石ころ

種は腐らない


 祈ろうと思って座った時、突然思い出したのは「連休が終わったら・・」という先日の私の思いだった。「連休が終わったら、彼女の家に行きます。」それは半分言い訳だったのだけどいきなり突きつけられた。

 なかなか眠れず、夢にもうつつにもこのことが離れずに、もう疲れて、もう祈る言葉さえ無くなっていたので私は仕方なく、押入から星野さんの本を1冊持ち出して出かけていった。ご主人が喜んで迎えてくださったので、ちょっとほっとして、誘われるままに台所に入れていただいてお話をした。女が台所に人を通すのは気を許しているということであり、私は一番落ち着く。

 罪の話をして一緒に祈り、示されるままにイエス様の十字架を話すと、「ああ、それでわかった。」と感動したように言われた。「私はなんでキリスト教の人が、十字架なんかで死んではる教祖さんを拝まはるのか不思議やった。」

 彼女の具体的な求めに、直接応える事が出来る方は主だけであることを話して、すべてを祈りによって解決できることを伝えて1時間ほどで帰る。ともすれば人の愚痴や非難になる、暗闇のドロドロの問題のなかにあっても、主は決して汚されることのないお方だから、まっすぐにみことばを伝えてさえいれば、私はどんな時も恐れなくて良いことを教わった。

「もし、集会なんかがあったら行くから教えて。」と言われた。もう十年以上も前にトラクトや手製の証のチラシを地域に入れ続けていた。その時、彼女にはトラクトを断られた記憶がある。神様の種は、永遠単位の救いのことなので気長い仕事なのかも知れなと思った。たとえ、今までなんの収穫もないとしても、それで種が腐ってしまったと言うことではないのかも知れない。

「あなたは、他の人とは違うと思っていた。キリストを信じたはるから心が綺麗や。」その言葉に私はあっけにとられた。一体私の何を見てそう思ったのかしら・・。愛想の悪い気ままな私のことを。けれども、家に帰って祈った後ハッと気づいたことは、彼女は私のうちにおられるイエス様を見たんだろう。表面の私ではない奥に居られるお方を!だとしたら、すべては主のみこころに違いない。そこに私は安息しよう。


「また言われた。『神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。』」(マルコ4:26~27)

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