自分が受け入れられるように献げなければならない。(4~5)
主はみことばを通して、また祈りと一日中続く思いの中で、神の家族の霊の交わりを喜んでいてくださる。
御子の血潮に罪を洗いきよめ、ご自分の子として永遠の御許に置くために、聖霊の助け主を遣わし、絶えず関りハラハラと見守っていてくださる。事実、日々抜け落ちる髪の毛の数まで知っていると書いてある!
神に受け入れられるきよい献げものとは、キリストの完全なあがないに信頼して御許で満ち足りている霊であり、何も隠されていない創造の初めのアダムやエバの姿であり、罪をあがなわれた感謝に溢れて生ける神にひれ伏している魂である。