「私が正しいことを聖書から語って」と言われていたんだった。「いいえ、あなたは間違っている」と言ってしまったから、私は閉め出され親しい友を失った。
どんなに多くの時を費やして、どんなに楽しい時を共に過ごしても、ただひとつのこと「十字架」を共に味わえないなら、すべてが虚しいことに思えて今は動けない。
幾度このようなことを繰り返してきたのだろう・・・。
しかし、このような思いのなかで、私は十字架を見上げていよう。惜しまれる主。気落ちしている私の中で、なお、主の忍耐は重く感じられる。
「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」
「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。(ローマ3:10~12、23~24)
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