石ころ

使徒の働き⑰ (使徒10章)

 

テロは祈りをするために屋上に上った。昼の十二時ごろであった。
すると彼は非常に空腹を覚え、食事をしたくなった。ところが、食事の用意がされている間に、彼はうっとりと夢ごこちになった。(9~10)

 

ペテロを、異邦人であるコルネリオに遣わされる時、昼食を待っている間のうたたねの夢によって導かれる。普通はお腹が一杯になったときに眠くなるものだが・・。

 

見ると、天が開けており、大きな敷布のような入れ物が、四隅をつるされて地上に降りて来た。
その中には、地上のあらゆる種類の四つ足の動物や、はうもの、また、空の鳥などがいた。
そして、彼に、「ペテロ。さあ、ほふって食べなさい」という声が聞こえた。(11~13)

 

律法によって食べることを禁じられているものばかりである。この夢がお腹一杯の時だったら、従順のハードルはもっと高かったかも・・。
神さまの導きの巧みさに参ったなぁ・・と思うとともに、体の弱ささえも用いて導いてくださることは安心だ。

 

しかしペテロは言った。「主よ。それはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。」
すると、再び声があって、彼にこう言った。「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない。」
こんなことが三回あって後、その入れ物はすぐ天に引き上げられた。(14~16)

 

ペテロには驚きであろう・・禁じられていたものを、神が食べよと導かれたのだから。
異邦人の救いは、初めのご計画からあったことであるが、それはキリストの贖いによって、完成されることであった。

 

選びの民であるユダヤ人と異邦人の教会が、共に一つのキリストのからだとされるときに、神の始めのご計画は完成するのである。ペテロはその働きのために、新しい一歩を導かれたのである。


キリストのからだは生きており、日々、初めて通る道に導かれて、永遠の御国に向けて前進して行くのである。

 

両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。(エペソ2:16)

 

 主はパウロには有無を言わせぬ御力によって砕かれた。ペテロには性質を知り尽くして、その肉の弱さまで用いられる。


キリストに導かれることは、賢さや特別な何かが必要ではないとわかる。鈍感な者にもわかるように、一人ひとりを知り尽くす主の賢さによって、追い込んでくださるからである。

 

ただ、導きを誤魔化して逃げるなら、もっと手荒く追い込まれることになる。主はご自分のご計画を遂行なさるからである。
時には、みこころと相撲を取ることになるけれど・・。でも、それは捨て置かれるよりは、はるかに感謝なことである。

 

「神の御用に用いられることほどの光栄はない」という信仰には、主はすべてを働かせて、完全な導きの中で事を行わせてくださる。

 

たとえ主があなたがたに
苦しみのパンと虐げの水を与えても、
あなたを教える方はもう離れることはなく、
あなたの目は、あなたを教える方を見続ける。

 あなたが右に行くにも左に行くにも、
うしろから「これが道だ。これに歩め」
と言うことばを、あなたの耳は聞く。(イザヤ30:21)新改訳2017


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